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猫の教へ 「貧乏からの離脱」

「いかに貧乏から苦労して這い上がったか?」

僕の趣味は貧乏で、JCに行くときに膝の抜けたスーツ着て底の抜けた革靴はいてたけど、「お前わざとやってるだろ!」ってばれてやめた。
貧乏から這い上がるのはわかんないけど
俺が生まれる前からうちは裕福で貧乏ではなかった
それもこれも「叔母の開運術」にあった。
宣伝かよ。(笑)

学校の勉強よりもSE技術と国家資格だと思っていた。
だから学校は適当で養成課程で難関無線資格をたくさん取ったし
教師はだいたい私を探しに電算室に来た。
なぜかというと1980年代から未来は、英語ではなく
コンピュータ言語を理解しないと意味が無かったから
大学受験「英語」よりもコンピュタ言語だったのだ。
物理のテストの時に パスカルの代入式 := を書いて
減点を食らって、 c言語の比較の == を書いたら
呼び出された。FORTRANやCOBOLはリエンジニアリングはできるけど
あまりよくわからない。
専門学校の実習で、COBOLからSQL分を呼び出すプログラム使ったら
エラーが出て担当教官を問いただしたら入っていなくて
「ちゃんと入れとけよ!」と文句を言ったことがある。
24歳の時におじいさんの会社に入って、真っ先にパソコン買って
プログラム組んで会社を自動化して社員を蒸発させた。
50何人一斉退職してOLさん2人しかのこっていなかった
それでもシステム開発を続けていたら、おやじと妹から
仕事が全自動化したから退職してくれと言われた。
さて、
どんな経営コンサルも「下りのエスカレータに乗らずに
登りのエスカレータに乗れ」
とアドバイスしている
だがどれが下りで何が昇りなのかわからない。
自分探しと似ている
つまり、昭和30年北海道炭鉱汽船に就職しないでUNISYSに就職しろと
北海道炭鉱汽船は下りのエスカレータで
UNISYSは登りのエスカレーターだった。
その前に3元9運説って知ってる?
私は、これで次に流行る産業を予定している
1982年から2003年は、女子高生とエンタメ、旅行だった
ちょうど女子高生が夕方5時にセーラー服着て歌って踊っていたらしい。
バイトで知らなかったが、みんなこれを見るために早めに家に帰った。
2002年から2024年は都心のタワーマンションとか高層ビル
そうしてこの時期は、皆不動産を買うので、#必要なものすら買わない
皆さん不動産を買う頭金をためるのだ。そうして夢にまで見た大矢さん生活にあこがれる。あんなの絶対に嫌。まめじゃないとできないよ。
では翻って1960年から1983年を見てみよう
この時代は重厚長大産業で、製鉄、造船、自動車輸出だ。
この時代、鉄の板金で自動車つくっていたけど
2022年からはカーボンファーバーで自動車つくるようになるだろう
2022年の造船なんてほとんどミサイルをレールガンで打ち上げる
ミサイル空母くらいしか用はないだろう。
で、1960年から未来にはやる産業に大型コンピュータ=unisysが
あったのだ。
1960年から1982年は大型コンピュータの時代だった。
IBMスパイ事件もこの辺でIBMは大型コンピュタを終わりにしようとしているとみていた。
米国では何か特許でもめるとその事業はいつも終わるのだ。
だが、1982年からはパソコンで、どんどんちいさくなっていって2005年には掌で踊る
そうして、大型コンピュータ同士は通信できないがパソコンと大型コンピュータで通信する時代が来る。株式のトレーディングの売買予約はこれでできるので、場立ちの人もいらなくなる時代が来る。
だが、真っ先にやればいいのに規制業種にしてたから場立ちの人は
1999年3月末までやっていた。ああ!
また、1960年からは石油の時代になり、原油価格が上昇していきながら
1962年ごろから石炭は安くなって採算が合わなくなっていく
だから北海道炭鉱汽船は北海道の石炭を扱っていたので1960年以降
冴えない存在となるし
お勉強ばかりで、社会常識を知らない人はがむしゃらに石炭会社に入って、1975年には失業して人生を見失い路頭に迷う
学生時代すちゃらかしてた先輩はUNISYSに入りやがて大型コンピュータとパソコンを通信させる時代が来ると独立して事業を展開し自分の会社を上場させる。
私は、12歳ごろに叔母に進路相談に行った
教師も親も未来が読めずに成績だけで就職先を決められちゃう。
成績のいいひとは北海道炭鉱汽船ですちゃらかな先輩はUNISYSだ
そうして叔母はコンピュタの時代が来てソフトウエアの仕事が伸びるからそっちへ行けと言っていた。だから高校時代はソフト開発重視の大学付属の工業高校にいた。でも授業には出ずにソフトばかり組んでいた。
就職も一通りSE能力があるからとバイト先の社長が大手の技術部長に電話をかけてくれ決まった。
そうして、在学中から学校公認のアルバイトで学校に行かずに卒業したが
私は高卒資格の中途採用組だった。
手の内を明かせばコロンブスの卵で、なあんんだ。となるだろう。
あの頃、こういう情報は一部の高級占星術師しか知らない技だったのだ。
今ではネットで調べれば簡単にわかる
「だれでも、楽して簡単に」というのはどんな社会でもあり得ない話だが、
ただ一つ言えるのは2001年9月ごろに2002年からタワマンションや高層ビルが商材になる時代が来るから宅建資格を取れと叔母に教わったので宅建を受けて苦労の末受かり主任者登録して叔母の不動産取引業の役員になった。
同時に金融知識が求められたのとreitを作りたい旨、息子のご学友のお父さんに相談したら時給500円で朝から晩までかばん持ちしましょう
とあの会社か!と息を飲む超有名会社の日本法人の社長のかばん持ちで
ノウハウを吸収しながら証券外務員資格と貸金業の資格とFP2級を取った
凍死信託を作る証券会社もグループ会社だったので掛け持ちでバイトして
投資信託を作る技術も習得した。こうして2004年準備万端整えていたらしばらくしてリーマンショックが来て不動産投げ売りになり英米欧の外資がみんな投げ売りして香港台湾勢力が安く買いなおしていく。貿易会社時代に香港台湾の富豪に教わってさらにお世話にもなったので売られているビルのリストをFAXでオファーして信用がないので大手を仲介業者に1度目はとられたが、その後手数料を下げて仲介業者に選んでもらった。
で、甥っ子が英国資本の大手不動産会社に入って右も左もわからないので
仕事を手伝った。英国人の社長は私が甥っ子の仕事を手伝っているのを知っていたが、黙認していた。
ただただ出世して本国に帰れる日を夢見ていた。
そこで私はビル掃除も適当に甥っ子と連絡を密にとり香港シンガポール台湾マレーシアタイのお金持ちを甥っ子に引き合わせ、ビルの仲介をさせた
たまに太陽光発電土地付きプラントの仲介もやった
甥っ子は年に何回か仲介手数料1億円で社長賞をもらった
23~4歳でめったにいないことらしい。
その表彰された昼に私は呼ばれ酒のないランチでねぎらわれた。
同時にその社長の運勢も見て開運術も授け、半年くらいで
シンガポール支社長、その3か月後に晴れて副社長でイギリスに帰った
そうして、このタワーマンソン、高層ビルの開発や仲介も2027年ごろに
突如として終る。なぜに終わるのかはわからない。だが終わる。
その後、スピリチュアルの時代が2022年から来る
これは2050年まで続く
2050年まで続くビジネスといえば、これから訴訟社会が来て
暗記中心の学校が終わるのでいち早く教育改革に取り組んだところが残る。
暗記とはナンバー6なので、ひらめきであるナンバーナインが必要になる
そうして、人工知能がホワイトカラーの職場を奪うので
大企業のホワイトカラーになるべく大学受験しても意味がない。
私の叔母は不動産業者をやりながら占星術師でもあるが
この流れは間違ってないと思う。
楽しては儲からないけど、常にのぼりのエスカレータに乗るために
準備をしてチャンスを待ち流れが来ていないけど時間的見切り発車でのぼりのエスカレータが動き出す
チャンスはどのタイミングで来るかわからないから
腕時計をいつも時間を合わせて
「時間になったら始め、時間になったら終えよ
何の本で読んだんだっけかな。そんなおちの前の解説がこれだった
全ての事業には、始まりと終わりがあり、始まりのエスカレータに
まだ市場ができていなくても乗ると後から市場がついてくるものだ。
私が学校で授業に出ずにすべての職場から労働者が蒸発するような
システム設計をしていてもそれはありでそのおかげで就職できたし
物流と貿易に未来も幸せも見えなかったのも叔母の教えがあったためだ
昭和の経営者は占いで来るべき未来を教わり成功していた。
良い占い師がついていたんだと思う。
是非貧乏からの脱出は、下りのエスカレータではなく、登りのエスカレータに乗りましょう

投げ銭というのは全然期待していません。日本では、戦後から平成にかけて廃れたので普及しないはず。重要な情報ほど、収益とリンクしないので。