私はボクシングが好きだ!:日本人世界王者⑧~ 浜田剛史 ~

元WBC世界スーパーライト級王者、浜田剛史。
私の中に、浜田剛史のボクサーとして残っている映像の記憶は多くはない。しかし、強烈なハードパンチャーだという印象が、心に強く焼き付いている。
沖縄県出身で、7人兄妹の末っ子で育った浜田は、沖縄水産高校3年時、インターハイ・フェザー級で優勝。アマチュア通算成績は43戦37勝 (28KO) 6敗。
1979年5月21日、プロデビュー、2回KO勝ち。
1981年7月18日のノンタイトル戦で左拳を骨折し、以後同じ個所を4度骨折、復帰まで2年余りを要した。1983年8月5日、2年ぶりの復帰戦で、2回KO勝利。
1984年9月9日、元WBA世界ライト級チャンピオンのクロード・ノエル(トリニダード・トバゴ)に4回KO勝ち。ムサシ中野、串木野純也、赤井英和らが保持した「12試合連続KO勝利」の記録を破る「13試合連続KO勝利」の日本新記録を樹立。1985年4月4日、タイ国ライト級王者ダウトーン・チュワタナとのノンタイトル10回戦で2回KO勝ち。連続KO勝利記録を15に伸ばす。
1985年7月7日、東洋太平洋王座初挑戦。東洋太平洋ライト級王者ジョンジョン・パクイン(フィリピン)に挑み、12回判定勝ち。連続KO記録こそ途絶えたものの、王座獲得に成功する。しかし、この試合で今度は右膝の半月板を損傷した。
1986年7月24日、WBC世界スーパーライト級王者レネ・アルレドンド(メキシコ)に挑む。初回終了間際、右フックで王者の腰を大きく落とさせると、一気に連打を叩き込み、最後は左ストレートでダウンを奪う。王者は起き上がることができず、そのまま10カウント。3分9秒KO勝ちを収め念願の世界王座奪取に成功。
1987年7月22日、2度目の防衛戦。前王者アルレドンドと再戦したが、6回、前王者の強打に捕まりダウン寸前に陥ったところでレフェリーストップ。世界王座を手放した。
世界王座陥落後、1勝1敗となったアルレドンドとの完全決着を期し、一時は再起に向け始動したものの、負傷を抱える右膝の具合が思わしくなく、再起を果たすことなく引退。浜田のボクシング人生は、故障との戦いでもあった。戦績:24戦21勝 (19KO) 2敗1無効試合。
私は、浜田剛史氏のボクシングに対する真摯な姿勢、ストイックで真面目な姿勢に少なからず心を惹かれる。WOWOWエキサイトマッチにおいて、コンビのジョー小泉氏とともに、緊張感の中にも専門的な技術を語り合う解説が好きで、欠かさず視聴している。

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