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消費期限も賞味期限もなかった時代に育った私たちの役割

食品ロスは、今や日本人に認知されつつある深刻な問題の一つだ。
だからと言って、この問題が解決に向かっている訳ではない。

単純化して言うと、日本は食料の3/1を輸入して、総和の1/3を捨てている国だ。
もちろん、消費する生活者だけの問題ではない。食品メーカー、流通、小売り、それぞれでロスを生んでいる。

今ある状態を調査し分析し改善する。これが一般的なオーソドックスな問題解決法だと思う。しかし、複雑なサプライチェーンに加えて、それぞれのビジネスのプレーヤーの部分最適意識がなくならない限り解決は困難だろう。

今回は、消費する生活者の変化について、色々と考えてみる。
私が一番よく知っている新興国のベトナムにこういう食品ロスはあるのだろうか?
感覚的なもので言うと、日本の40年ぐらいか50年ぐらい前の部分と現代的な部分が混ざっている。

つまり、地方は言うまでもなく、大都会のホーチミンやハノイでも現代的なビルの裏側には、昔ながらの市場があり行商の人達がいる。
まあ、今の衛生的な日本で育った人では受け入れがたいと思うが、南国のベトナムの路肩では、当たり前のように肉や魚が取れたての姿で並べられている。

もちろん、大都会では年々こういう光景は少なくなってきたが、田舎に行くと全く変化がないと言っても過言ではない。
こういう生活の様子は、環境や雰囲気は違えど、私の生まれ育った農村ともオーバーラップする。
田舎に共通しているのは食品ロスは、ほとんどないと思えることである。

一方で、ホーチミンなどの都会のスーパーに行くと、日本のスーパーにはやや見劣り感はあるが、それでもここ10年の変化は印象的だ。
最近では、寿司のパックや刺身のパックまで登場しだした。
当然、消費期限は書いてある。もっとも、英語かベトナム語なのでニュアンスは違うと思うが。

ところで、日本には消費期限と賞味期限がある。
意外と混同している人も多い。
私なりに解釈する。消費期限は生ものなどで考えると分かりやすい。期限を越えて食べると食中毒や体に不具合があるリスクがありますよ。
賞味期限は、食べられるけど、この期限を過ぎたら美味しくはないですよ。と言う理解だ。
専門的な見解はもっと厳密だとは思うが・・

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私も仕事柄、食品メーカーと関わることもあるし、ベトナムで飲食店などを運営していると人並み以上にこの消費期限や賞味期限は重要視する。

しかし一方で、子供の頃の母親の教えも脳裏から離れない。
その頃の田舎は、質素な生活環境なので、食べられるものを捨てるという感覚はゼロに近かった。そもそも、そんなことしようものなら、米粒一つでも、親父に怒られた。

もったいないとか、お百姓さんに感謝しなさいとかいう前に、親父に怒られるから全部の残さず食べた。こんなことが体に染みついていると、例えば、自分の子供が小さいときに食事に行って、残ったものは自分が全部食べてしまって、肥満に向かう。

今どき、自分の親父のようには接することはなかなか難しい。
少し話はそれたが、私達、男3兄弟が母親に教えられたこと。それは食べて腹が痛くなったら食べられないということ。これのみだ。
たまに、今、母親に言うと、笑っているが・・
その母親も今は、賞味期限を気にしているのが何とも微笑ましくもある。

先ほど、ベトナムの事も書いたが、ベトナムの田舎に行くと間違いなくそうだ。炎天下で売っている豚肉や鶏肉、それに川魚。流石に生では食べないにしても、食べてみないと分からなさそうである。

私は常々思っていることであるが、衛生的すぎる今の日本、不衛生だった日本の昔、衛生的になりつつあるが、田舎に行けば不衛生なベトナム。

こういうコントラストに触れていると、一体、人間にとって何が正しいのかは分からなくなる。

少なくともいえることは、消費期限、賞味期限のことを正しく理解し、食品ロスを出さないような生活者の行動様式の変化が必要だと思う。
私は、流石に消費期限が過ぎた生牡蠣や刺身は食べないが、賞味期限を過ぎたお菓子やアイスは買い過ぎたという反省も込めて、できるだけ食べている。

コロナ禍前の日本も過食の国だった。もう3年前の事になるが、カリフォルニアの友人を訪ねた時、レストランで食事して驚いたことがある。お客さん全員が、食べ残ったものを持ち帰っていた。店もそれを前提としているようだ。今の日本だと、衛生上の問題でなかなかできない。

外食の在り方が劇的に変わりつつある今。家での食事も激増した。食べ残しも減ったのではないか。日本も今回が変わるチャンスだと思う。

以上

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