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【読書備忘録】ブリーディング・エッジから犬を愛した男まで

 前回から間が開いてしまいました。相変わらず陰気な読書生活を送っていたのですが、長期的な体調不良とか色々かさなり執筆速度が著しく落ちていました。ただでさえカタツムリより鈍足なのにこの為体。到底許せるものではありません。年末も近いですし、もうちょっとお尻を蝋燭の火で温めて加速しようと思います。
 今回は偉大なる現代アメリカ文学の巨匠、トマス・ピンチョン御大の最新作から始めます。最後までお楽しみください。


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ブリーディング・エッジ

*新潮社(2021)
*トマス・ピンチョン(著)
*佐藤良明(訳)
 栩木玲子(訳)
 現代アメリカ文学の頂点に君臨する覆面作家の最新作は、二一世紀を迎えたばかりのアメリカ社会を著者独特の語り口で再構築する意欲作である。アメリカの新世紀は波乱とともに始まった。ドットコム・バブルの崩壊で企業の倒産は相次ぎ、動揺がおさまらない内にアル=カイダによるテロ攻撃がおこなわれて多数の犠牲者が出てしまった。このバブルとテロを関連付ける本作品はポストモダン文学の怪物が九・一一に言及するという世界文学史の観点からも注目に値する小説といえる。物語はバブル崩壊の影響を受けているニューヨーク。不正会計調査を務めているユダヤ系シングル・マザーのマキシーン・ターノウは、連鎖的に倒産する状況下で成長を続ける新興IT企業に目を付けると、母親譲りのお節介な性質に突き動かされて調査を開始。首領のゲイブリエル・アイスに不審な点を見付ける。それはディープ・ウェブで情報秘匿を商売に利益をあげるほか、アラブ首長国連邦方面に送金していることである。送金は何を意味するのか。受け取り手は何者なのか。意味深長なゲイブリエル・アイスの足跡は、イスラム過激派、他国の工作組織、アメリカ国防総省の情報機関などの関与を予感させて、見えざる世界に渦巻く陰謀の気配をただよわせていく。大まかな筋はこのような具合。けれども著者はトマス・ピンチョン。単純明快に物語ることはない。精密機械のような構造と破天荒な設定を組み合わせ、コミカルな登場人物を次々投入しながら注釈がなければ混乱必至の豆知識を散りばめることで、読者を煙に巻くという悪戯をしかけるところは半世紀経っても変わらない。



黄夫人の手 黒石怪奇物語集

*河出文庫(2013)
*大泉黒石(著)
 大泉黒石は「国際的の居候」を自称し、無頼派に先駆ける作風で大正後期から昭和前期まで旋風を巻き起こした。けれども国家主義的な社会と閉鎖的な文壇は黒石の文学を許さなかった。それは日本人とロシア人の混血児である彼の出自を忌避する偏見と、両国を往来する内に培われた彼のアナキズムを白眼視する風潮が蔓延していたためだ。結局黒石は一世を風靡するも昭和初期には文壇を去った。家庭環境と政治情勢に振りまわされる人生はお世辞にも順風満帆とはいえなかった。彼の小説家としての数奇な遍歴はニヒリズム文学というかたちで現代に語り継がれていて、その片鱗は「黒石怪奇物語集」と銘打ち編纂された本作品集でもうかがえる。表題作は人体の一部に追跡されるというおぞましい内容。明治維新以降大勢の中国人が渡来していた長崎の新地街を舞台に、奇妙な家族と交流する貧乏学生の恐怖体験を容赦なく描きだしている。幻影なのか実物なのか判然としない対象物の表現法が素晴らしく、ロシア文学を連想させる密度の高い文体も魅力的。弥次郎兵衛と喜多八の問答をパスティーシュして滑稽な愛憎劇を展開する「弥次郎兵衛と喜多八」然り、皮肉を極めた因果から悲劇的な離別を描く「尼になる尼」然り、人間精神の暗黒面を怪奇物語に変換する創造力が突出していて、怪奇幻想文学の名手としても、日本近代文学の異端児としても評価に値する文豪である。大泉黒石の執筆活動が短期間で幕を閉じたことは日本文学史における災厄といえるかも知れない。



*新潮文庫(1983)
*長塚節(著)
 夏目漱石の推薦により東京朝日新聞で連載後、明治四五年に春陽堂より刊行された『土』は農民文学の傑作と謳われている。舞台は長塚節の出身地とかさなる茨城県鬼怒川沿いの農村。小作人の勘次は貧窮する一家を支えるため利根川の工事に出かけ、妻のお品は農作業と行商に追われていた。二児を授かりながらも子育てに専念する余裕はなく、家では娘のおつぎと息子の与吉が腹を空かせて待っている。とはいえ幼い与吉が泣き騒いでもお品の乳は出ないため砂糖を舐めさせて誤魔化すほかなかった。こうしてその日暮らしを続けている内、お吉は堕胎の措置が悪くて急死してしまう。勘次は悲しみに暮れるも子供を育てなければならないので、おつぎに農作業と家事を徹底的に教え込む。数年後には醤油蔵で火の番を務めていた義父の卯平と同居することになるのだが、卯平と仲違いしている勘次は日常の中で鬱屈した感情を抱き始める。不和の原因はお吉との恋愛結婚である。駆け落ちも同然の結婚が卯平の不興を買い、勘次も気を許せないことから疎遠になっていた。年老いたため招かれた卯平はおつぎと与吉には懐かれるものの、相変わらず勘次とは険悪な視線を交わし合うばかりであった。二人の間柄は物語の肝だけに入念に綴られていて、読みながら不仲の親類と時間を共有することの息苦しさを味わわされることになる。しかも『土』は和解を求めて人情話に舵を切るどころか、農民たちのよこしまな心象を掘りさげていく。読者次第で感想は異なるかも知れないけれど、この小説に登場する農民は好きになれない嫌な奴ばかりなのだ。健気なおつぎは数少ない良心であり、農村を照らす太陽のごとく映る。出る杭は打たれる。暗黙の了解は求められる。同調圧力はかけられる。四季折々の農村風景を写生する筆致と、言文一致を極めた茨城弁の台詞まわしで表現される農民像は終始陰気臭い。こうした物語における田舎の陰気臭さを楽しめる人には『土』を強く勧める。



物語 ラテン・アメリカの歴史 未来の大陸

*中公新書(1998)
*増田義郎(著)
 ラテンアメリカの小説を愛読しながら、何故か未読のまま幾星霜。文化人類学者の増田義郎氏によるラテンアメリカ通史を初めて手に取った。初版発行以後も中南米の情勢は揺れ動いているけれど、その原因は遠い昔より刻み込まれてきた歴史と不可分であり、本書で語られている史実を知ることは現在の情勢を理解する上でも大きな助けになる。新書形式の概論ながら内容は濃密。解説は二億五〇〇〇万年前から始まる。現在のアルゼンチン北西部で発見された肉食獣の骨は三畳紀後期の中南米に恐竜が生息していたことを証明し、その後の中生代の肉食恐竜・草食恐竜の化石発見で南アメリカ大陸が独立するまでの経緯が明らかになってきた。ここから話はアメリカ大陸の地理的構造と動物相の変化に移り、ある意味もっとも面倒臭い生物であるヒトの登場に至る。プロローグの時点でぐいぐい好奇心を刺激してくる。本書の構成は全一〇章で成立していて、古代アメリカ文明の発展、コロンブスの渡来を契機とする列強諸国の進出と植民地化、ラテンアメリカ各地で活発化する独立運動といった激動の歴史を辿っていく。また植民側だけではなく、圧力をかける列強諸国の内情と意図にも迫ることでラテンアメリカの客観的な映像を作りだし、世界史におけるラテンアメリカの高度な存在価値と可能性を可視化している点も理解を助けてくれる。巻末に付記されている特別な用語欄と史略年表も参考になる。



日本文学史早わかり

*講談社文芸文庫(2004)
*丸谷才一(著)
 読書備忘録では便宜的に中世や近現代なる言葉を使っているけれど、実は日本文学史の分類法には疑問を抱くことがある。近現代文学の時点で境目が曖昧なのに、近現代文学以前の古典が対象になると輪をかけて不明瞭になるのだ。中古文学と近世文学の相違は何か、中古文学と近世文学を区分けする決め手は何か。どうも判然としない。それも指摘されたら納得のいく話で、そもそも日本文学史に使われている五分法は政治史を基準に、政治的変遷に合わせたもので文学的変遷を反映しているわけではない。しかも英文学史を元とする一九世紀西欧の流行思想をそのまま取り入れたのだから歴史的展開に齟齬をきたすのは当然の結果である。とはいえ歴史の全体を捉えるには時代区分を要するので(だから前述の通り筆者も時代区分のお世話になっているわけで)、文学の独自性を損なわない時代区分はないのか。そこで丸谷才一は詞華集を目安にした時代区分を提案する。詞華集とは詞花和歌集の略語で勅撰集を指す。その破天荒な発想に初めは意表を突かれたものの、日本には宮廷主体の編纂事業が何世紀もおこなわれてきた歴史が存在するので、文学史を作成する上で勅撰集は無視できるものではない。政治史ともわけられるし、文学の自律性も尊重できる。いわれてみると日本文学の特性を生かした分類法なのだ。宮廷文化の準備期である八代集時代以前に始まり、宮廷文化の絶滅期である七部集時代以後に繋がる年表も面白いし、日本文学史の見取図として留意する価値は充分にある。初版発行年は一九七八年だから半世紀近い年月が流れている。それだけに現在は七部集時代以後のままなのか、七部集時代以後からは抜けられるのか、架空の見取図を眺めながらそうした想像に耽ってしまう。



ゴーレム

*白水Uブックス(2014)
*グスタフ・マイリンク(著)
*今村孝(訳)
 神秘思想を基盤とする幻想小説を発表し、後世に名を残したオーストリアの小説家グスタフ・マイリンクの代表作。マイリンクはユダヤ教の創造論であるカバラを始め、数々の神秘主義思想を学んできた思想家でもあった。東洋思想にも精通していて、晩年はプロテスタントから大乗仏教徒に改宗。一九〇〇年前後のオーストリア人ではなかなかの変わり者と思われる。本作品は彼の複合的な宗教思想体系を物語に換えたものであり、思想性を多分に含む内容となっている。プラハ・ゲットーで宝石細工商を務めていたペルナートは謎の男から古い書物の補修を依頼される。ペルナートは書物の異様な光景に魅了されるのだが、幻惑から覚めると依頼者は消えていて、その容貌を思いだすこともできなくなっていた。困惑するペルナートは依頼者が三三年ごとに現れるゴーレムではないかという疑念を抱く。意味深長で引き寄せられる幕開けだ。ゴーレム自体はあまり表に出ることなく、象徴的な存在として物語の随所に干渉する仕組みも面白い。ところでゴーレムと聞いて想像するものは何だろうか。主人の命令に忠実な巨大な怪物。あるいは泥人形。設定を想起する人もいるし、造形を想起する人もいると思う。この泥でできた怪物としてRPGなどに頻出するゴーレムの原型は旧約聖書に記述されている。ただし初出時は未発達な土塊程度の意味で、現代的な泥人形の誕生までは数世紀を経なければならなかった。一二世紀のカバラ学者の記録を発端にゴーレム伝説は形成されていき、一九世紀には護符を剥がさないと凶暴化する現代的なゴーレムが生まれることになる。そうしたゴーレム伝説の起源から執筆時までの変遷を辿り、総括するテーマを有する『ゴーレム』は優れた幻想小説であるとともに貴重なゴーレムの資料でもある。



沈黙

*水声社(2021)
*ドン・デリーロ(著)
*日吉信貴(訳)
 ポストモダン文学の代表格として、トマス・ピンチョン氏といった小説家とともに語られるドン・デリーロ氏の近未来小説。それも西暦二〇二二年という非常に近い未来を舞台にしている。長編小説が好まれるアメリカの基準では中編小説でも短い部類に入るかも知れないが、極限までおさえられた紙数の内では現代社会における不安のかたちを明瞭に具現化し、非常事態に遭遇した人間模様を風刺的に描きだしている。物語自体はシンプル。ある老夫婦はアメリカン・フットボールの決勝戦を大勢で観戦するため、昔の教え子と友人の夫婦を自宅に招いた。ところが原因不明の大規模停電が起こり、電子機器と通信機器の機能も失われて連絡を取れなくなる。その影響はパリから帰国途中の友人夫婦にも及ぶ。搭乗していた飛行機は不時着を余儀なくされ、死者は出なかったものの夫は額を負傷。治療後に老夫婦の家で合流すると不安と疑念に満ちた時間をすごすことになる。停電するだけで機能不全に陥る現代社会の脆弱性。その弱点を突かれて混乱する人々。静寂に包まれた町中を歩きまわり、恐怖の声をあげる人間の脆さ。不安と恐怖はパラノイアとしての一面を露呈し、暴力的な妄想に取り憑かれていく。こうした非常事態下における人間模様を眺めていると、現代社会の構造がわずかな刺激で崩壊する砂上の楼閣のようなものであるかを思い知らされてゾッとする。



羆嵐

*新潮文庫(1982)
*吉村昭(著)
 三毛別羆事件が発生したのは大正四年。北海道苫前郡苫前村三毛別六線沢の開拓民たちは、冬眠時期を逸した蝦夷羆の襲撃を受けることになる。七人の死者、三人の重傷者が出た熊害史上最悪の惨事だった。歴史小説家の吉村昭は徹底的な取材を経て『羆嵐』を執筆。史実に物語の風味を加えた記録文学の記念碑的作品を生みだした。政府の移民奨励政策に従って北海道に移り住むも移住先は昆虫の大量生息地で、甚大な虫害を被った入植者たちは新天地を求めて六線沢に村落を形成。厳しい自然環境の中で貧困に喘ぎながら生活した。事件が起きたのは四年目の越冬に備えている時期だった。島川家に寄宿している樵が土間で男の子の死骸を見付け、島川の妻の消失に気付いた瞬間から村落は地獄と化す。騒動は大きくなり区長は羆を討伐するため策を弄するのだが、常日頃腕自慢をしていた猟銃携行者は銃の手入れを怠っていて不発を繰り返し、挙句には羆を恐れて戦意消失する。招かれた警察官も羆の習性には疎く、豪語していた救援隊も羆の排泄物を見るだけで萎縮する始末。見栄を張りながらも挫けていく人間たちは、羆の掌で踊らされているように見える。実際積雪地帯の森林は羆の領域であり、乏しい装備で舗装されていない悪路を行進するのは自殺行為に等しい。猟師たちの緊張感は読者にも伝わり、雪道を吹き抜ける風に羆の息吹を感じる。羆の脅威と吉村昭の筆力の相互効果で生まれる緊迫感は凄まじい。



世界哲学史 2 古代Ⅱ 世界哲学の成立と展開

*ちくま新書(2020)
*伊藤邦武(編著)
 山内志朗(編著)
 中島隆博(編著)
 納富信留(編著)
 近藤智彦(著)
 戸田聡(著)
 下田正弘(著)
 渡邉義浩(著)
 青木健(著)
 西村洋平(著)
 土橋茂樹(著)
 出村和彦(著)
 出村みや子(著)
 中西恭子(著)
 塚原東吾(著)
 西洋哲学史とイコールで結び付けられている哲学史の構造を解体し、世界哲学史として再構築するという斬新な試みである『世界哲学史』シリーズ。第二巻では古代哲学の後半部を鳥瞰する形式で、哲学と宗教の関係性に踏み込み、両者の決定的な相違点を明らかにする。対象範囲は前一世紀から後六世紀まで。ソクラテスの思想を継承するとともに新たな世界観を形成したプラトンの軌跡に始まり、紀元前二世紀の地中海世界を席巻したローマにおける哲学の変遷に移行する序盤は、一般的な哲学史の流れを汲んだ構成で書かれている。その後、主題は哲学と宗教に絞られていき、第三章以降は古代ギリシア発祥の哲学と各民族の倫理思想と伝統宗教の劇的な出会いに言及していく。各国に伝搬する哲学は古代キリスト教の系譜と交わり、中国における仏教と儒教、古代ペルシアのゾロアスター教・マニ教といった宗教とも関係を築く。その相関図は約七〇〇年間の世界宗教史を描出しているようで、哲学史と宗教史の宿命的な関連性を垣間見る心持ちである。哲学の歴史なのに宗教の歴史も学べて面白い。ただし、第三章「キリスト教の成立」執筆者の戸田聡氏は、自然哲学を発端とする哲学史では哲学と宗教を線引きすることを提言している。この点は留意しておきたい。超越者にできるだけ頼らず窮理を目指してきた古代ギリシア哲学を尊重する戸田氏の主張は、世界哲学史を構築する上で退けるわけにはいかない前提なのだろう。



犬を愛した男

*水声社(2019)
*レオナルド・パドゥーラ(著)
*寺尾隆吉(訳)
 キューバ革命政府の検閲は苛烈を極め、当局の管理対象である文学は表現の自由を奪われることになり、版権契約に干渉する代理人制度の影響で国外出版も叶わないまま衰退の道を歩んでいた。けれども近年経済開放政策に連動するかたちで出版規制が緩和。創作を制限されてきた作家たちは息を吹き返し、出版業界は徐々に活気を取り戻している。スペイン語圏で六〇回以上も重版された『犬を愛した男』が増刷・再販されていない現状から判断すると、出版の自由はまだプロローグの段階なのかも知れない。それでもレフ・ダヴィドヴィチ・トロツキー暗殺事件に取材し、暗殺者であるラモン・メルカデール・デル・リオの足跡を物語化することで彼らの人間像を表現するという挑戦的な歴史小説を出版しても咎められなかった事実は、キューバにおける政府の変革と文学の躍進を物語っているのではないか。それにしてもスケールの大きな作品である。前述の通り『犬を愛した男』は史実を元に、国外追放後に各地を流浪するレフ・ダヴィドヴィチの視点、純粋な若者から共産党員となりソビエト連邦のスパイに変貌するラモン・メルカデールの視点を交錯させながら両者を近付けていくのだが、後世の語り手としてイバン・カルデナス・マトゥレルという架空の作家に舵を取らせることで、より複眼的な人物造形を実現している。革命家と暗殺者と作家を驚異的な構成力で表現し、現実と虚構を織り交ぜた小説ならではの情緒豊かな歴史物語を完成させたレオナルド・パドゥーラに敬意を表する。



【読書備忘録】とは?

 読書備忘録は筆者が読んできた書籍の中から、特に推薦したいものを精選する小さな書評集です。記事では推薦図書を10冊、各書籍500~700字程度で紹介。分野・版型に囚われないでバラエティ豊かな書籍を取りあげる方針を立てていますが、ラテンアメリカ文学を筆頭とする翻訳小説が多数を占めるなど、筆者の趣味嗜好が露骨に現れているのが現状です。
 上記の通り、若干推薦図書に偏りはありますが、よろしければ今後もお読みいただけますと幸いです。


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