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「美味しい生活」という愛情 【 #そしてバトンは渡された 】

高校3年生が始まる日の朝。
たかが始業式に張り切ってかつ丼を用意し、自分は「朝から揚げ物はなあ」と言いながら美味しいと評判のメロンパンを手にする。

クラスでぎくしゃくしていることを告げれば「事態が好転しないなら、スタミナをつけ続けるしかないだろ」と何日も連続で餃子を作り続ける。

受験の前日には「今日はよく寝て、本番に備えよう。合格できると信じてリラックスしながらがんばって!」とオムライスの上にケチャップで長々とダイイングメッセージに見える文章を書く。


どこかズレている森宮さんは優子にとって3人目の父親だ。
3人目ともなれば、もちろん血の繋がりは無い。


2019年本屋大賞受賞作、瀬尾まいこさんの『そして、バトンは渡された』を読みました。

困った。全然不幸ではないのだ。』から始まるこの本の主人公・優子には2人の母親と3人の父親がいます。引用した一文の通り、自分の苗字が学校を卒業するたびに変わっても、優子は全く不幸ではないのです。

この本には、親の数だけたくさんの愛情が詰まっています。


何を持って「家族」と呼ぶのでしょうか。
血の繋がり、それとも戸籍謄本…?

3人目の父親・森宮さんは、優子にとって「帰る場所」であり続けてくれたことが大きいんだと思います。いつでもそこに森宮さんはいてくれた。

他の家族と比べて、森宮さんは一緒に食事をするシーンが多く描かれていたことも印象的です。

…冒頭にも書いた通り、少しズレてるんですけどね。


「自分以外の誰かの分を用意する時、家族ができたんだと実感するよな。優子ちゃんがおいしそうに食べる顔を想像したら、せこいやつだと思われるのなんて気にもせず会社の菓子も持って帰れる。娘ができるってすごいことだよな」(p48)

優子は森宮さんに、森宮さんは優子に、それぞれ美味しいものを買って帰ります。相手が美味しそうに頬張る姿を見て「買ってきて良かった」と思う気持ちは、ホッとするほどあたたかい。
美味しいものを食べたときに「あのひとにも食べてもらいたいな」と浮かぶひとがいるのってとても幸福なことだと思うんです。そしてそれを美味しそうに食べてくれたのなら、とびっきり嬉しい。

スポンジやクリームは重いから、とホールケーキの上の果物だけを食べてしまう森宮さんに呆れてしまうこともあるんですが。


透明のゼリー。甘いチョコレートケーキみたいに食べるだけで幸せな気分になるほどの強力さはないけれど、どんなときに食べても心地の良いデザートだ。違う味のゼリーが待っている。そう思うと、明日のこの時間がやっぱり楽しみになった。(p73)

5月、毎日のように森宮さんはゼリーを作ります。微妙にゼラチンの量を調整して。良い柔らかさで出来た時には「これは高級ゼリーだな」なんて言って。
毎日外で色んなことが起こるけれど、家に帰れば今日とはまた違ったゼラチンの量で作ったゼリーが待っている。美味しい日常が続く幸福感。


塞いでいるときも元気なときも、ごはんを作ってくれる人がいる。それは、どんな献立よりも力を与えてくれることかもしれない。(p181)

毎日食べるご飯。
献立に込められた想い、一緒に食事をする時間。
それは紛れもなく、美味しい生活。


パワフルで、1人でどんどん行動して、ちょっと破天荒な2人目の母親・梨花さんも、趣味でピアノを調律している2人目の父親・お金持ちの泉ヶ原さんも、みんなそれぞれの方法で優子に愛情を注いでいました。
梨花さんは毎日素直な言葉と態度で優子が大事な存在だということを伝えてくれていましたし、逆に泉ヶ原さんは口数こそ少ないけれど広い心でいつだって包み込んでくれていました。

そして3人目の父親である森宮さんは「美味しい生活」という愛情をめいいっぱい注いでくれていたんだと思います。本人がどこまで意識しているかは分からないけれど。

優子にとっては卒業する度に変わっていた苗字。
全然不幸でないことを困っている優子ですが、苗字が変わるということは生活も変わるということです。残り5日を800円で過ごさなくちゃいけないことも、反対に豊かすぎて窮屈な想いをしたこともありました。

優子と毎日食事をすることによって、森宮さんはいつしか優子に「平穏な日常」を与えてくれたのではないでしょうか。変わらない日常は、優子にとって今まで当たり前のものではありませんでした。

平穏な日常を過ごす森宮さんと優子は、たとえ血が繋がっていなくたって、お父さんではなく「森宮さん」って呼んでいたって、やはり「家族」なんです。



この本のタイトルにも出てくる「バトン」の意味が書かれているのは本編のラストのページ。単に親が変わるという意味での「バトン」ではありません。

自分の持っているこのバトンを、いつ誰に手渡せるのか。
いまからその未来が待ち遠しくなる、そんな一冊でした。


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