_日記_あるいは雑記の宿_12_ある阿呆が読書好きになった理由

【雑記】ある阿呆が読書好きになった理由

 読書家というより書痴、書痴というより単なる読書好き。書物に対する自分の立場はそういうものと認識しています。その読書好きが高じて2017年から【読書備忘録】なる書籍紹介記事を書き始めました。とはいえお恥ずかしながら筆不精故更新頻度は低いです。それにもかかわらず、毎回たくさんの方々が読んでくださるので大変励みになっています。おかげで三日坊主の悪癖が出ることもなく、地道に継続できています。

 7月24日は河童忌。日本の文豪、芥川龍之介の忌日。芥川龍之介を敬愛する私にとって、この忌日は特別な意味を持ちます。
 今では1日100頁程度読まないと禁断症状が現れるありさまですが、昔から読書好きだったわけではありません。むしろ本が嫌いでした。分野を問わず活字本を開くと頭痛に襲われて「こんなものを楽しめる人間の気持ちがわからない」と吐き捨てたこともあります。当時から頭の中にある物語をかたちにしたいという願望はありましたし、そのためにも小説には親しめるようになりたいと思っていました。けれども活字に近寄るのは大変でした。読書したいけれども読書する気にならない。この矛盾は心の重荷になり、煩悶する日々を送っていました。
 15歳の春。母から一編の短編小説をすすめられました。くもん出版『なぞめいた不思議な話』というアンソロジーで、夏目漱石、ジュール・シュペルヴィエル、アンブローズ・ビアス、サキといった面々の作品が収録されています。すすめられたのは芥川龍之介の『魔術』という作品。子供向けの作りであり、口語的なわかりやすい文章に改められているのが特徴です。母も私に読書させるにはどうすればよいのかと頭を悩ませていたのです。そして勘案の末「自分の好きな小説をすすめる」という明快な答えをだしました。教養のためでも慣習のためでもなく、あくまでも読書は楽しんでなんぼという判断です。でも、それは正鵠を射た判断でした。有名な作品なので説明は不要かも知れませんが、この短編小説は小さな西洋館に住むインド人マティラム・ミスラを訪ね、不思議な魔術を見せられるところから始まります。主人公は自分にも魔術を教えて欲しいと懇願します。マティラム・ミスラは魔術は誰にでも造作なく使えるといいます。ただし欲のある人間には使えないため、習得するには欲を捨てる必要があると釘を刺します。主人公はできるつもりだと即答し、魔術を教わる流れになるのですが――。
 この短編小説は青空文庫でも読めるので、気になる方は是非読んでみてください。

 小説の楽しみ方を知らない、というより小説を楽しむという発想自体欠けていた私にとって『魔術』との出会いは青天の霹靂でした。
 こんなに面白い物語があったのか!
 こんなに小説は面白かったのか!
 まるで何気なく道端の箱を開けたら金塊が入っていたような不意打ちに動揺し、あたふたと母に感想を伝えにいきました。そして、芥川龍之介の小説をもっと読みたいと頼みました。読了後間もなく、読書欲は爆発的な速度で膨らみ始めていました。私は未知の小説が山ほどある事実に胸を躍らせていました。もっとも昭和出版社『芥川龍之介作品集』全4巻を渡されたときは冷や汗を掻きましたけれどもね。何しろ刊行年月日は昭和50年5月20日。西暦1975年。それも昔風を意識したのか旧字旧仮名が遣われています。競馬で喩えれば未勝利戦を勝利した馬が1勝クラス、2勝クラス、3勝クラスを飛び越えて重賞に出走するようなもの。無謀な格上挑戦ではありましたが、平易な文体で書かれている『杜子春』『蜘蛛の糸』『トロッコ』あたりは悪戦苦闘しながらも読破しました。しかし、おなじ初期作品でも『地獄変』『戯作三昧』『枯野抄』あたりは文章だけではなく主題も複雑であり、経験不足を痛感させられました。まして後期作品は難解です。今でこそ『歯車』を芥川作品の最高峰にあげていますが、当時は惨敗を認めざるを得ませんでした。今も完璧に理解しているとは断言できません。芥川龍之介を、芥川龍之介に学ぶことはまだまだあります。
 読書に目覚めた後、すすめられるままに近現代の日本文学を往来していました。数ヶ月後に村上春樹氏と京極夏彦氏の著作にのめり込み、アメリカの名作にも触れ始めてますます興味の範囲は広がっていくのですが、その話は別の機会に譲りましょう。
 私は河童忌を迎えるたびに読書について、小説について、書物について思索に耽ります。昨日も本を読みましたし、今日も読んでいます。明日も読むでしょう。読書生活を終わらせる気は微塵もありません。ただ、芥川龍之介の『魔術』に出会わなくても読書習慣を身に付けたのだろうか、と想像することはあります。仮に『魔術』を読まなかったとしても感銘を受ける小説が変わるだけで結果はおなじかも知れません。あるいはO.ヘンリーの『よみがえった改心』(A Retrieved Reformation)か、あるいはH.P.ラヴクラフトの『インスマウスの影』(The Shadow Over Innsmouth)か、あるいはチャールズ・ディケンズの『クリスマス・キャロル』(A Christmas Carol)か、あるいはホセ・ドノソの『夜のみだらな鳥』(El obsceno pájaro de la noche)か。あるいは。あるいは。
 IFの世界は可能性が豊かすぎて想像しきれませんね。兎にも角にも、たった1編の短編小説が読書嫌いを読書好きに変えたのは事実です。この事実の重みは歳月を経て失せるどころかますます存在感を深めており、日々読書欲を刺激しています。


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なぞめいた不思議な話 幻想文学館 2
くもん出版 1989年8月12日初版第1刷発行


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芥川龍之介作品集 1~4
昭和出版社 1975年5月20日発行


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芥川龍之介全集 全8冊セット
筑摩書房(ちくま文庫) 1987年4月1日発行



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