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何をしてもどうしょうもなかった私。

フラッシュバックの3年間

私は5年前に最愛の祖母を亡くし、後を追うように祖父を亡くした。
亡くなる数日前まで時間を見つけては会いに行ってた。
両親とギクシャクしては真っ先に話を聞いてくれた。不器用な私にもいつも笑顔で迎えてくれた。無愛想に見えて嬉しいという感情をうまく出せなかったのに、それでも2人は迎えてくれた。思い出すだけでも泣いてしまう。

大切で大好きだった2人との時間を大切にしなきゃという思いをその時付き合っていた人は理解してくれなかった。
自分との時間はどうでもいいのかだのネチネチ言われて、私は理解してくれなかったその人への苛立ち。大変であったことも理解しようともしてくれなかった。私は2人の事でいっぱいだった。向こうは全て私が悪いという話し方ばかり。そいつの周りもそのような目だった。要はお互い自分本位なところもあり結局ピリオド。
それが私の悪夢の2年の幕開けだった。
2018年、その後そいつはすぐに新しい相手を見つけた。ショックが大きかった。それは失恋というよりも人を信じることがこんなにも危険であることだった。さらに人間不信になったきっかけとなった。心をさらに開けなくなってしまったことだ。
そのフラッシュバックが3年も続いてた。
この辛さを私の恋愛事情を一番見ていたかつて友人だった人も心療内科の医師も理解してくれなかった。
頑張って出会いの場に行っても全く心を開けず俯いてばかりだった。
心身ともに崩壊して、過食、浪費に走ってしまった。

メンタル治療のために私は2度目のダンスの挑戦を始めた。

その話はまた別の投稿にて話します。
フラッシュバックと戦いながら無心で朝から夜までレッスンやスタジオ開放時間にとにかく気を紛らわす為に踊っていた。
しかし、限界を迎えてしまった。

チアダン登場した「夢ノート」を書いていたはずがどんどん苦しくなって、ダンスをやっても、その時好きだったバンドの曲を聴いても苦しくなって。荒れてタバコに手を出してしまっていた。もうとにかくどうしようもない状態。

ある日錦戸亮さんの「NOMAD」という曲に出会い、
何をしてもどうしよもないなら国外に逃げてしまえ!
ということで2020年破産する覚悟でHAWAIIに行くことを決心。


そして1人ハワイへ。自分のことを誰1人知らない場所へ逃げたかった。
到着と共に「おかえり」と言われた気がした。

この瞬間気持ちが晴れた瞬間でもあった。
毒親の支配や周囲への不信感から解放されてイキイキとしていた。時には逃げることだって必要だ。

私はあの時ハワイへ行く選択をしたから今を生きれてる。時には辛いこともあるけど、あの選択をしたから今がある。
全て完璧にやるよりも自分が生きやすい選択が必要であることを。
あの選択をしてなかったら、誰かの作った道しか歩けない自分だったかもしれない。失敗は自分で味わなくてはわからないこと。現実は自分の目で確かめる。
親が先回りしてあーしな、こーしなは違う。
結果とんでもないことになる。そのツケが今に響いてしまっている。

手放すことは手放せた場所。
少しづつ意見する勇気を持てるようになりたい。


#あの選択をしたから


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