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【読書備忘録】貧しき人びとからケルト人の夢まで

 読書備忘録を書き始めてから5年近く経過するのですが、昔の記事を読み返すと文章量の少なさに「こんなんだったっけ」と首を傾げてしまいます。もっとも当初はTwitterに流した文章を若干修正して載せていただけなのでスカスカなのはあたり前ですね。現在の500~700字は批評要素を加える余地はないものの、著者・概要・感想を最低限抑えられる点は読書備忘録のコンセプトに適しているのかなと思っています。35回目となる今回も素敵な本を揃えていますので、是非最後までご覧くださいませ。


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貧しき人びと

*新潮文庫(1969)
*フョードル・ドストエフスキー(著)
*木村浩(訳)
 説明不要の世界的大文豪であるドストエフスキーの処女作。本作品では初老の小役人マカール・ジェーヴシキンと病身の乙女ワーレンカの往復書簡という形式で、薄幸と貧困にさいなまれる日々を語り合う二人を通して都会に蔓延する現実的問題を浮き彫りにしていく。年齢が離れているためか、二人が交わすポエティックな愛の言葉は恋愛の響きを帯びることもあるし、家族愛を思わせる温かな色をにじませることもある。そこには相手の幸福のためなら自己犠牲を厭わない強固な意志がこめられている。往復書簡形式を取る小説は書簡体小説と呼ばれていて、本作品はその書簡体小説の傑作としても愛されている。工兵士官学校から批評家に渡り、新たなゴーゴリの誕生を称える言葉とともに文豪としての道を切り開いたドストエフスキーの出発点である。急進的革命思想家に接近したことで逮捕され、ペトロパヴロフスク要塞監獄に収容される前に発表した小説である点も見逃せない。人間主義的素材に情緒的な趣を添えた表現法は後期作品より穏やかで、社会と人間の暗黒面を徹底的に掘りさげる執念は控えめながら、堅苦しい印象を抱かれがちなドストエフスキー作品の入口としても、忘却されたドストエフスキー作品の起源を復習する意味でも、紛れもなく『貧しき人びと』は重要なポジションにある小説だ。



あるいは酒でいっぱいの海

*河出文庫(2021)
*筒井康隆
 筒井康隆氏の初期作品集で、同人誌『NULL』掲載作を始め、単行本未収録のショート・ショートを三〇編(あるいは三一編)収録。一九七九年に出版された集英社文庫版の復刊。半世紀も執筆活動を続けている事実はいうまでもなく、読者の目を点にさせる奇抜な事象を次々起こす底なしの発想力は驚異的というほかない。収録作は同人誌以外マニアックかも知れないが、予想を超える突飛な設定と意表を突く展開は紛れもなく筒井康隆氏の技で、三頁四頁の掌編でも見事に度肝を抜かれるので心配無用である。お気に入りの作品を厳選するのは難しいけれど、フロイトの二元論を利用して深層心理を具現化する『二元論の家』、虚無感と悲哀感をただよわせる『睡魔のいる夏』は印象に残った。また『怪段』『無限効果』は、随分昔に別の短編小説集で読んでいたため懐古的な気持ちになるとともに、当時は理解できなかった細部のこだわりに気付けて嬉しさがこみあげた。内容には触れないでおくとして『無限効果』に出る「ラリゲン錠」ネタは家族内で流行した。笑い話にも風刺にも引用できる便利な表現法なので、これから手に取る人には注目していただきたい。



危険な関係

*角川文庫(2004)
*ピエール・ショデルロ・ド・ラクロ(著)
*竹村猛(訳)
 何度も映画化・舞台化されているフランスの有名な書簡体小説で、著者はピエール・ショデルロ・ド・ラクロ。小説家というよりは筆まめな軍人という方が適切かも知れない。一八世紀後期、砲兵学校を卒業したラクロは国内の地方都市を転勤することになり、グルノーブル駐屯中は社交界にも関わっていた。この豪華絢爛な社交界の光景はラクロを魅了したようで、七年間の滞在を経てエクス島に移動すると、孤島の無味乾燥とした日常に飽きたのかグルノーブルの生活をしばしば回想した。解説の解釈を参考にするなら、エクス島での退屈な軍務がグルノーブルの光景を喚起し、その光景を物語に換えることで『危険な関係』は誕生した。物語は貴族社会のスキャンダラスな恋愛沙汰を多数の往復書簡で描きだし、社交界における退廃的な倫理観を白日の下に晒すという悪趣味な内容。けれども悪趣味な話題は古今東西で好かれるもので、実際『危険な関係』出版は大成功をおさめ、偽版が出まわるほどの人気を博したのである。いうまでもなく愛読者を獲得した要因は上流階級の堕落した面を覗きたいという出歯亀根性を刺激する案だけではなく、練り込まれたプロットと巧妙な台詞まわしの賜物でもある。火付け役となるメルトイユ侯爵夫人を軸に登場人物は複雑な相関図を作り、目的を遂げるため随時関係性を改変していく。喜怒哀楽をフル稼働する貴族たちの危険な文通は気が休まる間もないほど緊張感に満ちていて、結末を迎える頃には白熱した心理戦で読者の方が疲弊することになる。



生命の樹 あるカリブの家系の物語

*平凡社ライブラリー(2019)
*マリーズ・コンデ(著)
*管啓次郎(訳)
 二〇一八年、選考委員会の不祥事によりノーベル文学賞の選考・授与が見送られたことは世界中に衝撃をもたらした。けれども文学の祭典を求める有志の尽力で、ノーベル文学賞に代わるニュー・アカデミー文学賞という一回限りの市民文学賞が創設された。マリーズ・コンデ氏はその最初で最後の受賞者となる。フランス領グアドループの存在するカリブ海の歴史は複雑である。カリブ海地域にある海外県は西欧による植民地化の名残といえるし、住民の大多数がアフリカ系なのは植民地時代に経済基盤である砂糖生産のためアフリカ大陸から黒人奴隷が移住させられたことを物語っている。カリブ海地域の人々は、ハイチなどの独立国を除き、ラテンアメリカに近接しているのにラテンアメリカではなく、アフリカ人を祖先に持っているのにアフリカではなく、欧米の一部なのに居住地も容貌も異なるという現実と向き合わなければならなかった。カリブ海文学を西欧による過酷な植民地政策の下で育まれたアイデンティティの賜物と呼ぶのは簡単だけれど、混沌とした植民地社会における葛藤と苦渋は想像するにあまりある。そのカリブ海の二〇世紀というバックグラウンドに、四世代にわたるルイ一族の波乱万丈にして幻想的な物語を添えるかたちで創造された『生命の樹』は、現代カリブ海文学の新境地を開拓した偉大な小説に違いない。プランテーションの単純労働に嫌気が差してパナマ運河建設参加を決意した曽祖父アルベールから、語り手を務めるココに至るグアドループの一家族の歴史はこれからの世界文学を動かす歯車になるだろう。



英雄たちの夢

*水声社(2021)
*アドルフォ・ビオイ・カサーレス(著)
*大西亮(訳)
 水声社のラテンアメリカ文学シリーズ「フィクションのエル・ドラード」に突然追加されたときは目玉が飛び出そうになった。出版に予定変更は付きものだけれど、二〇世紀前期のラプラタ幻想文学を代表するアドルフォ・ビオイ・カサーレス作品の仲間入りは嬉しい誤算なので、品切れになる前に購入に踏み切った。物語は一九二七年のブエノスアイレスで始まる。床屋の情報のおかげで競馬で大儲けしたエミリオ・ガウナは、破落戸の仲間を誘ってブエノスアイレスの街を飲み歩く。皆に慕われているバレルガ博士を囲んでカーニバルの夜を堪能していたエミリオは、意識朦朧としたままあるサロンを訪れる。そこで彼は仮面を付けた女と出会う。仮面に隠された顔に惹き付けられた彼は彼女に近付き、幻惑的な雰囲気の中で踊り始める。しかし彼女は消えてしまい、次の瞬間には見知らぬ男と談笑する様子が視界に入る。エミリオの意識はますます混濁していき、疲労と喧騒に飲み込まれる内に彼は闇夜の森林に迷い込み、月光で光り輝くナイフを握るバレルガ博士を目にする。これらは夢幻だったのか。翌朝、エミリオはパレルモの湖の乗船場に建てられた木造の小屋で目覚める。誰も昨夜の騒動を知らず、夢を見たのか幻を見たのか酩酊するあまり妄想に駆られたのか、何もわからないまま彼は日常に戻っていく。序盤に展開されるこの不思議な現象はエミリオに強迫観念を植え付け、結婚後も仮面の女を忘れられない彼は何とかして当時の状況を再現するため暗中模索することになる。夢という無意識の世界、合わせ鏡に喚起される円環構造を表現するとともに、愛という概念を重視する文学的趣向が凝らされていて、盟友にしてラプラタ幻想文学の巨匠ホルヘ・ルイス・ボルヘスのそれとは異なる幻想味が表現されている。



紙葉の家

*ソニーマガジンズ(2002)
*マーク・Z・ダニエレブスキー(著)
*嶋田洋一(訳)
 本編開始前に現れる「これはあんた向きじゃない。」という意味深長な一文は『紙葉の家』を象徴している。世界的奇書なのは間違いなく、読者をかなり厳選する問題児なので読むときは覚悟を要する。物語はザンパノという老人の孤独死から始まる。老人は古い屋敷に引っ越してきたネイヴィッドソン一家の恐怖体験をおさめた映像群『ネイヴィッドソン記録』を元に『ネイヴィッドソン記録』なる文章を書き残しており、それを発見したトルーアントという男は独自に編集することを決意する。つまり三段階の物語が同時進行するのだ。移住先の屋敷が自由自在に伸縮する無限構造である事実に気付き、調査隊を結成して決死の探索に出たウィル・ネイヴィッドソンは、外観は変わらないまま変形する家の内部を撮影することに。けれども通路は意志を持っているかのように調査隊を翻弄する。家自体を異次元に住む生命体の如く表現する手法は怪奇小説に通じるが、本作品の場合、著者ザンパノが執筆しているという設定を用意することで物語と解釈が同居するばかりか、編集者トルーアントの注釈を付け加えて目眩を覚えるような入れ子構造をなしているのだからたまらない。それだけでは終わらない。作中の怪奇現象に合わせるように表記法も変わり、文字が反転したり頁を貫通したり注釈に注釈をかさねたりと次々奇怪なレイアウトを展開すると思えば、想像の産物であるはずの『ネイヴィッドソン記録』に対する実在人物の感想・評価を列挙して、どこまで引用でどこまで捏造なのかわからなくするメタフィクショナルな技巧も凝らされているので、読んでいる内に頭がおかしくなってくる。ポストモダン文学と怪奇幻想文学を融合するとこんな具合になるのだろうかと新たな世界を垣間見た心持ちだ。



白の闇

*河出文庫(2020)
*ジョゼ・サラマーゴ(著)
*雨沢泰(訳)
 突然失明する奇病の爆発的蔓延。そこから始まる感染者の阿鼻叫喚。人類の文明社会は「見える」ことを前提に築かれている。しかし「見える」ことを前提とした文明社会で全員失明したら何が起こるのか。こうした疑問を抱き、思索を巡らせたポルトガルの国民的作家は盲目の感染という現象を表現することで回答例を提示した。物語の発端は交差点で信号待ちしていた運転手の失明である。前触れなく視界が白一色に染まって取り乱す男。彼は通りすがりの男の助けを借りて帰宅するも、そのまま車を盗まれるという不幸に見舞われてしまう。動揺冷めやらぬまま妻に伴われて眼科医を訪れると、初老の眼科医の診察を受ける。けれども眼球に異常はなく、失明した原因も視界が「ミルク色の海」に閉ざされている理由も判明しなかった。あまつさえ失明の波は彼を診察した眼科医を襲い、眼科医が診察した患者も次々失明することに。眼科医は感染症の発生を察知して、厚生省に緊急事態を伝えるため奔走する。ところが眼科医を含む感染者は政府の判断で精神病院に強制隔離されてしまう。失明を免れた眼科医の妻は虚偽報告で夫に同伴し、一緒に隔離施設に収容されることになるが、失明者の密集する閉鎖空間は想像を絶する世界に変貌していく。失明の恐怖、感染症の脅威、人間の悪意。絶望と我欲にまみれた光景は正視に耐えず、眼科医の妻が目撃するものは地獄絵図以外の何ものでもない。ジョゼ・サラマーゴの特色である台詞を地の文に混ぜる文体、登場人物の名前を明かさない技法により「ミルク色の海」はますます陰惨な色彩を帯びて襲いかかってくる。



蝿の王

*ハヤカワepi文庫(2017)
*ウィリアム・ゴールディング(著)
*黒原敏行(訳)
 子供は純真無垢なのか。邪悪なのか。それとも純真無垢故に邪悪に染まるのか。世界文学屈指の漂流記『蝿の王』における特異性は孤島という閉鎖された自然界の脅威を精妙巧緻に表現するばかりではなく、過酷な生存競争で猟奇に目覚める子供の暗黒面を容赦なく暴露する点にも見受けられる。始まりは疎開先に向かっていた飛行機の墜落だった。乗組員の大人は全滅し、子供たちは奇跡的に死を免れた。けれども無人島の過酷な環境は、生存者の一人ラルフに危機感を抱かせる。ラルフは喘息持ちの相棒ピギーとの相談の末に焚き火の煙で救助を求める案を提示する。それから偶然見付けた法螺貝を権威の象徴とした後、多数決によりラルフは共同体をまとめる隊長に任命される。ところが高慢な少年ジャックは狩猟隊を結成して野生の豚狩りに入れ込むばかりで、次第に焚き火を重視するラルフと対立を深めていく。一刻も早く船に発見されるための秩序を設けるラルフと、孤島で生きるための秩序を設けるジャックの相容れない主張は、衝突と摩擦を繰り返し、決別を迎えることになる。この決別は共同体とともに道徳を崩壊させる事態を招き、悪夢のような状況を作りだすのであった。彼らが演じる狂態は地獄絵図以外の何ものでもなく、その極限状態の心象風景は生々しくも寓意的で、サバイバルに怪奇的で幻想的な色味を加えている。本作品が怪奇幻想文学に分類されていないにもかかわらず、恐怖をテーマとする小説・漫画に多大な影響を与えてきた要因はそうした点に認められる。



世界哲学史 3 中世 I 超越と普遍に向けて

*ちくま新書(2020)
*伊藤邦武(編著)
 山内志朗(編著)
 中島隆博(編著)
 納富信留(編著)
 袴田玲(著)
 山崎裕子(著)
 永嶋哲也(著)
 関沢和泉(著)
 菊地達也(著)
 周藤多紀(著)
 志野好伸(著)
 片岡啓(著)
 阿部龍一(著)
 薮本将典(著)
 金山弥平(著)
 高橋英海(著)
 大月康弘(著)
 ちくま新書の『世界哲学史』シリーズの第三巻は形而上学の発展を主題に掲げて、中世の哲学が如何なる伝搬と変容を経たのか概説していく。ここでいう中世は便宜的な呼び方なので注意しなければならない。というのも中世というヨーロッパ視点の時代区分に頼ることは、哲学史=西洋哲学史という従来の構造を解体し、より統合的な世界哲学史を構築する本書の目的からはずれてしまうので、七世紀から一二世紀までの世界哲学事情を鳥瞰すると表現する方が適切だろう。今回は地中海の古代文化が西欧に広まったことに端を発し、ギリシア哲学の影響を受けながら変貌を遂げる宗教思想に力点を置いている。アリストテレスを筆頭とするギリシア哲学は東方神学、論理学、イスラームの展開にどう関わったのか。また、アジアにおける儒教と道教と仏教はどんな対話を試みてきたのか。宗教観と形而上学の関係性に立脚した論説は第一巻・第二巻より難解故に把握するのは難しいけれど、世界各地で過渡期を迎えていた宗教哲学の流れを掴むことは世界哲学史を理解する上で大切なので、復習をかさねておきたい。



ケルト人の夢

*岩波書店(2021)
*マリオ・バルガス=リョサ(著)
*野谷文昭(訳)
 祖国を愛し、祖国のため絞首刑に処されたロジャー・ケイスメント。この二〇世紀初頭に実在した大英帝国の外交官は如何なる足跡を残したのか。青年期にはアフリカに西欧文明をもたらすという野望を抱き、英国領事としてコンゴとアマゾンに赴任する。けれども現場では想像を絶する先住民虐待が日常的におこなわれていた。植民地主義の現実を知ったケイスメントの告発によって入植者の暴虐は国際問題に発展する。同時にケイスメントは祖国アイルランドも植民地主義の根底にある差別と搾取の犠牲者である事実に思い至り、強固な愛国精神を燃やすことになる。ここからアイルランド独立を実現させるための奔走が幕を開ける。とはいえ冒頭の通り、祖国独立を夢見る外交官は反逆罪で投獄されてしまい、最期の判決を狭い独房で待ち続けるのであった。この歴史的変遷を解釈していく物語は独立運動を起こしていた過去と、孤独な獄中生活を送る現在の章を往来しながら進行する。歴史小説は史実に忠実でなければならず、しかも空想を織り交ぜて物語化するという高度な技術を要する。それでもマリオ・バルガス=リョサ氏は課題の山を次々こなしていく。西欧の植民地政策にアイルランド独立運動、大英帝国が問題視したケイスメントのナショナリズムとセクシュアリティという諸問題に鋭い批評眼を向け、過去と現在の物語を進めながら徐々に両者を近付けていく技法は圧巻であり、そのピラミッドを連想させる複雑怪奇にして精密な構造はまさしく芸術である。



【読書備忘録】とは?

 読書備忘録は筆者が読んできた書籍の中から、特に推薦したいものを精選する小さな書評集です。記事では推薦図書を10冊、各書籍500~700字程度で紹介。分野・版型に囚われないでバラエティ豊かな書籍を取りあげる方針を立てていますが、ラテンアメリカ文学を筆頭とする翻訳小説が多数を占めるなど、筆者の趣味嗜好が露骨に現れているのが現状です。
 上記の通り、若干推薦図書に偏りはありますが、よろしければ今後もお読みいただけますと幸いです。


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