絵描き/ライブペインティングパフォーマーの僕の自己紹介(その③)
あまりにも長くなってしまっている自己紹介。今まで2回に分けて書いています。今回は最終回の予定です!
【大学院卒業後〜絵に出会うまで】
前々回と前回で僕の幼少期、小学校、中学校、高校、大学、大学院まで書きました。そのあと少しだけアルバイトをしたものの、僕がいわゆる社員として最初に働いた場所は東京の表参道にあるクレヨンハウスという子どもの本専門店です。
クレヨンハウスは日本でも最も早い頃に誕生した子どもの本専門店だそうです。
ですのでスタッフに求められるのはとても高かったです。とにかく絵本や児童書に関する知識がたくさんないといけないのです。なぜかというと専門店ということでお客様が「小さい頃読んだ本で〜〜〜という記憶があるのだけど〜〜」とか「黒っぽい絵で、所々に赤い傘が現れて。。。」とか「お菓子の壁を通り抜けるとめちゃくちゃ天国みたいな場所が現れて。水道の蛇口をひねるとジュースが流れるんです」っていう感じでお客様は本を探しにきます。
そこで「それはきっとこれですね」という感じで差し出すことが求められました。
クレヨンハウスの副社長が僕は大好きだったのですが、その副社長が「近藤さん、まずは1ヶ月で1000冊絵本読んでね」と入社してすぐに茶目っ気たっぷりの顔で言ってきたとき最初はジョークかな?と思ったのですが本気でした。
それで僕はほぼ毎日1日に30冊ぐらい絵本を読む日々をしばらく続けます。会社にいる間には読みきれなくて家にも持って帰って読んでいたのですが、一度電車に忘れるというパニック事件もあったりなかったり。。。
無事に見つかって駅に取りに行ったら駅員さんが「お子さんにこんなに絵本読んでいるんですか!!」ってめちゃくちゃビビられたのもいい思い出。(本当にすみません)
あと日本の代表的な作家さんのことは特に重点的に知らないといけないので特集された雑誌などもバックナンバーも含めて読み漁りました。
(↓これとかよく読みました。)
それとクレヨンハウスは新刊会議というのが月一回あってその月に出た新刊を全部読んできてみんなで話し合うという会議もあって合わせて新刊も読まないといけないという。一時期、僕は本当に絵本に詳しくなりました。
その中でも長新太さん、植田真さん、せなけいこさん、深見春夫さん、今江祥智さんなどなど大好きな作家さんが増えていきました。そしてクレヨンハウスの嬉しいところはそういう作家さんたちの講演会があったり、原画展があったり、サイン会があったり、時々ごく普通にふらっとお店に遊びにきてくれたりするのです。
そんな時はクレヨンハウスには地下にレストランがあるのですがちょっとご一緒にお茶をしたりすることもありました。大好きなせなけいこさんとお茶をした時は本当に嬉しかった。。。師事された茂田井武さんのお話や、電車に乗った時にたまたま目の前にいた男の子と遊んだ話などなど。。。楽しく話したあとお見送りをしていたら「これであなたと私も友達ね!」とおっしゃってくださった時のあの笑顔今でも忘れません。
そんな風に3年ぐらい働いていたら地下のレストランに音楽が大好きな僕よりずっと年下の大好きな男性スタッフが入ってきました。お互いにfishmansが好きだったりしてだんだんと仲良くなって、そのうち彼のお家に泊まりがけで遊びに行ったりもしました。それで彼のお家に泊まって僕が酔っ払ってベットに寝そべっていると彼が「近藤さん、mixiやっていないの?」と聞いてきました。
僕が「やっていないよ」というと「面白いからやりなよ、登録してあげる」と勝手に携帯をいじってmixiに僕を登録しました。
それで「登録したから日記でも書きなよ」って言ってきました。僕はなんか日記も書くのも変だなぁと思い、絵を描いてみました。絵を描く道具もないから最初はwindowsについているペイントという超簡単ソフトで描きました。
そしてそれをmixiにアップしたらなんか褒めてくれる人がいるのです!!そして僕自身も「自分は絵が上手いんだ」と思っていまいました。なんて恐ろしい。。。
だって当時僕が描いていた絵はこんな感じなんです。
(本当にこの絵を見てくれて「いい」と反応してくださった先見の明がありすぎる皆様に心から感謝です。あれから15年僕は今絵描きとして暮らしています。。。)
これが僕が絵に出会った瞬間です。
それで調子に乗った僕はほぼ毎日絵を描いてはmixiに投稿する日々が続きます。何が僕をそこまでかきたてたのかわからないのですが4時とか5時とかに起きて出社する時間まで絵を描いていた日々も。。windwsのペイントでマウスでカチカチと描いていたのです。
するとさらにびっくりしたことにカフェギャラリーの店主がやはりmixiで僕を見つけてくれて「うちで展示をしてみない?」と声をかけてくれました。2007年、僕が32歳の時です。
それが僕の人生のはじめての個展です。しかもwindwsで描いていたから出力して展示するというなんとも微妙な展示。個展のタイトルは「A4サイズ、青色」というもう笑っちゃうぐらい出力紙そのままのタイトル。そして嘘みたいに味気ないフライヤー。たまたままだ手元にあったので写真撮ってみました。
こちらです。
すごいよね。これ。枝の生え方めちゃくちゃだし、そもそも木の枝とか幹から離れちゃっているのもあるし。。。
会場は中野にある「una camera livera」というお店でした。
ちなみにこの個展では流石に全部出力紙だとまずいと僕は思ったのか、一枚だけ手描きの絵にチャレンジします。だから手描きの絵に出会ったのはこの時が最初です。
その絵がこちら。
この前久しぶりにこの絵を自分で見て思わず声を出して「嘘でしょ」と言ってしまいました。。。。あの、、、30過ぎのおじさんが急に絵を描こうとしたらこんなことになるんですね。。あの鹿みたいのなんなんですか??あと小さいクマみたいのもいるし。なぜか右下から腕が伸びて傘さしているし!!!!
本当に今よく絵描きになっているなぁと思っています。人生は不思議だし、人間は成長するものだ!
そんなわけではじめての個展があり、そのあとは割と順調に個展を続けていきます。その中でCHUBBY高木さんという僕の中でも本当に重要な出会いがありました。高木さんの詳細はこちら。
【ライブペインティングに出会い会社を辞めるまで】
そんなこんなでmixiで絵を描き始め個展を重ねるうちに手描きでの絵の比重が増えていきます。そして絵の勉強を全くしてこなかった僕は独学で色々と覚えていくことになります。
本当に一からの、そしてかなり偶然に頼った勉強。画材屋に言っては「どうやら絵の具って、油絵とか水彩絵の具とかアクリル絵の具とか色々あるみたい」とか「アクリル絵の具っていうのはリキテックスとかホルベインとか色々メーカーがあるみたい」とかとか。
それで買っては試してみて。そんなことをずっと続けるうちにだんだんと今の道具に落ち着いてきました。これは本当に面白い過程で「あぁ、この絵の具をこういう風に使うとこんな具合になるんだ!!」とか「待って!この筆使うとこんなに細い線引けるよ!!」とかなんていうか原始人がだんだんと立つことを覚えて、火を覚えて、住居を覚えてというような歩みというか。。。
その分、独学で適当に試すもんだから独自の技も随分開発して絵描きの人から「何それ!!」と驚かれるようなことも自然とマスターしていきました。
独学のいいところはそういうところ。
絵はそんな風に描き続けていたのですが、その頃僕の生活の大きな部分を占めていたのは音楽でした。僕は音楽が大好きで鳥取にいた頃はほんとんどライブハウスなんて行けなかったのですが、こっちだとすぐに行ける。それが嬉しくてたくさんライブにいくようになりました。
それで仲良くなるバンドも現れました。最初は二つ。一つはの日記に書いたPLATON。そしてもう一つがbirds melt skyというバンド。(このバンドはいまだに仲がいい。)
birds melt skyはボーカルの前田くんと僕がやはりmixiで繋がったのがきっかけでした。そう思うとmixiにはめちゃくちゃ感謝です。ありがとう。
お互いにマイクミルズが好きだったり、fishmansが好きだったり、なんか共通の趣味が多くてそのうちにやり取りをするうちに「ライブに遊びにきてよ」という流れになりライブを聴きにいきます。
それでライブが終わった後に楽屋に遊びにいくとその時対バンで出ていたトレモロイドというバンドもいて、なんか雑談をしているうちにその時僕がやっていた個展の話になり「今度みんなで行くよ!」という話になりました。
その個展が中野のカルマで開かれていた 『色とリズム』(中野カルマ)です。それでメンバー4人とお酒を飲んだりしてどんどんと仲良くなっていきました。
思えばこれがとても重要な出会いで、そのトレモロイドのベーシスト高垣空斗くんが当時個人の自主企画「thanks for today」というはじめ用としてそのプレイベントというか「thanks for today vol.0」というのを開催することになりそれに僕を誘ってくれたのです!ご一緒したのはトレモロイドのギターボーカルの小林陽介くん。
とはいえ最初は僕はライブペインティングをするつもりはなかったのです。そもそもそんな発想がなかったというか。持っている絵を投影でもしようかなぁと考えていました。
でも投影するにはプロジェクターを用意したり、流すように画像を整理して、そしてパソコンでうまく流さないといけない。。。そんなことを考えているうちに得意の面倒臭い精神が発揮されてきて「なんか絵でも描けばいいんじゃない??」という発想になりライブペインティングをすることになりました。これが人生の初ライブペインティングとの出会いなんだから恐ろしい。。
人生初めてのライブペインティング。どうすればいいのか全くわからなかったけれど、こちらも得意の独学精神でなんとなく道具を揃えてやってみました。それがとても楽しかった!
これもめちゃくちゃ大きなことだと思うのですが陽介んくんが素敵なアドバイスをしてくれたのです。
「康平くん、僕たちバンドも今までライブペインティングとコラボをしてきたことがある。でも正直いうとしっくりこなかったんだ。なぜかっていうと僕たちが演奏しているずっと向こうの壁の方で絵を描いている人がいる。お客さんはどっちをみていいかわからない。その人は演奏中もMCの間も転換の間もずっと描いている。音楽とのシンクロもないし、僕たちもそれに合わせて演奏することもできない。そういうのはコラボじゃないと思うんだよね」と言ってくれた。
それが結局僕の今のライブペインティングの基本的な方針。
●なるべく演奏者と僕がお客さんの視点で一つに入るようにする
●音楽に合わせて同期して描く。その絵は即興でその場でその音楽で生まれるようにする
●どちらかがどちらかの添え物ではなくてお互いが影響を与えあいコラボしたからこそ生まれる何かを産む
そんな風にライブペインティングを考えるようにしてくれたのは陽介くんのおかげ。
そうそう、このイベント僕の最初のライブペインティングの経験をくれただけではなくてもう一つ大きなことがありました。それは原田茶飯事くんがそのイベントに出ていたのです。
彼も大阪から上京したて。確か引っ越してから2回目のライブだと言っていました。
僕は彼のパフォーマンスにすっかりひきこれました。それで終わった後も飲んで一気に仲良くなっていくのです。
それで当時東松原にあったcokageという一軒家カフェで自主企画をするようになり、原田茶飯事くんにはしょっちゅう出てもらいました。その頃、出てもらったのはplaton東くん、トレモロイド、名古屋の24の若杉くん、birds melt sky前田くん、alohaの西尾くん、animaの小島ケイタニーラブ、Hermann H. &The Pacemakersの溝田さんとか。。。本当に懐かしい。
そして茶飯事くんとどんどん仲良くなっていった僕は茶飯事くんに誘われて人生初めてのツアーに出るのです。愛媛、徳島、岡山、京都のツアーです。それが2012年のことです。
そのツアーでは道後温泉に入ろうとしてタクシーに乗ったらおじいちゃん運転手さんで僕たちが「道後温泉はどんな温泉ですかねぇ」と質問したら「そうだねぇ、道後温泉はねえ・・・・あったかいよ〜」と脱臼もののお返事をくれたり、僕が茶飯事くんに自慢げに「僕はこの気功体操をこの数年しているから全く風邪ひかないんだよ」と言った翌日に猛烈に具合悪くなったりなかなか思い出深い旅でした。
そうそう、仕事の方でいうと僕はクレヨンハウスを6年間ぐらい勤めた後、他の会社に移ります。こちらは絵本と児童書の編集者の仕事でした。
編集者の仕事はめちゃくちゃ楽しかったけれど、でも全然向いていなかった(笑)
僕は注意力散漫なのかよく誤字脱字があったし、チームプレーが得意ではなく会社にも迷惑たくさんかけたと思います。(伝説の「太郎」と「次郎」の名前を間違って出版しちゃった事件とか「長野県」と「山梨県」が逆だった事件とか乱発。本当にすみませんとしかい言いようがないというか。。。)。
それに一番思うのが出版というのは流通を含めてシステムとして成り立っているのだけど僕はそういうシステムに接するのが本当に苦手だった。苦手というか恐怖に近かった。本が出来上がると取次という本を流通させる会社に行ってその本を登録というか流通してもらうようにしなくちゃいけないのだけど、そういうのが本当に苦手だった。なんでだろう。もうそういう性格なんだからしょうがない。
そんな風に悩んでいるところに、茶飯事くんにツアーを誘ってもらったり、ありがたいことに都内でのライブも増えてきてそれで僕はこのまま会社員を続けるか絵だけで食べていくのか決めなくちゃいけないなぁというタイミングが来ました。
それで僕は会社員を辞めて絵だけで行こうと来ました。
この時もなんかめちゃくちゃ必死に導いた結論とか、色々と計算を踏んでの結論とか、そういうのと全く程遠くてなんていうかふわっと辞めてしまったというか。なんとかなるだろう、、ぐらいというか。なんとななんなくてもなんとかなるだろう、、、という無責任に近い楽天主義を発揮してしまいました。
これも小さい頃から両親が「康平は大器晩成だから焦らなくていいのよ」と育ててくれた影響です。今僕は44歳だけどいまだにそんなことを考えているから恐ろしい。一体いつ成長するつもりでいるんだろう。。。
、、、ってまた長くなってしまい力尽きてしまったので今日はここまで。
僕は29歳で絵に出会い、33歳でライブペインティングに出会い、37歳でライブペインティングツアーに出るようになり、そして会社を辞めます。
本当に遅いゆっくりとした道のりだと思います。
次回はそれから今に至るまでの予定。
サポート本当にありがとうございます。サポートしていただいた分は絵の製作の助けとさせてもらい、よりよい製作に励みますね。