読書備忘録_第2弾_2

【読書備忘録】自転車泥棒から仮想の騎士まで

 日本翻訳大賞の推薦が完了したから次はTwitter文学賞の投票だと息巻きながら本文を書いています。一月二月は読者参加型の賞が連続するため、一年間の出版を振り返る時期になります。この一年間もたくさんの良書に出会えました。けれどもそれ以上に未読の書籍が多く、まだまだ読みたりないというのが正直な気持ちです。未知なる頁を求め、一頁の面白さを噛み締め、最近のおすすめ本を紹介させていただきます。


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自転車泥棒
*文藝春秋(2018)
*呉明益(著)
*天野健太郎(訳)
 短編小説集『歩道橋の魔術師』により本邦で名を馳せた呉明益氏の長編小説『自転車泥棒』は、台湾の歴史と自身の技能を融合させた複合的な物語で概括するのも容易ではない。二〇年前、大事にしていた「幸福」印自転車とともに失踪した父。その真相(真意というべきか)を解明するため主人公は鍵を握る自転車を探し始める。彼は情報を求める内、恋人と別れたばかりの写真家を始めさまざまな人物と出会うのだが、人は誰しも「物語」を持っているもので、会う人は何らかのかたちで主人公に過去=物語を伝えることになる。そうして連結するように物語が物語を招き、虚実ないまぜの空間を自転車で横断するような壮大な旅は展開されていく。ため息が漏れるほど見事な構成だ。原住民族、戦後の日本語世代、動物園のオランウータンや象。日本統治時代、国民党時代、マレー作戦における銀輪部隊こと自転車部隊の進撃、ビルマの戦い。主人公は時代も種族も超えた物語を渡り歩きながら父の自転車に接近するのであった。本作品、どうか発売直後死去した天野健太郎氏の翻訳文ともども味わっていただきたい。


ライオンを殺せ
*水声社(2018)
*ホルヘ・イバルグエンゴイティア(著)
*寺尾隆吉(訳)
 痛烈な批判・風刺をこめた作品でカサ・デ・ラス・アメリカス賞の演劇と小説両部門を受賞し、挑戦的な作家としてメキシコ文学界を賑わせるも旅客機墜落事故により五五歳で世を去ったホルヘ・イバルグエンゴイティア。彼の長編二作目にあたる『ライオンを殺せ』は、狡猾にして冷徹な独裁者ベラウンサラン元帥をめぐる政争を活写した小説であり、所謂ラテンアメリカ文学を彩る独裁者小説の系統に属する快作だ。対立候補の他殺体が発見されるきな臭い冒頭。策略と反発が飛び交う構図。物語は同志による大統領暗殺計画の経過と顛末に向かっていく。筋自体は奇をてらったものではないが、視点変化や短い台詞を多用した動的な文体が同系統作品とは異なるめまぐるしさを演出しており、喜劇的な、滑稽味ある一幕を展開させる点も特徴的である。これは若い頃戯曲を書いていた名残かも知れない。結果的にこうした特殊な作風がイバルグエンゴイティア独自の筆致となり躍動したのは明らかであり、彼の魅力を形成する要素となった。若くして亡くなられたのが残念でならない。


宰相の象の物語
*松籟社(2018)
*イヴォ・アンドリッチ(著)
*栗原成郎(訳)
 東欧の物語には不思議な「笑い」と「哀しさ」がただよっている。小説にも映画にも仄かに感じるのだ。本書は一九六二年にノーベル文学賞を受賞したイヴォ・アンドリッチの小説集である。ボスニアのトラーヴニク近郊にて生を受け、ユーゴスラビアの複雑な歴史に翻弄されてきた彼の思想は、晩年のオスマン帝国属州であった昔日の故郷周辺を舞台に叙情性と滑稽味を含む物語となって綴られる。暴君と恐れられる宰相が気紛れに飼い始めた子象、その暴れん坊ぶりに辟易する民衆を描いた表題作のほか、高徳の修道師が女性の肉体(服の破れめから覗く肌と水死体)を目にした過去を罪の意識にさいなまれながら回顧する『シナンの僧院に死す』、民事訴訟中の老婆が市当局の待合室で一枚の絨毯をめぐる祖母と両親の対立を夢想する『絨毯』、発狂した神父の祖父・曽祖父が健在だった頃に権勢を振るっていたある妖婦の逸話『アニカの時代』、回想録的な構成にアンドリッチ自身の記憶も組み込むことで残酷な偽史は不気味なほどのリアリティに染まり、歴史劇のような説得力が生まれている。


君の居場所の向こうに何か
*granat(2018)
*館山緑(著)
 『君の居場所の向こうに何か』は館山緑氏が過去に寄稿された短編小説を収録した作品集で、同人誌版が刊行されたのは二〇一四年に遡る。このたび電子書籍版が販売開始されたので即購入した。掲載当時に拝読した『上書きデスメモリー』『キャンディレッド保存箱』『エリカワフユのテープ』に懐かしさを覚えるとともに、軽快なテクストで表された憂愁の色に改めて耽溺した。登場人物はおもに思春期の少年少女。未成熟であると同時に鋭い感性を持つ彼/彼女たちは、煙雨が降り続けるような薄暗い町で不可思議な出会いを体験をする。その特殊性は多種多様だ。あるときは自殺者の痕跡、あるときは古いカセットテープ、あるときは夢。こうした出会いには常に死や消失の予感・不安が付いてまわる。この物語全体が発する不安感は、人のほか町の設定も練り込む館山氏の創作技法の賜物かも知れない。詳細は読んで確認していただくとして、各話の終わりに記されている創作秘話を拝読すると綿密な取材と想像を経ていることがわかる。この一言欄も本書を際立たせているので要注目である。


呪文
*河出文庫(2018)
*星野智幸(著)
 複数の視点が折りかさなる長編小説であり、色々突き刺さるところのある挑戦的な長編小説である。舞台は人気を集める夕暮ヶ丘の隣駅にある松保商店街。主役となる霧生は一念発起してトルタ屋を始めたものの、閑古鳥が鳴きやまず経営状況は破綻直前に落ち込んでしまう。やがて商店組合の事務局長にして居酒屋経営者の図領が苦悩する霧生に手を差し伸べる。ここでの対話・決断が大きな分岐点となり、後に図領の居酒屋で一悶着を起こしてインターネットに誹謗中傷を撒き散らす人物が登場することで転換点を迎える。ここから商店街には暴力的な匂いが香り始める。本作品では松保商店街に集結する一癖も二癖もある連中の活動内容に焦点があてられるのだが、注目すべきは集団心理の描き方である。商店街に蔓延する同調圧力、誹謗中傷に対する図領の反撃ぶりに影響されて結成された自警団の暴走、自己責任にかこつけた洗脳。俗な言い方をすれば「押せ押せムードの恐ろしい面」を情報化社会特有の拡散システムに載せている点が特色であり、暗示的な恐怖を抱かせられる。ちなみにトルタとはメキシコ流サンドイッチのこと。とてもおいしそうなので、いつか食べてみたい。


あけましておめでとう
*水声社(2018)
*フーベン・フォンセッカ(著)
*江口佳子(訳)
 本作品は一九七五年に発行された後、一九七六年に発禁処分を受けた。当時のブラジルは高度経済成長を遂げる傍ら言論統制がおこなわれる厳しい時代であり、政治的緩和政策を打ちだしたエルネスト・ガイゼル大統領政権時においても監視は依然として継続していた。フーベン・フォンセッカの『あけましておめでとう』の表題作は窃盗で糊口を凌ぐ貧困な強盗団が富裕層の邸宅を襲撃し、強欲の限りを尽くす刺激的な小説。ここには残虐を極めた暴力性だけではなく、経済成長がもたらす格差拡大といった社会的風潮も仄めかされている。しかし政府は過激な性描写と低俗な言葉を使う暴力的人物を描き、なおかつ暴力に対する処罰がないことから作家が暴力を擁護していると、本邦でもおなじみの頓珍漢な解釈で発禁処分を強行。これにフォンセッカは訴訟を起こして政府と対決。紆余曲折を経て処分は解かれた。本書は一五編の短編集だが、時代の推移にともなう摩擦が各物語の随所に描かれている。刊行時のブラジルの時代背景を念頭に置くと、より抑圧の痛みが痛切に感じられる。


あいつらにはジャズって呼ばせておけ
*惑星と口笛ブックス(2018)
*ジーン・リース(著)
*西崎憲(編・訳)
 笹原桃子(訳)
 沢山英里子(訳)
 小平慧(訳)
 樫尾千穂(訳)
 獅子麻衣子(訳)
 加藤靖(訳)
 吉見浩一(訳)
 磯田沙円子(訳)
 安藤しを(訳)
 中島朋子(訳)
 ジーン・リースの創作活動の時期は安定しておらず、一九三〇年前後と一九六〇年以後の二期に大別できる。このたび電子書籍レーベル「惑星と口笛ブックス」より刊行された『あいつらにはジャズって呼ばせておけ』は、断筆前に刊行された二冊の短編集『セーヌ左岸』『虎のほうが見た目はまし』収録作を集めたもので、全一八編中一五編が本邦初訳という豪華な本だ。何度黙読しても音読してもこの邦題は素晴らしい。彼女が何故一時期筆を執らなかったのかは編集・翻訳を担当された西崎憲氏の解説を読めば推察できるので、そちらを参照していただきたい。作品と作者を結び付ける読み方は邪道だと思うが、リース作品はイギリス領ドミニカ出身のクレオールである彼女の出自と経験、欺瞞と貧困に育まれた想像力で濾過された人物像が現代的な孤独・孤立の影となって著されていて面白い。彼女の人生同様各物語に幸せという言葉は似合わないかも知れない。けれどもそこに表象された暗示的な人間関係をグローバルな視点で観察したとき、リースの類まれな先見性に驚かされる。


不気味な物語
*国書刊行会(2018)
*ステファン・グラビンスキ(著)
*芝田文乃(訳)
 ポーランド文学は世界的に見ても名実ともすぐれている。しかし意外にも恐怖小説は少ないという。それだけにポーランド文化と怪奇幻想文学を融合し、独自のスタイルを開拓したステファン・グラビンスキは貴重な小説家であり、また、そのポーランドの怪奇幻想文学を日本に紹介し、精力的な翻訳活動を継続されている芝田文乃氏も大変重要な訳者である。こうした稀有な作家と情熱的な訳者の出会いには一愛読者として感謝しなければならない。国書刊行会より刊行されてきたグラビンスキ作品は四冊目を数えるが、短編小説集『不気味な物語』『情熱』収録作品を併録した本書をもって代表作はほぼ訳出されたようだ。本書では超常的な恐怖に加え、超自然に魅入られた人間が顕現させる狂気の凄まじさが表現されており、読んでいて得体の知れないざわめきまで感じた。既刊の短編集以上に性愛が盛り込まれている点も特色で、後半の『情熱』収録作品にて展開される扇情性を帯びた悲劇も実に印象深い。中には怪奇とは異なる物語も含まれていて、四巻目にして新たな一面を垣間見た気持ちだ。


チェコSF短編小説集
*平凡社ライブラリー(2018)
*ヤロスラフ・ハシェク(著)
 ヤン・バルダ(著)
 カレル・チャペック(著)
 ヨゼフ・ネスヴァドバ(著)
 ルドヴィーク・ソウチェク(著)
 ヤロスラフ・ヴァイス(著)
 ラジスラフ・クビツ(著)
 エヴァ・ハウゼロヴァー(著)
 パヴェル・コサチーク(著)
 フランチシェク・ノヴォトニー(著)
 オンドジェイ・ネフ(著)
*ヤロスラフ・オルシャ・jr.(編)
*平野清美(編・訳)
 チェコではSF・ファンタジーが充実しているようで、編訳者平野清美氏の後書きによると外国のものを含めて、年間約五〇〇冊ものSF・ファンタジー作品が出版されているとのこと。もっともチェコは「ロボット」なる言葉の生みの親であるカレル・チャペック生誕の地。昔から素地はあったのかも知れない。本書はヤロスラフ・ハシェクを始めとする古典時代、ヨゼフ・ネスヴァドバを始めとする一九六〇~八〇年代、八〇年代以降の短編小説を一一編収録。八人が本邦初紹介なのだから実に豪勢だ。時代を超越して集結した作家たちはさまざまな未来像を創造している。だが、表出された未来の光景は必ずしも平穏とは限らない。そこでは文明の発展がもたらす弊害が幅を利かせており、ディストピアの恐怖が浮き彫りにされているのだ。活動時期は違えども、未来に対する不安を唱え、社会への警鐘を風刺的に物語化する点は共通している。それでいて堅苦しさをださず、あくまでも娯楽の色を損なわない技量に感嘆しきりだった。


仮想の騎士
*惑星と口笛ブックス(2018)
*斉藤直子(著)
 第一二回日本ファンタジーノベル大賞優秀賞受賞作がこのたび惑星と口笛ブックスの〈ブックス・ファンタスティック〉第三作目として復刊。ブルボン朝第四代国王ルイ一五世の時代、優秀な剣士にして法律家である女装の騎士デオン・ド・ボーモンを始め、歴史に名を刻んでいる実在人物たちが集結する豪華絢爛な歴史劇であり、オーディオドラマ化されたこともあるのでご存知の方は多いだろう。史実と脚色された登場人物のコミカルな絡みは『仮想の騎士』を彩る特色で、使命のため嫌々女装するデオンのたびかさなる不運然り、関西弁で話す無頼漢のジャコモ・カザノヴァ、常時躁状態のルイ一五世、神経質なポンパドゥール夫人の立ちまわりは読者を飽きさせない。そこにサンジェルマン伯爵が俗な言い方をすれば「ラスボス感」をただよわせながら颯爽と現れるのだから実に楽しい展開である。ことあるごとに花びらが舞いそうな少女漫画風の演出にはジュヴナイルの香りを嗅ぎとれるようでもあり、軽快で甘美な一八世紀の物語に浸れた。それにしても本作品の登場人物たちは、これまで幾つの物語に出てきたのだろうか。



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 読書備忘録ではお気に入りの本をピックアップし、感想と紹介を兼ねて短評的な文章を記述しています。翻訳書籍・小説の割合が多いのは国内外を問わず良書を読みたいという小生の気持ち、物語が好きで自分自身も書いている小生の趣味嗜好が顔を覘かせているためです。読書家を自称できるほどの読書量ではありませんし、また、そうした肩書きにも興味はなく、とにかく「面白い本をたくさん読みたい」の一心で本探しの旅を続けています。その過程で出会った良書を少しでも広められたら、一人でも多くの人と共有できたら、という願いを込めて当マガジンを作成しました。

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