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本が売れた先にあるもの

事象に触れ、心象が生じたときに書きたい衝動が生まれるのなら、それは今だ。書きたくなるのはいつも祭りのあとであり、一人きりになった時だ。噴き出る心象の重量でその場を離れられなくなる時だ。

昨夜、ジュンク堂書店大阪本店にて、『読みたいことを、書けばいい。』発刊記念トークイベントとして、著者の田中泰延さんとわたしのトークショーを開催していただいた。

イベントタイトルは、

「ベンチがアホやから野球ができへん。
編集者がおらんかったら本ができへん。 
編集者 今野良介 全仕事」

つまり、主役は田中さんよりもどちらかというと1981年8月26日の江本孟紀であり、わたしだった。

売上実績だけ見れば、まだまだわたしがそんな情熱大陸みたいな扱いを受けるに値しない編集者であることは誰よりも自分がよくわかっている。だからこそ、自分は人に連れられて、本と自分が書いた文字に連れられて、今ここにいることを深く思った。

わたしなんぞのために人が集まるなんてことが心の底から信じられなかったのだが、書店さんと田中泰延さんのおかげで会場は満員御礼で立ち見の方まで出て、「トークを記事化したい」というライターさんまで駆けつけてくれた。ありがたい。うそみたいだ。

田中泰延さんが開始10分前に仕上げたスライドには、本の制作中に私が田中さんに送ったメールが山ほどさらされていた。私は制作中、田中さんに宛てて83000文字以上のメッセージを送った。それは完全に田中さん個人に宛てた文字だったが、田中さんはそれを聴衆の方々に見せた。こういうやつを、めっちゃさらしてきた。

そしてわたしと田中さんだけの間のものだった『読みたいことを、書けばいい。』の原稿は、1冊の本となり、わたしがまったく想像もしなかった勢いで売れ続け、今、12万冊コピーされている。

本は印刷を前提とした媒介物で、印刷されなければ田中さんとわたしの往復書簡でありおっさん同士の文通であり交換日記の手編み文集にすぎない。

じゃあ、なんのために印刷されるのか。なんのために本を売るのか。本が売れるとはどういうことなのか。もちろん、読者に何らかの価値を提供するためだし、ダイヤモンド社が経済活動を続けるためであるし、田中さんやわたし自身が生活するためでもある。でも、もっと実感の伴った答えをわたしは、2019年8月22日の夜、確かに1つ見つけることができた。

トークイベントが終わったあと、サイン会なるものがあった。

いや待てよ。
主役がわたしであるということは、わたしもサインを書くのか? 
領収書以外にサインとかしたことないですけど?

結果、した。サインした。田中さんと連名で。マッキーで。汚い字で。全員に。だってお客さん誰も帰らないのだ。サインをもらうために。書店さんもうすぐ閉店なのに。1時間かけて全員にサインした。そこには、顔の見たことのない、でも知っている人がたくさんいた。twitterやブログで本の感想を寄せてくれた人が、たくさん来てくれていた。

そして、イベントの前後で田中さんは、彼が大切にしている友人を、わたしに引き合わせてくれた。職人はかっこよかったし、カレーは飲み物だったし、東京のたこ焼きはたこ焼きではなかったし、晩夏の西瓜は桃より甘かった。

一晩明けて気づいたのは、本が、人と人をつなぐ媒介になり得るということだ。

そして、わたしにとっての「本が売れること」の喜びは、刷られたことや売れたことそのものよりも、「喜びを感じられる人との出会いを生む可能性が、コピーされた分だけ高まること」にあると知った。

本来、裏方である編集者は、その喜びに直接触れることができない。読者と読者がつながったことを遠目に喜ぶことしかできない。でもわたしは今回、著者が引っ張り出してくれたことで、本の制作者でありながら、読者と出会うことができた。

読者だけではない。本と読者をつなぐ書店員の方々とも、お会いすることができた。

(↑喜久屋書店 心斎橋店)

(↑紀伊國屋書店梅田本店)

大阪には、田中泰延と、aikoが描いた風景と、わたしが読みたくてつくった本を読んでくれた、たくさんの人が在る。もう、わたしにとって見知らぬ土地ではなくなってしまった。

わたしは、また大阪に行きたいと思う。

本を介して。人を通して。書いた文字に連れられて。


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