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雨と記憶。

「日曜日は一日中雨のところが多いでしょう」。

そんな予報を聞いてうんざりしていた金曜日。
せっかくの週末だっていうのに。

とはいえお天気と喧嘩しても始まらないので、土曜日は前から気になっていた日本酒と、それに合いそうな食材を買って家に帰った。

日曜日。防音のやたらいいマンションの自宅で、ぼんやりと目が覚める。
窓を開けると、それまでの静寂が嘘のように雨音が部屋に入り込んでくる。

雨音をBGMに二度寝しようとするも、雨音が激しすぎてよく眠れない。

窓を閉めて、またベッドに潜り込む。

また起きると、まだ雨が降っていた。
ざあざあと、外出を怯んでしまうような雨。

このくらいの雨が降ったのはいつぶりだろう。
ふと、数年前の台湾の山奥でのことを思い出す。

激しい雨の中、雨宿りに駆け込んだ建物の外に、みんな傘を広げて置いていた。青々とした緑生茂る山の中、雨は一向に降り止まない。雨に閉じ込められたようなそんな時間だった。自分が「今ここ」にしかいないあの感覚。

なんでこんなところにいるんだっけ。
雨、いつ止むのかな。

そんなことを考えるのも忘れてしまうくらいの激しい雨。圧倒的な自然。

「圧倒的な自然」というものに、この1年は触れていないような気がする。都会は目を見張るような人工物に溢れている。天高くそびえるビル、地下奥深くを縦横無尽に行き交う電車たち、計算尽くで整備された公園。

それが都会の魅力なのだともわかっている。だからこそ余計、「圧倒的な自然」が恋しい。

肌を刺すような凍てつくほどの寒さや、遮るものの何もない空や、寄せては返す波音が当たり前のように日常にある風景が。

夕方になって雨が止んだ。部屋の照明を落とし、窓を開け放って、夜風を入れながら、ゆるゆるとお酒を飲む。湿気をたくさん含んだ空気の匂い。どこかの軒先にたまった雨の滴る音。風に揺れるカーテン。

「圧倒的」でなくても、この街にも確かに自然はある。風がまた吹いて頬を撫でてゆく。

ありがとうございます。いつかの帰り道に花束かポストカードでも買って帰りたいと思います。