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自尊心のはなし

週明けの投稿になってしまいました、すみません。

さて、前回は世代の話から「ポスト団塊ジュニア世代」の性質、そして時代の特性をつくる根本的な精神、「自尊心」について少し書き残しました。今日はその自尊心に目を向けて考え書き残していきます。

多様性を善とするこの時代、個であることを恐れず、自らを尊重し、認める力がより求められます。他人に求めず、自分自身でケアことが、生きていく上でのキーということです。世の中の啓発本や生き方エッセイ、記事、占いの気の利いたコメントまでも…いろいろな場所で「自分を受け入れましょう」という言葉が出現します。心の保ち方も、そこですよね。成熟した人間が持っている感覚も。ビジネスで成功するためのマインドも、同様です。自己の性格形成に欠かせない、しかし簡単には変えられないやっかいな奴、それが自尊心なのです。

言葉云々ではないけれど

自尊心に関連するワードはいくつかあります。自信、自己愛、自己受容、セルフヘルプ、成功体験、プライド、品位…等々、それぞれ意味合いやベクトル違えど、重なる部分があります。どれも要はそのひとの「満足度」や「幸福度」に強く繋がっているものです。(厳密な定義などはここでは扱わず、あくまで私個人が考える「自尊心」について書いていきます。)

「あのひとは自尊心がつよすぎる」なんて言うと、プライドが高い、自意識過剰、自信家のような敬遠する言い回しになりますし、「自尊心低すぎィ!」となればとてもひねくれているというか、弱弱しいイメージを抱きます。強い・高いからいいわけでもなく、弱い・低いからいいものでもなく。ただ、どちらもダメともいえず、それぞれの場合でのセルフコントロール、バランスをとるためのアプローチを心掛ける必要があります。

大抵は幼少時代を振り返ればわかる

自己形成の基盤、それは勿論子供のころにあります。周囲の大人にどう関わりをもっていたのか、どのように評価されて、どんな感情や言葉を投げかけられていたか、そこでほぼ決まりますよね。「インナーチャイルド」なんかも関わりが強いですよね。様々な形で、多くの人が歳を重ねながらも心の奥で戦っています。環境も、職業も、生活習慣も変えられるとしても、奥底の思考回路はなかなか手ごわいものです。

子どもの頃を振り返るときの項目、例えば、

・兄弟姉妹の数は? ・家族構成は? ・子供の頃の強烈な記憶は? ・嬉しかった記憶は? ・悲しかった記憶は? ・努力したときにどんな結果があった? ・自分の苦手なことや嫌なこと、失敗したことについて、大人はどんなリアクションをした? ・大人と感情を共有できることはあった? ・見ていたテレビ、聞いていた音楽は? ・どんな遊びをしていた? ・どんなことに疑問をもった? ・どんなルールで生活してた? ・何をするのが好きだった? ・友達と遊ぶとき、何人で、どうやって遊んでいた? ・周囲との上下関係は? ・礼儀ってどれくらい大事にしていた?

…こんな事が挙げられるかと思います。ちょっと試しに思い出してみてください。その時の思考が、いまの癖、特性として自分の日々に表れているはずです。まずは個と個(親など)、そして集団、社会へと関わる段階で、様々な思考をし、行動し、それに対する周囲の反応があり、そしてそのとき感じた個の感情、そしてそれに対する行動を…その繰り返しで性格形成がされていくわけですよね。大人になった今よりも単純なプロセスの中で、無意識に今の自分になる「訓練」をしていたというわけです。訓練で培ってきたものはそう簡単に壊れません、染みついていますから。それは、良い事も悪い事も同じです。なので変えるというより、上手く付き合うという意識が重要になります。

自尊心が低い、弱い人間

とにかく自信がない、卑屈、「自分なんて」と思ってしまう、自分に厳しい…そんな人。そんな人が急に「自尊心高くすっぞ!」なんてやり出しても、無茶ですよね。自尊心が低いままに成長した場合、大人になってかそれをカバーするのは一苦労で済みません。自尊心を高める、というよりはまず「自尊心が低い自分をみとめる」作業から始める必要があります。私は自信がないんだ、と理解し、なぜそうなのか、インナーチャイルドを見つめながら分析しつつ、ありのままを受け止めたうえでそこから無条件に発生してしまう感情を切り離すようにします。

…純粋であればあるほどこの作業は楽にできるでしょうが、人間の感情、思考は複雑ですので邪魔をしてくるものがあります。他人を「比べる」「見下す」「馬鹿にする」などといったものです。それって傲慢、自尊心が高すぎる人がやる事じゃないの!?と言われそうですが、ここで私が思う自尊心でいうと、それらは低い人ほどもつ感情、思考です。

「自尊心低い」は見た目じゃわからない

表出されるのは「私なんて…」「ダメダメです…」「全然自信なくて…」と言いつつ、実は言葉の裏には全く違う場合もあります。実はこころの中で相手を卑下していたり、それが自尊心の低さや自信のなさゆえであったり。また、「私って天才!」「失敗しても大丈夫!」なんてポジティブに発言していても、心の中で怯えているかもしれません。人間って複雑ですから、そう簡単にダイレクトな感情表出できるわけではありませんよね。

例えば私。私も自信がなくいつも「私なんて」と口に出してしまいますが、一方で「あの人よりはできる」「まだマシ」なんて思ってしまう性格の悪さがひょこっと出てくるわけです(笑)実に嫌なやつ。そういう自分に気が付いて余計にへこんだりすることもあったりします。でも最近は、そういう「性格悪い私」をやれやれと認めるしかないのだな、と思っています。その段階がないと、本当に変わることはできませんから。…余談ですが、私の母親はいつも私の友人の粗探しをするような人間でした。小学生時代、友人と自宅で遊んだあと、たいてい彼女は「あの子はホントだめね、アンタの方がマシ。」というようにギーギー小言を言ってくるのです。かといって私も褒めてもらえるわけでもなく、「お前はほんとバカだね。」と日々言われておりました(とはいえ勉強は頑張りましたし、田舎では優秀な真面目児童でした)。そして外面だけはいい母親でしたので、周囲にはいつも「いいおかあさんだね」と言われ、ギャップと戦う日々でした。今ではもう関わるのをやめたので平穏ですが、それでも疲れているときには彼女が夢に出てきてうなされたりです。…それが私の一番やっかいな性格のルーツ、インナーチャイルドの根源です。

自尊心を高めるのでなく、自尊心の低さを認めること

ポジティブに考えているだけではうまくいきません。きちんと、自分の醜さを認めなければなりません。ポジティブになるのはまた次の段階、ダメな自分が隅々まで理解できた後です。

ここでさらに注意しなければならないのが、「悲劇のヒーロー、悲劇のヒロインにならないこと」。私はクズだ、こんなに悪い奴だ…とどんどん感情を先行させてつぶれる、または己惚れるのもいけませんし、振り返りと反省を間違えて自分に罰を与えようとしたり…それは決していけません。

やりたいのは、ごくごく客観的に自分という人間の特徴を知り、「ふーん、なるほどね」と理解する事です。そこに過度な感情を生む必要はありません。

度々書きますが、自尊心の強さ、高さは決してコミュニケーションがポジティブかどうかではありません。表出部分ではなく、内面です。そして、自尊心はそう易々と高まるものではありません。まずは自分の自尊心の度合いについて、認めることです。

どんな時代に漂流しても生きられるかしら

前回の大正世代~さとり世代までをみると分かる通り、社会の価値観は世代、時代によって様変わりします。そして前回の記事で述べたとおり、これからの時代を生き抜くには、自尊心というのは欠かせません。(さらに言えば、個の付加価値なども必要だとは思いますが。)…私は多くの相談援助の中で、様々な世代の人々に出会ってきましたが、そこで感じたのは、時代が新しいほど(若い世代ほど)、自尊心がよりビッグイシューであること。

今のところは過去にタイムトラベルすることは不可能であり、当面過去のような家制度を重んじる社会へ逆戻りする可能性は低いでしょう。個の時代が加速し、AIによって人間にしかできない役目がどんどん狭まっていきます。その度合いはどうなるかわかりませんが、どんな時代になろうと、自己理解、そして自尊心との付き合いを疎かにしては精神の安定を望めないでしょう。ほんとほんと、危機だと思います。

日々の生活を一旦横に置いておける瞬間を

だからこそ、見つめ直す、自己理解をする場を自らつくる必要があります。また、それが難しければ、強制的にそうなる環境が必要です。

今回の記事を書きながらますます、思考する場所をつくる手伝いをしたいなと感じました。ちょうど今仕事では若手の福祉職の支援として、日々の業務から離れてテーマについて考える、セッションするような企画を進行しております。そこで毎度、みなさんがいかに普段仕事に追われているかを痛感しますし、同時にアウトプットの重要さを再認識します。…そんな場を、もっともっと色々な場面でできるような、そういった人間に私自身がなれたらいいな、と思います。まだまだ修行が必要です。

ながくなりましたが、今回の書留めは以上です。次回はもう少しライトな記事にしたいと思います(笑)


KOMIYA


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