私はボクシングが好きだ!:日本人世界王者⑫~ 西岡利晃 ~

元WBC世界スーパーバンタム級王者、西岡利晃。
西岡は、サウスポーから出される左ストレートが自慢の選手だ。早くからその強さは注目され、いつかは世界を制するだろうと言われていたが、その道は困難を極めた。
幼少の頃からプロボクサーを志し、小学校の卒業文集には「将来の夢はボクシングの世界王者になること」と記した。
1994年12月11日、プロデビュー戦に初回KO勝ちを収めた。
1998年12月29日、19戦目で日本王座初挑戦。渡辺純一と空位の日本バンタム級王座を争う。初回にいきなりダウンを奪われるも、2回にダウンを奪い返しKO勝ち。王座奪取に成功した。
2000年6月25日、24戦目で世界初挑戦。辰吉丈一郎を2度にわたってKOしたWBC世界バンタム級王者ウィラポン・ナコンルアンプロモーション(タイ)に挑むが、12回判定負けで王座獲得に失敗。
2001年9月1日、ウィラポンに再挑戦。フルラウンドにわたる死闘の末、三者三様の引き分けで世界王座奪取ならず。しかし、この試合での健闘が評価され、試合後、WBCにおけるランキングが1位に上昇した。翌2002年3月にウィラポンとの3度目の対戦が組まれたものの、2001年暮れの練習中に左足にアキレス腱断裂を負い、挑戦は取り止めに。結果として、この後1年以上リングから遠ざかることとなった。
2003年10月4日、改めてウィラポンに3度目の挑戦。序盤からウィラポンペースで進み、西岡の決定打が出ないまま試合が終わった。判定は前回同様、三者三様の引き分けでまたしても王座獲得はならなかった。翌2004年3月6日、ウィラポンに4度目の挑戦。3回にウィラポンのヒッティングによる流血をしてからは王者のペースで試合が進み、最終的に12回判定負けを喫した。
2008年9月15日、5度目の世界挑戦。同級3位ナパーポン・ギャットティサックチョークチャイ(タイ)とWBC世界スーパーバンタム級暫定王座決定戦を争った。初回から西岡が優位に試合を進め、3-0の判定で圧勝。プロ39戦目にして悲願の世界王者に就いた。
2009年5月23日、敵地に渡っての2度目の防衛戦。同級2位で元WBO世界バンタム級王者でもあるジョニー・ゴンサレス(メキシコ)と指名試合で対戦。ゴンサレスは世界的な知名度と人気は西岡を遥かに上回るスター選手。試合は初回2分過ぎ、挑戦者の右で尻もちをつくダウンを奪われたものの、王者にダメージは見られずすぐに立ち上がる。そして迎えた3回、1分を経過しようとしたところで西岡の左ストレートが挑戦者の顎にクリーンヒットし仰向けにダウン。ゴンサレスは何とか立ち上がり試合続行の意思表示を示したものの、レフェリーが試合をストップ。西岡が劇的なTKO勝ちを収め王座防衛に成功。メキシコの放送局は西岡の左を、「モンスターレフト」と呼んでその衝撃を表現した。
2012年10月13日、世界4階級制覇王者でIBF・WBO世界スーパーバンタム級統一王者ノニト・ドネア(フィリピン)との王座統一戦を行うも、6回に左アッパーをボディに当てられてダウンを喫し、9回に西岡が捨て身の攻撃を仕掛けるところをドネアが左アッパーと右ストレートのコンビネーションで2度目のダウンを奪う。西岡は立ち上がり試合続行に応じるが、ドネアが追撃のパンチを当てるところで西岡陣営からの要請によりレフェリーストップ。試合後、ジム会長が西岡の引退を伝える。王座防衛7度。戦績:47戦39勝(24KO)5敗3分。
引退後は、フジテレビやWOWOWでボクシング解説者として活躍している。
 私は、5度目の挑戦でやっと世界王座に就いた西岡の本領が発揮されたのは、実は世界チャンピオンになってからのような気がする。それまでの地道な努力が、一気に開花していったという印象が強い。中でも、ジョニー・ゴンサレスに左ストレート一発でKO勝ちした時の、西岡の歓喜の表情が忘れられない。

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