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救いたい願い、救われたい願い

唐招提寺、鑑真和上のおもかげ

念願叶って奈良の唐招提寺を訪れたのは、一昨年、2022年2月末日のことだった。
聖武天皇に請われ日本の土を踏む。時に鑑真和上、66歳である。現在なら80歳を超えているくらいの年齢だろう。
天皇が請うからといって、喜び勇んで来日したわけではない。
むしろ弟子達は誰もが拒否した。故に鑑真和上は自分が行くほかないと決意したのだ。
当時の船旅は死を覚悟してのもので、実際、5度も遭難している。ついてきた弟子を失い、鑑真和上そのひとも目を患い光を失った。6度目でついに日本に着いたときは、ほとんど盲目に近かったと伝わる。

願い続ける強さ

なぜそうまでして海を渡ろうとしたのか。
ひとこと、「救い」のためだった。
当時日本には受戒の出来る僧がいなかった。聖武天皇の時代は疫病が流行り天変地異も起きている。東大寺の大仏は鎮護国家のために建立されている。
多くの僧侶を必要とするも受戒できる僧がいなければそれも叶わない。ゆえに聖武天皇は遙か唐の国まで依頼したのだった。
疫病と天変地異にあえぐ衆生を救うためである。
仏に仕える身として、鑑真和上はみずからの使命をそこに見たのだろう。

幾度となく大波に襲われながらも鑑真の願いが打ち砕かれることはなかった。
日本の土を踏んだことは、二度と故郷に帰れぬことをも意味していた。異国の地、異国の人々。けれど祈りの心に国境も人種の違いもない。

66歳から10年間、はじめは東大寺で5年、その後の5年間は唐招提寺で、鑑真和上は戒を授け続けた。
サンガが空に舞うように、タンポポの種が飛ぶように、祈りが拡がっていったのだ。

千手観音に見えていたもの

南大門をくぐり、砂利を踏みつつ進むその正面には、金堂が静かに佇んでいる。
近づいていくと、その大きさに圧倒される。
人気のない境内。堂内の薄闇に慣れてくると、見事なみほとけが立ち上がる。中央に盧舎那仏、向かって右に薬師如来、そして左に千手観音。
天平時代から今に至るまで、いったいどれだけの人を見つめてきたのだろう。どれだけの時の流れを過ごしてきたのだろう。
途方もないのは、千手観音の手である。
文字通り千の手が差し伸べられているのだ。経年により今は953本になったといえども、実際の数など何ら意味を成さない。
夥しい手のひとつひとつを見つめるうち、胸がこみ上げてきた。

千人でも万人でも救い出したい。
どうかその手にすがりたい、救われたい。

救いたいという願いと、救われたいという願いが、その手には見えていたからだ。

人の世のはかなさを、今よりずっと肌身に感じて生きていた時代、思うに任せぬ一生を、それでも生きていかねばならなかった時代。
無数の願いと祈りが途方もないエネルギーとなって放たれている。そこに宇宙を見るようだった。

広告はかつて確かなる「作品」だった


こんなことを書こうと思ったのは、好んでいるCM作品のせいだった。JR東海が提供する奈良のコマーシャルだが、実によくできている。芸術的といっていい。
けれど上記のような物語を知り得なかったら、この広告はそこまで感動しないだろう。
途中、鑑真和上の像が出てくるあたりで、波音が重なる。その意味もおそらくわからない。
そこを、あえて説明していないのがいいのだけれど、ただ、わかったうえで観てくれる人がいたら、と思った。
思いを共有したくなったのだろう。



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