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読書の秋に改めて考える人間と読書

読書の秋。
世の中のほとんどが知っている言い回しだろう。

場所によって違うが、神戸近辺であれば、初秋だろうか?
秋に対する私の感覚では、思いっきりホットな活動的な夏が終わり、落ち着いた時間がやってきて、もの悲しさも感じる季節だと思う。

私はとにかく夏が好きだ。
だから、常夏のベトナムでも平気なのだが、日本に長らくいると、日本の季節感が見事に蘇ってくる。かれこれ2年近く海外に行かなかったのは、30年ぶりだろうか。

改めて考えてみると、日本の季節は変化に富んでいるし、南北に縦長の日本の四季は実に多様だ。今、私のいるところは初秋だが、北海道の場所によっては初冠雪もあったようだ。

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読書の秋。
言い得て妙で、確かに読書をしてみようかなという気分になる。
これはなぜなのか?

一つは、夜の時間が長くなってくるからであるのは間違いない。
実際、今は日が暮れるのが、関西では、18.00前になって来た。
私なんかは、コロナ禍前であれば、仕事と言いながら、毎日のように飲み会だった。しかも、国内外でだ。落ち着いた時間などなかった。

それが今や、日本にどっぷりの状態に加えて、飲む機会も激減した。
同じような人も多いだろうし、以前から秋の夜長に読書と言う習慣の人も沢山いるだろうと思う。
ところで、私は、こんなことを書きながら、夜は余り読書しない。そもそも、そんなことをしたら、すぐに寝てしまう。

世間から言わせると私は超朝型で、深夜族が眠りにつくころに、私は目が覚める。
私にとって、今でも夜は短く、朝が長い。
少し細かく書くと、私は朝日を見るのが好きなので、日が一番長い夏至の頃であれば、4時ごろから朝日を観に出かけることもある。だから、幾ら朝型でも、朝の落ち着いた時間は少ない。

それが、だんだんと一日が短くなってくると、朝日が出るのが7時ぐらいになってくる。
朝の時間は、私にとって数時間もあるのだ。
だから、私は、まだ暗い朝の時間が長い。夜に読書する人と同じだと思うが、絶好の読書の季節になる訳である。

もう一つ、秋に読書したくなる理由を考えてみた。夏は活動的だ。活動するという事は、どちらかというと、実践の場が多い。仕事に限らず遊びもアクティブに行ける。エネルギーを充満しつつも、発散することになる。

当然、知的な情報や知恵も、使い果たすかもしれない。車で言えば、ガス欠が近づくのではないだろうか。

日本の場合は、秋の次は冬がやってくる。人間が冬眠するわけではないが、あまり活動に向かない時間だ。日本の場合の四季の循環に合わせて、日本人は読書の習慣があるのではとも思う。

つまり、秋にしっかり読書でリセットし、次の活動に備えて、知的ストックを充実させる。そして、春が来るまで、じっくり醸成させる。

夏に一気にストックを活かした活動をする。
もちろん、少なくとも、時間に追われている現代人は、こんなサイクル通りには人間は、動いていないと思う。

でも、江戸時代にさかのぼって考えると、時間はゆったりしていただろうし、季節感も今よりも鮮明だったと思う。
いずれにしても、読書は、人間としての生きるための肥やしだと思う。
季節に沿う必要は必ずしもないが、読書の習慣をしっかりとこの秋に身に付けてはいかがだろうか?
これは、私が20代後半からしか読書をしてこなかった自分の反省も込めて、今、真剣にそう思う人の一つである。

以上

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