自立は意外と安定しない
先週、徳島に帰省していた時のことである。
「みんな何で一人暮らしなんてできるんだろう。もし、お父さんが先に死んだら一人ではよう住まんわ」
車中で母が消え入るように言った。
私の実家では長らく母が大黒柱であった。
母は自分が自立した人間であることを鼻にかけている節があった。
その母がこの発言である。
とても活動的な人なのであるが、思えば、いつも誰かと一緒であることが多かった。
はっきりとは言わないが、孤独=寂しいと捉えているところがある。
「へー、ほな、どないするん」
私は訊いた。
「どないするでー」
この問題は車中で浮遊した。
私の地元・徳島は日本のなかでも1、2を争う過疎地である。
今年の夏には、県内唯一のデパートが無くなる予定だ。
仕事が無さ過ぎて、大阪などの都会へ出稼ぎに出ている人たちもいる。
地元で中流以上の暮らしをしているのは、進学・就職の際にだいたい親から金をちらつかされて足止めされた人々だ。
「バイク、買ってあげるから」
「車、買ってあげるから」
「結婚式、お金出してあげるから」
「家の頭金、払ってあげるから」
結婚したあとは、生活費の一部を援助してもらっている人も多い。
こうでもしないと、多くの人たちが中流ほどの生活を送れないのが現実である。
親が定年退職後に都会へ出た子供たちのところへ早めに身を寄せて生活を転換したケースもある。
私の家族はどの生き方も選ばなかった。
母は一見しっかり者に見えるのだが、人生の決定力に欠けるところがあり、父は自分のことすらすべて人任せである。
私も姉も地元に帰省することはあっても、住むことはもうないだろう。
つまり、それは親と暮らす未来は無いということ。
母は時々私の孤独な生き方を揶揄することがある。
誰かと積極的に関わり、交流を持ち、人に必要とされ、好かれるのが母にとって意義があることであり、誇りであるからだ。
また、それが正しいことであると思っている。
私は母の考え方を理解することができる。
ただ、私は面倒くさがり屋であるし、そこまで人に好かれたいとは思わない。
経済的自立者と精神的自立者が交わることは難しい。
車中で浮いた問題の答えを私があえて出さなかったのは、人生とは自分で決めるものだと思うからである。
自立というのは、意外と安定が悪くバランスがとれないものなのだなと思った出来事だった。
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