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子どもは40000回質問する

「自分は好奇心が旺盛だと思う」

就活の性格診断テストにおいて、必ずと言っていいほど設問にあるこの項目。なんとなくだが、多くの人が「当てはまる」「どちらかと言えば当てはまる」にチェックしてるのではないだろうか。

「好奇心の無いやつなんて人としてつまらなそう」
「仕事に対しても興味がもてなくてすぐに辞めそう、成果出せなさそう」

とか思われるのでは…みたいな。
自分は好奇心旺盛な人間だと思っている場合だって、本当にそうかもしれないけど、勘違いしてるだけかもしれない。定性的な質問は特に、外部視線を完全に排除した回答は結構難しい。

ただ、今後はさらに好奇心が求められる時代になっていくのは事実かもしれない。テクノロジーの発達によって、多くの課題を抱えながらも成熟した先進国では特に「イノベーション」の必要性が叫ばれて久しい。それには好奇心が大事だよね、当然だよね。そんなん当たり前じゃん。知ってる知ってる。持ってる持ってる。


・・・なぜだろうか。というか好奇心って何だ。奇妙なものを好く心…?もしかしてヤバいやつ?
好奇心の重要性が暗黙の合意となっている中で、それに対して正面から向き合っているのがイアン・レズリー著のこの本である。

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『子どもは40000回質問する』

「無関心は何よりも愚かな悪習である」

好奇心には2種類ある。「拡散的好奇心」と「知的好奇心」だ。前者は、触ってはいけない者に触ったり、ドアが開いていれば駆け出したり、あらゆる物を口に入れてしまう欲求の事を心理学者たちがそう呼んでいる。しかしそれは何も幼い子どもに限った話ではなく、あらゆる大人が備えているものでもある。ツイート、ブログ、広告、スマートフォンのアプリ等、現代社会では満足することに性急になっている。束縛の無い好奇心は世界を広げ得るし、何よりも楽しい。しかし、方向性のない表面的な好奇心は不毛である。無関心が悪だとしても、表面的な関心は良ではない。

そう、本当に必要なのは「知的好奇心」のほうだ。そしてそれは努力を伴う訓練なしには身につかないものである。問題解決への執着心を伴う、奥深いこの知的好奇心をめぐって訪れる社会格差を著者は危惧している。拡散的好奇心の浪費自体は何も生み出さない。いかにして知的に進化させるかが重要なのである。
しかし、デジタルが発達した社会では「好奇心の浪費」が蔓延しやすい。グーグルによってあらゆる情報がネットに存在する現代、人々は知識の獲得に対して努力をしなくなっている。すべての事象には正解が存在し(すると思っており)、それは検索すればほんの数秒で解決してしまう。拡散的好奇心は表面的であり、欲求は強いがすぐに満たすことが可能である。だが、その速さが不安や焦燥感を生み、知的になることなくただ浪費されていく。SNSを頻繁に確認したり、延々とスマホゲームに夢中になってしまうのはその代表例なのではないか。

このような状況の中で、社会は好奇心格差によって二分化される。人の成功を左右するのは能力の前に、好奇心の有無なのである。スティーブ・ジョブズはまさに好奇心の塊であったし、ウォルト・ディズニー亡き後のディズニーの凋落は彼の持っていた好奇心が企業から失われてしまったことにある。

IBMで提唱されたT型人材の概念は、今では広く理解されている。スペシャリストでありジェネラリストこそが求められる人材である、というこの考えは本書の知的好奇心を獲得した人材にほとんど等しい。最近ではπ型などと派生しつつもあるが、そのベースは広い知識の有無である。課題が複雑化している現代では、一つの知識だけで解決することはほとんどない。複合的なあらゆる知識の総動員によって、それは快方に向かう。これが多様性需要の本質であり、多くの企業で多様な人材の獲得を目指している現在の流れも理解できる。知識に幅があることによって異分野の衝突が起こり、革新的な洞察が生まれる。それは集団の中でも、個人の頭の中でも起こり得る。(個人では限界がある故にチームの重要性が説かれているのだと思っているが。)

では、どうすれば多くの知識を獲得する好奇心が生み出せるのか。一つの研究結果として、好奇心は「情報の空白」によってもたらされるという。

例えば、突然僕にオペラについて話を振られてもそこに好奇心はおそらく生まれない。なぜなら、背景知識がほとんど皆無だからだ。知らないことの話をされても好奇心にたどり着くことは簡単ではない。逆に、就活で志望してたコンサル業界についてならば可能だ。なぜなら、背景知識が幾何かあるからだ。そう、好奇心はある程度の背景知識を基にした「情報の空白」からもたらされる。つまり、「少しだけ知っている」ということこそが好奇心に火をつけるのである。この理論を打ち立てた心理学者ジョージ・ローウェンスタインはこのように述べている。

「好奇心が飛びぬけて旺盛な人と、好奇心がまるでない人がいるという考えには賛成できない。もちろん個人差はあるだろうが、肝心なのはどんな文脈で新しい情報に出会うかである。」

本書では7つの好奇心を持つための7つの方法を紹介しているが、そのうちの1つが「ティースプーンに問いかける」ことだ。

これはつまり、「どんなものでも集中して観察すれば、隠れた面白さや美しさが明らかになる」という考えである。ただ毎日卵を割って焼くだけの作業であっても、タンパク質が熱によって変性し、液状から固体に変わる様子に面白さを見出せばそれが研究者への道につながるかもしれない。皿洗いのバイトで、洗剤の威力を覚えれば化学メーカー志望のきっかけになるかもしれない。何気ない、ありふれたこと(=ティースプーン)に問いかけることが出来れば、好奇心の原石はそこら中に転がっている。

この方法の裏は、将来のことだけに関心を向けると今取り組んでいることに飽きやすくなるというメッセージがある。目標に意識を集中させて気持ちを高めることは一般的だが、焦点がそこばかりにいくと現在を楽しむことが出来ず、今の行動に面白さを見い出せなくなり、やり抜く力の低下によって結果的に喜ばしくない将来になってしまうことが起こり得る。そんな意味でも、今現在身近にあることに好奇心を抱くことは重要である。

好奇心は、過去には悪だと捉えられていたことがある。初期のキリスト教学者にとってそれは、「秩序を乱すもの」であった。アウグスティヌスは「神は多くを知ろうとする者のために地獄を作られた」とまで言っている。確かに、様々な慣習の裏側に興味を持つことはともすれば信仰に疑いを持つことになる。

現代のパラダイムでは好奇心は悪ではないが、それが裏目に出る瞬間はある。好奇心とは、後から振り返ってその価値がわかるものである。好奇心に突き動かされている瞬間には、本来の課題や目標から私たちを引き離し、日常を乱す物でもある。しかしそれが事象を追究する方向性を持った知的なものであれば、拡散的な浪費でなければ、未来は好奇心が旺盛な人に微笑むだろう。

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この本の原題は『CURIOUS –The desire to know and why your future depends on it-』である通り、好奇心について正面から切り込んだ本である。2歳から5歳までの間に子供が約40000回質問するほどに好奇心が旺盛、という記載があることから邦題のようになったと思われる。(多少奇抜な、日本でのマーケティングが見え隠れする気もするが…。)
だらだらと書いてしまったが、要は、「今後はイノベーションを起こせる人材が価値が高くて、それには幅広い知識を基にした思考と行動が必要で、知識の獲得には好奇心が必要。つまり好奇心ないとヤバいから、頑張ろう楽しもう。」ということです

もっといろいろなことに興味を持てれば人生が豊かになるのは自明なことでもある気はするが、それが難しいのも事実である。『パラダイム・シフトの魔力』では、新しい価値観や考え方に対する抵抗が多くの企業を凋落に貶めたことを個人にも昇華させたメッセージを伝えているが、それは好奇心にも通ずることがあるのではないか。

「自分の無知に目をつむる私たちの能力は計り知れない」

ダニエル・カーネマンが言うように、人間はなかなかパラダイムに縛られていることを認知できない。ティースプーンに問いかけることは簡単ではない。(その意味では、芸人が日常の何気ない話を面白おかしく仕立て上げるのはほんとにすごい。さんますごい。)

それを自覚した上で、好奇心を持って、様々な知識や見方を身に付けた先に、イノーベーションとまではいかずとも、人生の楽しさがあるのかなあなんて。

好奇心の浪費ではなく、投資を。大きなことを考えながら、小さなことを真剣に。

「情報化の先にあるのは、選択の時代だ。」(アメリカのすごいデザイナー)

好奇心を選択したい今日この頃。

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