なつやすみ

社会人4年目、8月の休日。生まれて26回目の夏ともなるとさすがに飽きる。暑くて外に出る気にもならないし、蝉がうるさくておちおち寝ることもままならない。こんな季節なければいいのに。

僕はヨウスケ。自分の無力さをすべて夏のせいにしているが、気力のなさは夏限定ではない。休日は来たる翌週からの労働に向けて、いかに体力を消費せずに過ごせるかだけを考えるようになっていた。

思い返せば子供のころはアクティブな性格だったと思う。毎日日が暮れるまで野球に明け暮れ、友達も多く、今考えると赤の他人の人生のようだ。年齢を重ねるにつれ、何事にも興味が持てなくなり、中学で入った野球部は2年で退部。高校の時、心機一転始めた合唱部は1年ともたなかった。

大学時代はやりたいことも見つからず、バイトに全力投球することを誓ったが、結局これも長続きせず。4年間の大学生活で17回もバイトを変えた人間はそういまい。仕事を辞める口実づくりのバイトをしていれば輝かしい成果をあげられていただろう。

さすがにこれではマズイと感じ、環境を大きく変える目的で就職を機に地元を離れる決断をした。「新しい僕を観てみたいから」と両親に告げ、東京でのBrdnd New Dayを夢見て新幹線に飛び乗った。が、東京も僕の世話をしてくれるほど暇ではなかったらしい。目に映るものがキラキラして見えたのは最初の半年だけだった。気が付くと職場と家を往復するだけのロボットが完成していた。

ふとスマートフォンの通知で画面が光った。SNSからの通知だった。このユーザーはもしかしたらあなたの友達かも?といった内容である。「お節介なもの選手権」なるものがあったら、この機能は入賞間違いないなといつも思う。特にすることもないので、通知に従ってSNSを開くと、そこにはショウタ、アカリの名があった。

ショウタとアカリは幼馴染で小中学高校が同じである。何を隠そう、中学校の時ショウタと一緒に野球部に入ったし、高校の時、合唱部に勧誘してきたのはアカリなのだ。高校卒業後、バラバラの大学に進学し、見事に疎遠になった。よくある話である。二人の名前を久しぶりに目にした懐かしさと、外から聞こえる子供たちの遊ぶ声が、20年前の思い出を追憶させた。

あの頃僕たち3人の中では探検ごっこが空前絶後の大ブームだった。鮮明に覚えているのは夏休みのある日、虫網と虫かごを持って探検ごっこをしていた時のことだ。夏の暑さに拍車をかけるような蝉の大合唱があまりにもうるさくて、公園中の蝉を全部捕まえようという話になった。最初は捕まえるまで絶対家には帰るもんかと息巻いていたが、ものの20分ほどで暑さにやられて蝉取りを諦めてしまった。これがいわゆる”セミリタイア”というやつである。

来た道を引き返そうと振り返ると、このあたりの住人だろうか、50代くらいのおじさんが笑顔でこちらを見ていた。

「君たち、蝉を捕まえようと頑張っていたのか!知っているかい、蝉は土の中で6年か7年も過ごした後、ようやく地上に出たと思ったら1週間くらいで死んでしまうんだ。だから、その短い命を無駄にしないように精一杯鳴いているんだよ。僕たち人間も見習わないとなあ。」

当時の僕はおじさんの話に大層驚き、頭をバットで殴られたような衝撃を受けた。ちょうど僕が生まれてから今までの間ずっと土の中でじっとしていて、やっと地上に出てこられたと思ったら1週間しか生きられないなんて。想像するだけでゾッとした。僕も毎日を無駄にしないように生きないといけないと強く感じた。

この出来事がきっかけで、翌日から怠け者の僕が学校の宿題や自由研究に熱心に取り組んで両親をひどく驚かさせた。けれど、数日もするとそんな気持ちは薄れてしまい、元々ののんびりとした夏休みの時間が流れ始めた。そして案の定結局夏休み最終日に泣きながら宿題と向き合うことになった。

最近ニュースで、蝉が地上に出てから実は1週間以上生きていると、どこかの高校生が発見したという話を聞いた気がするけれど、蝉の一生が短いことに変わりはない。すっかり忘れていたこのエピソードは20年の時を超えて僕の頭を再びバットで殴ったような衝撃を与えた。それも金属バットで。

「蝉になんか負けてらんないよな。」

そう呟いて僕は立ち上がった。こんな風にぼんやりと毎日を過ごしている場合じゃない。後悔しないように生きていきたい。そんな風に心の底からふつふつとエネルギーが湧いてくるのを感じた。

「久しぶり!元気にしてる?今度久しぶりに集まって探検ごっこでもしない?(笑)」

僕は送信ボタンを押した。僕の中で20年前の夏から止まっていた時間が再び動き出したような気がする。僕に精一杯エールを送るかのような蝉の大合唱を聴きながら、そんなことを思った。


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