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小説 桜ノ宮 ⑱

瀟洒な邸宅が立ち並ぶ静かな通りを行くと、公園に差し掛かった。
「可南~!」
甘い声を出しながら、広季が走り出した。
ブランコに乗ったその女の子は人差し指を口元のマスクに持ってきた。
その様子を見て、広季は走るのをやめてゆっくりと歩き出した。
紗雪はトレンチコートのポケットに手を突っ込み、二人の様子をうかがっていた。
「元気にしとったかー、可南」
「だから、静かにしてよ」
両手を広げて抱きしめる気満々の広季に可南は冷たい。
ブランコから降りると、広季の両腕をゆっくり下げた。
大人びた可南の姿が紗雪には可笑しかった。
「おはようございます」
可南は紗雪に声をかけた。
「おはようございます」
紗雪は可南に近づき、しゃがんで目線を合わせた。
父親の雰囲気を残しつつも、利発そうな子供だった。
「この人、電話で話した探偵さん」
「はじめまして。可南ちゃんよね」
「はい。探偵さん、お名前は?」
探偵デビュー初日にして、紗雪は本名で活動するかどうかを決めていなかった。
「そうやなあ、私の名前は秘密なんやけど、しゃーないな、教えたるわ」
「秘密」という響きに、可南の目が輝いた。
「桜ノ宮っていうの」
「桜ノ宮?」
「桜ノ宮…小雪」
わくわくしている可南の期待に応えるため、精一杯ひねり出したコードネームだった。
口に出してすぐ、さびれたスナックの店頭に貼られている売れない演歌歌手のポスターが紗雪の頭に浮かんだ。
ふと見ると、広季が口をおさえて笑いをこらえている。
「さくらのみやこゆき、かわいい!かっこいい!」
大人の心配を気にすることなく、可南は「探偵・桜ノ宮小雪」に興奮していた。
その様子を見て、紗雪は心から安堵した。
「しっ。可南ちゃん、あんまり大きな声で言わんといて」
「あ。ほんまや。秘密やもんな」
小さな手をマスクに当てる姿が愛らしい。
普段、あまり子供と接する機会のない紗雪は胸が温かくなった。
「さ、作戦の確認するで。とりあえず、そこのベンチに集合」
滑り台の近くにあるベンチへと三人は移動した。
可南を真ん中に座らせ、大人二人が両端を陣取る。
「可南、おじいちゃんとおばあちゃんはちゃんと出かけたか」
「うん。出かけた。奈良にお墓参りに行った」
「『神様のつかい』が来るのは、明日やったな」
「うん。明日のお昼前」
「それに先立って、予定が変わったということで偽物の『神様のつかい』が今日、ママの実家へ行く」
広季は紗雪を指さした。紗雪は深く頷いた。
「そこでありがたいお話をして説得する」
広季が力をこめていったところで、紗雪は手を挙げた。
「あの、質問なんですけど、そのありがたいお話って何話せばいいんですか」
「そらー、あれや。うーん」
広季は何も考えてなかったようだった。
「真美ちゃんのこと、信じたらあかんって言うて」
可南が紗雪の手を握った。
真美のことは、広季から前もって知らされていた。
紗雪が想像するに原因はよくある女の友情のもつれだろう。
「可南ちゃんは、パパとママにどうなってほしいの?」
可南の手の上に自分の手を重ねて紗雪は訊いた。
「仲直りしてほしい。もといたマンションで三人で暮らしたい」
涙を浮かべるその姿に紗雪の母性本能が作動した。
「わかったわ。そうなるようにがんばるわ」
「ありがとう。市…いや、桜ノ宮さん!」
広季が絞り出すように言う。
「芦田さんのためやないですよ。可南ちゃんのためですよ、なー」
「なー」
可南と見つめ合うだけで、今まで感じたことのない力が紗雪の体に漲った。

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