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憎む相手は「人」でなく「悪」(113)

こんにちは、紺野うみです。

最近は、また再び新型コロナウイルス感染症の話題と、各地の豪雨による暗い話題が多くて、なんとも辛いものですね……。

実際の被害はもちろんですが、それをキッカケに人々の心の闇が拡大するようなことが、私はもっと哀しいです。

人が人を裁き、制裁を加えるようなことは、それが許される職業(裁判官など?)でない以上は、きっと自分自身の心のためにもするべきではないのではと思う今日この頃。

お互いに己の正しさをもって武器を振りかざし始めたら、どんどん殺伐とした世の中になってゆきますからね……。


人を憎むということの苦しみ

誰かを憎んだり恨んだり、「嫌いだー」と思ったりするとき。

実は相手を呪っているようでいて、私たちは自分自身の心にまで、苦しい呪いをかけているって知っていますか?

いつまでも「負の感情」に縛られたまま過ごすのは、心を消耗させてしまっているんです。

だから、どんなにひどい人に出会っても、できるだけその「憎む」「恨む」気持ちに染まらずにいたいなと思うのです。

もちろん、誰かからひどいことをされれば「許せない!」という感情に支配されるのは、人間なら当たり前なことでもあるでしょう。

でも、なるべく早い段階でその呪縛から「自分の心」を解放してあげた方が、過去の何かではなく未来のために、また前を向いて動き始めることができるから。

誰かの悪意や、変えようもない過去の出来事なんかに、自分の心を掴まえられたままでいるのは、やっぱり癪じゃあないですか。

さっさと自分の心を縛り付けるその人や場所から距離を取って、自分の未来のために動き始めた方が、幸せな人生を送ることができると思います。


罪を憎んで人を憎まず、ということ

誰かを非難したいと感じるとき、私たちはついつい「その人」に対して強い憎しみや嫌悪感を抱いてしまうことがあるかもしれません。

でも、その時に思い出していただきたいのは、やっぱり「罪を憎んで人を憎まず」という、昔からある言葉であると思います。

たとえば、虐待で子どもが死に至ってしまったニュースなどを見聞きすると、あまりにも胸が痛んでとにかく親を非難したい叩きたいと思ってしまいがちです。

わかります。罪もない子どもをあまりにも凄惨な状況に追いやり、死に至らしめてしまったという話には、「なんてことをしたんだ!」と怒りをぶつけたくなりますよね。

でも、そんな時に私がふと思うのは、「この不幸の連鎖は、一体どこから繋がってきたのだろうか」ということ。

……つまり、本当に心から愛されて大事にされて生きてきた経験がある人なら、きっとこんな不幸な過ちを生み出さなかっただろうと、そう思ってしまうのです。

一体何が「その人の価値観や、心の闇を作り出してしまった」のでしょうか。

それは、些細なことではないように思います。

そして、自分ももしその人と同じ人生を生きてきたとしたら、今と同じ心で居られたものだろうか……と。

人は「間違った行動」をすることは山ほどありますが、本当は誰一人として「間違って存在」してしまった人なんて、いないはずなんです。

それを理解してあげる心もどこか片隅に持っていないと、私たちはすべての人の罪を前に「アイツは駄目だ」と一刀両断するしかできない人間になってしまう気がします。


心の闇を祓うのは、難しいけれど尊い

この議論については、本当に賛否両論あるかもしれません。

世の中には確かに、「許しがたいような行い」をしてしまう人がいますし、それを止めるためには厳しさも絶対に必要ですから。

でも、人間の心に巣食う闇など、どこにでも誰の心の中にも存在しているのも事実。

それがどんどん膨れ上がってしまう人もいれば、闇の気配に敏感でそれを光で消し去ろうともがける人もいます。

私は願わくば、人と罪とを切り離して考える心も捨てずにいたい、そう思っています。

難しいことですよ。とても。

これからも、できるかどうかの自信があるわけではありません。

でも、諦めずにいたいなと思っています。

いつだって、人の中にある「光」を見つけられる人になりたいから……。


紺野うみ

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