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Ep.13: NoRain/BlindMelon

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引き続き、Podcastでもお聞きいただけます。

 92年、デビュー・アルバム『BlindMelon』の7曲目。
 
 70年前後に生まれた人たちにとってはおそらくアンセムなんだと思う。
 
 この曲は明確にひきこもり的な感性を歌にしている。そんな気持ちを抱えているのは自分だけではないことを知り、何となく力を得た若者は多かったはずだ。
 
 世代の感性は確実に存在する。(俺たちの世代なら、サリンジャーや庄司薫というような言葉で表されるイメージである。不気味に、無意味に優しいのが俺たちの世代の特徴である、罵声を憎み、徒党を憎み、競争を憎み、そして、女子が大好き。) 引きこもりやニートに対して、連帯と共同を旨とする団塊の世代的な感性で、やたら励ましたりする批判する輩がいるが、俺は、社会も衣食が足り、ようやく、人間が正直になってきただけだと思っている。少なくとも、よってたかって集まって戦争まで突っ走りかねないような感性よりはましだ。

 それに、ひきこもり的な感覚は、もはや、世代を超えて、俺の中にも、貴方の中にも確実に存在するはずである、少なくとも俺にはある。幾つになっても、この社会とはなかなか馴染めないという感覚。いや、馴染みたい社会に生きている気がしないという感覚。きっと、それは彼らが歌にしたころから顕在化してきたのだろう。

 それでも、俺が引きこもらずに住んでいるのは、単純に、人間がラフに出来ているからだけである。それに飯食わせてくれる奇特な人もいないし・・・

 引きこもり的な感性を個人の責とせず、そのような状態に個人を追い込んでいるものが何なのか、そのことを真剣に考えないと人類は確実に衰退に向かうと思う。

 俺は、別に人類が衰退に向かってもかまわないという立場だが、引きこもっている人たちがそれほど幸せではないようなので、俺の分かっていることを言葉にしよう。
 
 あえて君と呼ぼう。
 
 結局、人間を疎外するのは人間である。無知、無関心、差別、傲慢、嫉妬・・・その他諸々の人間の業が、人の生きる力を奪っているのだ。きっと君には、それが見えすぎるほど見えるのだと思う。炭鉱では、酸欠を知るために、鳥籠を持って入るという話があるが、君は、いち早く、社会の酸欠を知らせるカナリヤなのだ。君はそのことに誇りを持ってもいい。

 だが君は籠の鳥ではない。社会のためにくたばるのが君の使命ではない。
 
 だから、初めから、親も含めて、他人に期待などせず、せっかく明晰なんだから自分に見えていることをベースに、良かれと思うことを、逆に他人にしてあげられるような人間になりなさい。人生は誰しも平等に、死という行き先の決まっている、負けゲームであると考えれば、淡々と生きられるよ。どんなに立派に見える、凄い人でも、君と同じで、永遠には生きられないんだ。悲しいのは、寂しいのは、君だけじゃないんだ。

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