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どれくらい貧困と接続すべきか

今住んでいるシェアハウスから引っ越すことにした。

過去これまでも引っ越しは模索していたけれど、安い家賃と立地の便利さのおかげで、積極的に引っ越しする理由が持てなかった。古くてクセがある家だとは思うけど、自分が気になるポイントは家賃の安さで相殺できたという感じ。

引越し先(暮らし方?)のアテもあるけれど、人生何があるか分からないのでたとえ希望通りにならなかったとしても、今の家を出ることを優先に、新しい住人を探したり、部屋のものを減らしたりしようと思う。短期的に住むところはどこか見つかるでしょうと。

今の私は貧困ではないが、バックグラウンドとしては貧困な家庭に生まれて、そして倹約家や勤勉なほうではないお金の遣い方の下手くそな種類の貧困だったので、いまだに自分のアイデンティティとして貧困があるし、無視できない影響を受けている。

引っ越しをしようと思ったのも、リモートワークになってオフラインの予定が減り、活動が少なくなって、支出がシンプルになってきたからだと思う。ここをこう削ったら家賃がもっと上がってもなんとかなるんじゃないかと思えるようになった。これまでは、よく分からないうちにお金や時間が使われていて、今から考えると破綻していた(借金こそしてないけど……)。

お金の使いかたがむちゃくちゃでなくなり、古くて家賃の安い家から離れようとして、自分がアイデンティティとして持っていた貧困から距離が遠くなる。田舎で育ち、東京に移った人はもう田舎に戻りたくなくなってしまうのと同じで、貧困はもう距離を置いていい存在なのかもしれない。もし自分に、ちょっとした心の貧しさやストレスフルなところから離れる余裕があるのなら、離れてやるべきことに集中するのが、若さの減ってきた大人のありかたなのかもしれない。と思いつつも「自分のなかのネガティブな感情から離れよう」というような考え方に比べて、全肯定できない自分がいる。貧困出身の私が「もう貧困は嫌だ」と距離を完全に置いてしまったら、それこそ分断は進む一方なんじゃないか。さらには想像できる画一された未来しかないんじゃないか。この人すげーなとか、ぶっとんでるとか、ひょうひょうとしているとか、そういう存在でありたいのになとぶつぶつ思ったりしている。まぁ、引っ越しはするんですけど。

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