やしろ

【短編小説】やしろ

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 地元の神社は高台にある。住宅地をつらぬく坂道の果てにあるので、参拝するには蛇行する生活道路を延々のぼらなければならなかった。ななめに軒をならべる家々は四六時中ヘビに飲まれたカエルのように沈黙していて、聞こえるのは坂道をのぼる自分の足音くらいだ。犬の散歩や参拝に出かける近所の住人とすれちがうことはあるが、犬を連れているのは一頭の秋田犬と二頭のポメラニアンの二組で、参拝者は八十代に達していそうな年老いた小柄の男と白髪まじりの夫妻、それから近場の公園を目ざして駆けまわる子供をちらほら見かける程度である。これは神のまえで礼節をわきまえているというより、住宅地における人口の減少と高齢化のあらわれであった。昨年まで庭の植木を育てていた老人のいた一軒家をのぞくと、老人も植木もすがたを消している。数年前は満室になっていたアパルトマンを見ると、空室だらけで屋外階段のところどころにサビが付着している。デカダンスに浸るほど美意識を刺激する要素があるわけではないが、衰退の一途をたどる町なみはノスタルジアをかきたてた。
 定期的に参拝するようになって十ヶ月はたつ。だらしなくたるんだ腹まわりに危機感をつのらせているところ、旧友のミタムラに参拝を日課にしてはどうかとすすめられたのが契機になった。氏族であるミタムラは学生時代からよく親に駆りだされて、境内の掃除や雑用でいそがしそうにたちまわっていた。そうした彼との交流は神社を身近な場所にかえた。けれども高台に向かう坂道は肥満体に酷だった。当初は肺が破れそうな苦しみを味わった。参道についたら真っ白な息をやかんのように噴き、呼吸がととのうまで大人しくしなければならなかった。また夏には熱中症になりかけてミタムラに世話を焼かせた。恥ずかしさのあまり唇を噛み締めたが、秋の虫が鳴きはじめる頃には腹部にあらわれた成果によろこびを覚えることになった。ミタムラのおかげだ。ミタムラの叱咤激励がなければ三日坊主は避けられなかった。
 ふだんは手ぶらで神社をたずねている。しかしたまには感謝をかたちにかえなければ神罰がくだりそうだと懸念を抱き、今度は手土産に焼酎を二本ばかりたずさえていくことに決めた。
 晩秋の風は身心に沁みた。明けがたの生活道路には野良猫の影もなく、いつもどおりななめにたちならんでいる家々はこぞって静まりかえり、ゴーストタウンのような退廃的な風情をかもしだしていた。今朝は輪をかけて森閑としていた。郵便受けに刺さったままの新聞紙を見ながらふとこれはいつもの風景なのだろうかと疑念を抱く。どの郵便受けにも新聞紙が刺さりっぱなしなのは奇怪ではないのか。それとも以前から早朝に新聞紙がぬきとられることはなかったのか。記憶をさぐってもぼんやりとしたイメージが浮かぶだけで、新聞紙の有無はおろか郵便受けの形状すらあやふやである。よその家の郵便受けをのぞいてまわる趣味はないし、どこの家が何時に新聞紙をぬきとるか覚えていないのはあたりまえだが、どうにも腑に落ちなかった。動揺しながら頬を二回三回とたたく。だしぬけに未視感にとらわれる自分を鼓舞する。なにもおかしいところはないはずだ。 
 かろやかな足どりで坂道をのぼっていく。数ヶ月まえのように参道の石段に到着しても呼吸が乱れることはなく、筋肉がほぐれて体があたたまってくる。けれども石段をのぼり切るなりつめたい向かい風にあおられ、無意識的にあとずさりして石段を踏みはずしそうになった。境内から間断なく吹きつける突風は警告ともとれる不気味な音色を奏でながら参道脇の並木を揺らしていた。その一本一本の葉擦れからはおだやかならぬ予兆を読みとれた。参拝者を迎え入れる平穏無事な参道はそこになく、冷徹であたたかみに欠ける石畳が惰性的につづいている。
 境内にはひとけがなかった。ふだんならミタムラが清掃している時間帯なのに、竹箒一本見あたらないばかりか秋風にはこばれてきた落葉が敷地中に散らばっている。一日二日掃除をおこたる程度でここまで散らかるとは考えられない。得体の知れない不安が動悸となって顔をのぞかせる。なにもおかしいところはないはずだ、と胸のなかで声をあげても風音に掻き消されてしまう。そこにカタンカタンと板をつつくようなかわいた音がまざるのが気にかかり境内を見まわすと、絵馬掛所にかけてある絵馬が風にあおられるたびぶつかりあっていた。赤色の塗料がつかわれているため絵馬掛所は地味な境内において白い漆喰壁の社殿より派手で、その存在はひときわ目を引いた。風がつよまり、絵馬は独楽のようにまわりだした。紐がはずれて地面に投げだされたものもある。よろめいたさきでは台座に鎮座している狛犬が牙を剥き、いまにも飛びかかりそうな雰囲気をかもしだしていた。狛犬の形相が輪をかけていかめしくなるのを見ていると、あまりの恐ろしさで腰にちからが入らなくなる。社殿が雄叫びをあげるようにかん高いきしみをたて、ひとりでに鈴が鳴りはじめる。
 落葉が頬をかすめて焼けるような痛みが走った。その痛みで正気にかえると一刻もはやく猛り狂う神社から逃げださなければならないと悟り、社殿に背を向けて一目散に駆けだした。ところが参道に出るなり逆風にあおられて体勢をくずしかける。追い風になると思いきや出むかえたものはまたしても向かい風であった。逃さないといわんばかりの風候にひるみかけるが、とどまっているかぎり強風がおさまることはなく、最終的にはあの殺伐な社殿のまえに押しもどされるのだろうと想像すると生きた心地がせず、無我夢中で疾駆した。
 鳥居をぬけると勢いあまって石段を踏みはずし、街路までころげ落ちてしまった。踏みそこねた足は明後日の方向にねじれた。頭、肘、尻と石段に打ちつけた。つづけざまにおそいかかる激痛にうめき声をあげる。けれども街路でのたうちまわりながら、間一髪で助かったと実感する。風は吹いていなかった。見あげれば真紅の鳥居がそびえている。神社はそよ風にも吹かれていなかったような、ふだんと変わらぬおだやかなすがたを見せていた。
 あんた大丈夫か、と声をかけてくる人がいた。何度か顔をあわせたことのある参拝者の一人で、エンドウという老人だ。生きているかどうかわからなかったのか語調には不安そうな響きがあった。息切れと打撲の痛みで起きあがるのに難儀したが、老人が抱きかかえてくれたおかげでかろうじてたちあがれた。けれども老体に手伝わせたものだからばつがわるかった。
 ——石段から落ちたのかい。
 ——すみません、お見ぐるしいところを。
 ——いやいや、それはいいんだがな。怪我してないかい。
 ——大丈夫みたいです。おさわがせしました。
 ——どうしてあんな血相変えて走ったりしたんだ。なんかあったのか。
 老人の素朴な問いにどう返答したものかまよった。先刻の異常な状況を説明するだけの語彙を持ちあわせていなかったのだ。そもそも具体的になにを体験したというのだろうか。神社がおかしなことになっていた、としかはなしようがないが、閑静な参道を振りかえるととんちんかんな妄言なのは明白でことばを飲み込んだ。逡巡の末に物音におどろいてしまったのだとごまかした。老人は怪訝な面持ちを浮かべたが、それ以上追及しなかった。
 適当にとりつくろって老人とわかれると、捻挫した左足首が悲鳴をあげだした。荒々しく高ぶる気持ちが落ちつき、安堵感がふかまるにつれて四肢の関節や筋肉が熱を帯びていく。背後ではまだ老人が心配そうに見まもっている。質問をはぐらかした手まえ怪我したと勘づかれては具合がわるいので、フォークで神経をえぐられるような激痛をこらえながら蛇行する坂道をおりなければならなかった。
 捻挫は軽傷で済んだものの、治療に数日をようした。布団に投げだした左足首には包帯がまかれている。そのありさまを見るたび神社の怪異現象が記憶によみがえり、肌が粟だつような、憂鬱の虫に這われているような嫌な気持ちになった。スマートフォンを手にするとミタムラから見舞いのメッセージがとどいていた。彼には病院からかえるなり神社をおとずれたこと、ミタムラのすがたがないのでかえろうとした矢先に石段で転倒して負傷したことをつたえた。怪異現象の件には触れなかった。理由はエンドウ老人にはなせなかったのと大体おなじだ。しかし、元来は気持ちの整理がつけば体験談を語るにやぶさかではなかった。ところがミタムラから奇妙な経緯を知らされて、当惑するあまり語る機会を逸した。
 真紅の鳥居をぬけたさきは人かげがなく、とりこにされたら永遠にとじこめられてしまいそうな、たとえるならば冥界の入口のような不穏な様相を呈していた。けれどもミタムラのはなしによれば、彼はおなじ時間帯にいつもどおり落葉を掃きながら参拝者と談笑に興じていたという。参拝者とはほかでもないエンドウ老人である。ミタムラに神社にはだれもいなかったとつたえると、俊敏な彼にしてはめずらしく応答がとだえた。適切な対応を考えあぐねているミタムラの渋面がスマートフォン越しにうかがえるようだ。やがて遠慮がちな、それでいて怪訝そうなメッセージがおくられてきた。
 ――すまん。どうもはなしが噛み合わない。きみは神社にこなかったじゃないか。きたとしてもすれちがいになったとしか考えられないんだが。
 ミタムラの文章には困惑の色があらわれていた。思わず天をあおぎ見る。動揺して呼吸をわすれていたようで、顎をゆるめるなり肺がはげしく躍動して空気をとりこみだした。うなる並木、険相を浮かべる狛犬、飛ばされる絵馬。フラッシュバックする神社の惨状に身の毛がよだち、スマートフォンを持つ手がふるえた。布団にもぐり込むとピコンと能天気な通知音がなった。ミタムラから新たなメッセージがとどいていた。
 ――ただ、おかしなことはあった。掃除が済んでもどってきたら、なぜかかけてあった絵馬がこぞって吹き飛んでいたんだ。それと、だれが置きわすれたのか知らないが焼酎がころがっていた。それも二本。こんな豪華なわすれものははじめだからおどろいた。飲んじゃっていいのかな。
 スマートフォンを枕元において、天井の染みをながめながら彼へのことばを口にする。自分の喉から発せられたとは思えないほどうつろで、ほこりまみれの古いカセットテープに録音されているつぶやきを再生したようなくぐもった音声。口をとじても言葉はながれつづけた。けれども語るものの声は自分のものにちがいなかった。飲んでもいいんだ、なおも自分はミタムラにはなしかけている。それはきみのために用意した焼酎なのだから。


※2012年脱稿・2018年改稿

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