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高校生バンドが「永遠の詩(熱狂のライヴ)」の再現に挑戦⁉️ 〜後編〜

O先輩、K先輩、他校のVocalist…そして僕の4人で結成されたレッドツェッペリンのコピーバンドは、西荻窪の杉並区勤労福祉会館ホールでのコンサートの準備に日々忙しく過ごしていた。

そしていよいよ当日、O先輩はビデオカメラを持って西荻窪の杉並区勤労福祉会館に現れた。今日一日の全てを撮影するらしい。

まず楽屋で僕がジミー・ペイジに扮して大きな瓶のオレンジジュースを飲むシーンの再現をするという。

でもO先輩はオレンジジュースではなく何故か牛乳を僕に手渡した。

「ほれ、この牛乳をジミー・ペイジの真似して飲めよ」


「いや、でもあのシーンって確かオレンジジュースの筈じゃ?」

「牛乳しか売って無かったんだよ。大して変わんないから飲めよ」

いや、だいぶ違うだろと思ったが、仕方なく僕がジミー・ペイジ風にオレンジジュースに見立てた牛乳を飲み始めると、撮影しながらも、すかさず下らないギャグを連発して笑わせようとするO先輩。

僕は思い切り吹き出してしまい、その様子をしっかりとフィルムにおさえたO先輩はとても満足そうにカメラを下ろした。

ステージ上ではサウンドチェックやリハーサルも滞りなく終えた。しかし最大の懸念事項である集客率は、まぁ2割弱といったところ。でも前3列くらいは埋まってるので、一応なんとかギリギリ格好つくかな?と思っていた。

O先輩
「お前らよぉ、これじゃ後ろスッカスカだからよぉ、もっと散れ、散れ」

とステージ上からお客さんに向かって言い放った。まぁお客さんと言ってもほとんど友達なので全く問題は無いのだが。

客席では例の巨大なゴムボールが、散り散りとなったお客さんの頭上を、まるで運動会の大玉運びの様にあっち行ったりこっち行ったりしていた。

そして、いよいよ本番直前となった時に事件が起きた。

お客さんの誰かがゴムボールをバレーボールの様にトスしたら(多分)誤ってステージ上に飛んでしまい、ヴォーカル用のマイクスタンドを直撃したのである!

マイクがオンになっていた為、「ボン!」という大きな音と共にマイクとスタンドは床に倒れた。それを見た他校のヴォーカリストは慌てて
マイクスタンドをお越し客席に向かって怒鳴った。

「誰だよ!倒したヤツは!出てこいよ!コレおニューのマイクなんだぞ!」

どうやらそのマイクは、この日の為に買ったものであるらしかった。多少凹んだり傷ついたりしたのかも知れないが、これだけ会場に怒鳴り声が響いているのだから取り敢えず壊れてはいない様だ。

執拗に「誰がやったんだよ?」と繰り返すヴォーカリスト。会場は見事にシーンと静まり返ってしまった。

見かねたO先輩とK先輩が「まあまあ、わざとじゃねえんだからいいじゃん別に。マイクも壊れなかったしよ、ロバート・プラントなんかマイクグルグル回して放り投げてるぜ。あの胸毛でだぜ!」と慰めてんだか、トドメを刺してんだか分からない言葉をかけてその場をなんとか収めた。

高校生にしたら高いお金払って買ったマイクを初日に、あんなに勢いよく床に倒されたら怒るのも分かるし、せっかくの場をシラけさせて欲しくないという気持ちももちろんある。

とにかく全体的に気を取り直し、僕は例の衣装に着替えていよいよ本番の時間だ!

僕がジミー・ペイジ風のベルボトムスーツ姿に、茶髪で背中まであるロングヘアー、※オーヴィルbyギブソンというギブソンなんだかバッタもんなんだか良く分からないレスポールを膝上10cmくらいの低い位置に構えて登場した時、客席の野郎共からは、野次2割、喝采2割、爆笑6割の反応だった。

そしてO先輩が仕込んだに違いない連中の「はや〜くしろ〜」という野次を合図に、K先輩がオープニングナンバーのロックンロールのイントロを、ハイハットとスネアを両手をクロスさせずに叩き始めた。

場内は一応なんとか盛り上がり、ロックンロール〜ブラックドッグと進み、幻惑されてでの弓プレイも受けて、ラストの胸いっぱいの愛をまで完全燃焼できた。

結局、冒頭のマイクスタンド転倒トラブルも本番には、何の影響も及ぼす事は無かった。

こうして、なんだかんだ色々な事が有りながらも僕達のツェッペリン号は無事そのフライトを終えたのだった。

O先輩とK先輩とは高校卒業後も1〜2年くらいは連絡も取り合っていたと思うが、結局はどちらとも疎遠になってしまった。30年近く経過した今となっては、もう連絡先すら分からない。

もしかしたらSNSを駆使すれば調べられるのかも知れないが、敢えてそれをしようとは思わない。もしO先輩がベースをやめていたら…、K先輩がドラムをやめていたら…、2人の才能豊かだったミュージシャンが音楽をやめていたら…(それは大いにあり得る事だ)僕はとてもやらせない気持ちになるだろう。それは寂しい。だから高校の時に2人の才能溢れる凄腕ミュージシャンがいた。それだけを良き思い出として大切にしておきたい。

※オーヴィルbyギブソンとは、80年代から90年代に日本のフジゲンや寺田楽器がギブソン社から正式に依頼を受け日本向けに生産されたモデルです。かなり上質なのに値段は本家の半分程というのが魅力でした。本文中では面白可笑しく"バッタもん"という表現を用いましたが決してバッタもんではありません。

僕、こんなアルバムをリリースしている人です。


私の創作活動の対価としてサポート頂けましたら、今後の活動資金とさせていただきます。皆様よろしくお願い申し上げます。