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サンティアゴのベーグル。

赤い花に囲まれた白い小さな入り口。バケツみたいな入れ物にどさどさと詰め込まれた数種類のベーグルと、焼き立てのシナモンロールがトレイのまま窓の向こうの作業台に座っている。ベーグルを見つければほとんど欠かさず食べてみるけれど、おいしいベーグルって意外となかなか出会わない。つるっと舌をなぞってもちっと噛み応えのあるベーグルに、わたしは目がないのだ。
イスラエルの家系に育った友達から、毎朝ベーグルを買ってそれぞれの家の庭に投げ込んでいくお父さんの話を聞いたことがあった。おいしいベーグルにありつく度とわたしはその話を持ち出さずにはいられない。住宅街の角に慎ましく佇むベーグル屋の看板にはおそらくヘブライ語の文字で小さく何か書かれていて、私はなんだかもうそれだけで「絶対にうまい!」と確信してしまった。


おいしいベーグルとの出会いはうれしいサプライズだったのだけれど、チリではいろんなストリートフードに出会った。“Lomito”とかオソルノのマーケットで食べたユカを潰して揚げたのとか(まったく同じものはどこでも見つけられなかったのだけれど)とてもおいしかった。マクドナルドやKFCなんかが大きな街でも意外とそれほど見られないのは、おいしいストリートフードのおかげかも。


コルドバからイグアスへ向かうバスの窓越しにずっと離れなかった膨大なトウモロコシ畑。トウモロコシもほとんど黄色いもの一辺倒になってきて、そこへ来てモンサントなんかが入ってきたからこの辺の農業もだいぶ変わったのだと思う。ブエノスアイレスの公園で小さなマーケットを開く有機農家の人たちに出会ったけれど、物価が安定しない市場でやっているだけあってみな情熱に満ちていた。スペイン語が拙い相手にあれこれ別な言葉を引っ張り出して説明してくれる。小麦もトウモロコシも肉も作り手の暮らしも一見わからないけど一昔前と中身はがらりと変わって、素朴な食べ物でさえいろいろと事情を抱えている。ただ何かと統制されゆく社会の中で自由においしいものを作る人たちにわたしはやっぱり共感して、そうゆう作り手との出会いに小さな感動を抱くのだ。

おいしいベーグルを置いて町を離れるのは久々に出会った気の合う友達と離れるのに似ている。というと大げさだけれど、また別な場所でこんな出会いが待っていると信じて旅は続くのであーる。

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