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花の祖母、海の祖母

【花の祖母】
 どちらも他界して随分経つが、私には二人の祖母がいた。
同居していた父方の祖母は、私の両親が共働きだったので、一緒に過ごす時間が長く、妹と二人、愛情深く育ててもらった。
 花の好きな人で、様々な花を育てており、キンモクセイ、クチナシ、ミヤコワスレ、ヤマブキ、などなど、幼い頃に知った花の名前は、すべて祖母から教えてもらった。
 ミヤコワスレの名前の由来が、佐渡に流刑された順徳天皇の和歌だとか、ヤマブキの名前とともに、太田道灌の話を聞かされ、当時は名前など詳しいことは覚えていなかったが、話のアウトラインはずっと記憶にあり、大人になってから『あれはこの話のことだったのか』と、感動した。

 小学校の頃、校舎の裏山に咲いていたスミレがあまりに可愛くて、家の花壇で育てたいと、根っこごと掘って持って帰ったことがある。
 が、家に着く頃にはクッタリとして生気がなくなってしまった。
持って帰らなければ良かったと後悔しつつ、祖母に『どうしよう』泣きつくと、『スミレは強いから大丈夫や』と、花壇の隅に植えてくれた。
 祖母の言うとおり、スミレはたくましくも、毎年春に可憐な花を咲かせてくれ、私の目を楽しませてくれた。
 時折、舗装された道路を割って、たくましく咲いているスミレを見ると、祖母を思い出し『見かけによらず強い子やねぇ』と心の中で話しかけている。

【海の祖母】
 母の実家は、目の前が海だった。
夏休みの宿題の写生で、何度かその海を描いたことを覚えている。
 母方の祖母は、若い頃に小学校教諭をしており、絵の描き方などもアドバイスしてくれたり、玄関先での脱いだ靴の揃え方など、行儀にも厳しかった。
 けれど、誕生日などは、『何でも好きなもの買いなさい』とおもちゃ屋さんに連れて行ってもらって、親には買ってもらえないような高価なや人形をプレゼントしてもらった記憶もある。

 ひとつ強く印象に残っていることがある。
あれは私が20代入ってすぐの頃だったか、二人で散歩している時に、祖母から『あの雲は何に見える?』と聞かれたことがあった。
祖母が指差す方には、横長に連なった雲。
それは、一目で何かを想像できる形ではなかった。
私はしばし考え『十二支の動物かな』と答えた。
我ながらなかなか良い答えと思った。
しかし、祖母は『案外普通やな』と、がっかりしたように言った。

 あの時、何と答えたら良かったのだろうと、よく考える。
祖母は私に何を見出したかったのか。
『愛』とか『走馬灯』とか、形のないものを言えば、少しは祖母に感心してもらえたのかな、など。
 あの世で再び会えたら、聞いてみたいけれど、祖母はきっと答えてくれないのだろうな。
そういうところも好きだった。

 花の祖母と海の祖母。
もうこの世では会えない二人には、花を見たり、海や空を見る度に会って、『今』の私と会話している。


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