定年後のアルバイト体験談 現場でのいいことそうでないこと
こんにちは、
えびさんです。
今回は、会社員を退職後に経験した、または現在もやっているアルバイトについての体験談と現場での「いいこと」と「そうでないこと」を書きたいと思います。
「いいこと」は当然良いことなのですが、「そうでないこと」には、嫌な体験も多少含まれていますが、最後まで読んで頂ければそれはどういうことかわかると思います。
定年後にアルバイトをすることになった
2019年7月末で37年4ヶ月勤めた会社を退職しました。
35年6ヶ月の正社員雇用と1年10ヵ月の再雇用でした。
定年になったら、いや上手く行けば定年前にも退職したかったのですが、副業で始めたアフィリエイトのセンスがないのか、ちゃんと学ぶというと気概がなかったからか、それで食えるほどの報酬を得ることもなく、結局2年近い再雇用生活を送ってしまいました。
定年の5年以上前から定年で会社とは"おさらば"すると周囲にも語っていたし、当然妻にも伝えていました。
そのための副業も見つけてコツコツ始めたのですが、まあ、大した収入を得るまでに至らずでした。
でも、会社は辞めたくて仕方ありませんでした。
仕事は嫌いではありませんでした。
でも会社の風土には、嫌気がしていたのです。
同僚からは、それなりの収入になるんだから65歳まで働けばいいのに、と言われたこともあります。
でも今わの際で、好きでもない会社に65歳までいたことを絶対後悔するだろうと思い、61歳と10ヶ月で辞めました。
しかし、しかしです。
念願かなって自由の身になったからと言って、喜んでばかりいるわけにいきませんでした。
なんせ中小企業ですから退職金も大したことがないし、貯金も心もとない。
公的年金受給までまだ3年ある、在職中に個人事業主になっていましたが、食えるだけの収入があるわけでない。
頼りは妻だけ。
僕ら夫婦は適度な距離感はいいのですが、自分のことは自分でやるルール。
だからいざという時、捨てられないように出来るだけ家事はやるようにしています。
そんな諸々の理由で、じゃアルバイトするしかないな、というシンプルすぎる理由で、退職した翌日からアルバイトで働きだしました。
定年後のアルバイト 体験した職種
会社員を退職した翌日からアルバイトを始めるなんでアホちゃうかと思います。妻からも言われました。失業保険をしっかりもらえば良かったといまでは多少後悔もしています。
まあ、今の僕ならもう少し賢くやったかもしれませんが、いつも動いてから後悔する人生なので、今はまっいいかという感じです。
さて、せっかくなので以下僕が体験したアルバイトについて紹介します。
もしかして会社員を辞めたあとアルバイトでもしようか、という方もいるかもしれないので、少しでも参考になれば幸いです。
家具&ホームファッションのチェーン店N
退職の3ヵ月ほど前から次の仕事探そうと色々調べていました。
妻がちょうどNで働いていて、「あなたみたいな定年後のおじさんも働いてるよ」
というので、当時住んでいた横浜市港北区から一番近い店舗に応募したら採用されました。
面接と試験を受けてから1週間ほど連絡がなかったので、ダメなのかと心配でしたが、なんとか採用されました。
しっかりビジョンをもった企業で組合もあり働きやすい職場だと思います。
会社員時代、残業や休日出勤と過酷な働き方(ただその状況にいた時は麻痺していた)をしてきた僕には新鮮でした。
オンとオフの明確なホワイト企業です。
僕の勤める店舗は、従業員約60名で、内訳は社員4名で他はパート・アルバイトで運営しています。
店長クラスで30代前半くらい。
僕が担当している家具の社員は入社2年から3年目くらいで、そんな若い人たち一緒に仕事をするのも楽しく刺激になります。
また従業員は圧倒的に女性が多く、アルバイトの高校生や大学生もいるので、彼らと接しているとそれだけで元気をもらえます。
ファミリーレストランG 若い仲間と一緒に
Nで働きだして3ヵ月ほど経ったとき、無謀にもアルバイトの掛け持ちをすることにしました。
理由は、特別老齢年金を支給されるまで、貯金の減りを抑えたかったのです。
そこで、ファミレスのGと近所のコンビニのSに願書を出し、先にGの面接を受け、採用されたので結局コンビニのSは受けませんでした。
ファミレスGは、Nのバイトが終わって午後9時から11時半頃まで入っていました。一緒に働く仲間は僕以外全員大学生か高校生(高校生は午後10時まで)。
それなりに楽しかったのですが、夜遅いのに弱い僕には辛いものがあり、また折からのコロナ禍で、僕がシフトに入る時間帯が一時的になくなり待機という状態になったので約半年ほどで辞めました。
チラシ配り すき間時間で出来るはずが
困ったことに2024年5月にウィーンに歌いに行きたくなりました。
たまたま行ったコンサートで、ウィーンでベートーヴェンの「ミサ・ソレムニス」を歌いませんか!というチラシを受取り、生きている間に一度はウィーンに行きたいと思っていたし、しかも歌う曲が、ベートーヴェンの大曲であり難曲「ミサ・ソレムニス」と来れば、2日間考えた末に行くことにしました。
すぐ妻に「来年ウィーン行くから!」というと
「ふーん、好きにすれば」
となり、ちょっと待てよ、それには予定外のお金が必要と、しばらくNだけのバイトと自営だったところに追加の仕事入れることにしたのです。
ちょうどおじさんLCC仲間のさとっちが、チラシ配りをやっているというので、そこを紹介してもらい2023年7月始めました。
始める前は、シフトに入るよりもすき間時間を使って出来ると思っていました。
しかし、思い描いている仕事と実際は大違い。
依頼先から、納期と配布区域とどさっと届くチラシ群。
僕の自称秘密基地である6畳の自室がチラシで溢れたりもしました。
しかもチラシは3部から4部一緒に投函することが多く、事前にセット組しなければなりません。つまり家でセット組して自転車に積んで配る。
しかも猛暑の中。
一度など、チラシを持ったまま躓いて顔面を強打し、「ああ、俺はもうダメ」と思ったくらいでしたが、顔のあざ程度で済み、ただ人前には出られないので、10日間ほどNを休んで、猛暑の中チラシを配り続けたものです。
しかもこの仕事は割りが合わないです。時給換算すると500円にも満たないかも。
結局半年も続けられず辞めました。
ファーストフード店M 出勤拒否に
結局、ウィーン行きの資金は、チラシ配りでは、多少足しになりましたが、大きくは積立NISAでの収益分が多かったという皮肉な結果でした。
そして次にやって来た企画が、ニューヨークのカーネギホールで歌うというもの。
これもこの機会を逃すともうないかもと思い申し込みましたが、やはり資金はどうするかでした。
そこで、近所のファーストフード店Mに応募したら即採用。
全国にクルー(Mでは従業員のことをクルーと呼ぶ)が30万人。
しかも高校生からシニアまでと働く人の年齢層も幅広い企業です。
確か、採用の時聞いた話では、90歳の女性も清掃担当だが働いているとか。
これなら僕にも出来そう、と思い早朝6時から3~4時間やることにしました。
学生時代、喫茶店の厨房やホールを担当し、それなりにこなしていたので、すぐ慣れるだろうと思っていたのですが、やはり60代半ばとなれば動きは鈍くなっています。
それに加え、急かす客。
また同じクルー仲間の中にも見守ってくれる仲間が多い中、冷ややかな態度を取る大学生などがいて、出勤するのが辛くなってきました。
それを妻に愚痴ったところ、ある日「いい仕事あるよ」と持ってきた求人チラシにあったのは?
映画館の開館前の清掃 もくもくと出来る
うちの飼い猫は、嫌なことがあるとまず逃げます。
子供の頃から、辛いことや嫌なことがあっても逃げてはいけない、男なんだから逃げるのは卑怯なんて教えられましたが、あれは詭弁です。
逃げることは自分を守る最良の方法の一つだと思います。
そう、Mの仕事には行きたくなくなってきたのです。
そんな時、妻が渡してくれた求人広告には、家から徒歩15分ほどにあるショッピングセンターに入っている映画館の開館前の清掃業務とありました。
時間が午前6時から9時。時給も悪くない。
ここに採用されたらMを辞めようと申し込んで面接を受けたらすんなり採用。
応募の電話をした時確認されたのが、「70歳以上じゃないですよね?」だけ。
つまり70歳以上なら応募段階でダメということのようだ。
まるで献血と同じだな、と思ったものです。
この仕事も3ヵ月目に入りました。
その映画館は12のシアターとそれを結ぶ通路、ホワイエには売店や食べ物カウンターがあり、4つのトイレエリアを有し、それなりに大きな映画館です。それを4名から5名で割り振って3時間で掃除をします。
一緒に働く仲間は高校生から最年長の僕まで8名。
みんな訳ありそうだけど、仲間意識を持って楽しくやっています。
採用されなかったアルバイト
自宅なら徒歩3分ほどの場所に大手流通Aグループが運営する、○○バスケットというコンビニ風スーパーがあります。
ここが早朝の6:45から9:00まで募集してました。
Mを始めてから2ヵ月目くらいにこの応募を見つけ申し込みました。
オンライン上で面接の日程まで決めていたのですが、先方から連絡があり、65才以上は採用しないとのことでした。
70歳まで働ける旨を書いてあったと粘りましたが、それは65歳になる前に既に働いていた人が対象とか。
そして新規採用は64歳8か月までとか。
アルバイトにも65歳定年制を採用しているのでということでした。
アルバイト先でのいいことそうでないこと
会社員を退職後に経験したアルバイトを紹介しました。
結局半年以上続けることが出来たのが、現在もやっているNだけ。
もう始めて6年目になりました。
映画館の清掃業務は、特別なことがなければ6ヶ月、1年と続けたいとは思っています。
ただ映画館と直接契約をしている訳ではなく、映画館と業務契約している清掃会社に雇われているので、ずっと働けるかどうかは未知数です。
アルバイト先でのいいこと
Nの方は、全国に600店舗を展開していて、今の店舗が無くなったとしても通える店舗はいくつもあるので、元気なら75歳まで働きたいと思っています。
いいことは、若い仲間と一緒に働けること。
しかも年配者だからと特別扱いされないのもいい。
女性が多い職場で、素敵な方も多く挨拶されるだけで今日も頑張ろう!となります。
仕事も家具の接客が中心ですが、お客さんによさそうな商品を勧めたり、最近では家電にも力を入れているので、憶えることが多く、日々学べるのもいいです。
アルバイト先でのそうでないこと
東京都では、来年4月からカスハラ防止条例が施行されるそうです。
僕は、Nで家具の接客を5年以上やっていますが、お客との大きなトラブルは特にありませんでした。
つまり今のところはカスハラとは無縁です。
ところがMでは、僅か5ヶ月間の内に客の横柄な態度やきつい言葉を受けてめげたことがありました。
特にメンタル面で強いわけではないですが、30年以上サラリーマンをやって来た僕でも嫌だなと思うくらいですから、若い高校生や大学生は辛い思いをしているかもしれません。
そしてここが問題ですが、きつい言葉を投げてくるのは圧倒的でに中高年以上の男性なのです。僕の体験では全部そうでした。
つまりおじさんたちなのです。
「おじさんLCC」で志が高く紳士然としたおじさんばかりと接していると、このおじさんというカテゴリーの個体差、個人差の大きさに驚きます。
具体的にはこんな言葉を受けました。
なんと言って仕事に慣れていない僕にも原因がありますが、
「早くやれよ」とか
「お前じゃだめ、他と代われ」とか
小声で注文するので、聴き返すと、「言っただろ」とか、
あまりもに人としての優しさや寛容さに欠けているように感じるのです。
金髪やピアス4つ穴、刺青の若者でも丁寧に注文するし、僕が間違っても大丈夫ですよと笑って過ごしてくれるのに。
女性は全般的にきちんと注文してくれるし、間違いにも寛容です。
むしろ注文の仕方に手こずる高齢女性には、助けたくなりこちらが懇切丁寧に教えたりしました。
ただ男性の中高年以上に中には、面倒と感じ人が多いです。
もちろん中には同世代の男性から励ましてもらえる場合もありました。
Nでは、おじさんたちには親しみを感じていたのに、Mではなぜか面倒な人たちと思ってしまいました。
やはり食べ物が絡むとその人の本性が出るのでしょうか。
ただ、アルバイトを通しておじさんと呼ばれる人たちの振れ幅の大きい個人差があるという現実を知ったのは収穫です。
まとめ
今回は、会社員退職後に経験したアルバイトについて書きました。
本業を持ちながらアルバイトというのは、どうも本末転倒で情けないですし、本業を伸ばすためにアルバイトは極力抑えた方が良いとも思います。
器用な方ではないので、本業中心のシフトに変えて行った方がいいとは思っています。
でもアルバイトもやってみるとそれなりに面白いのです。
働けば身体を動かして健康にいいし、収入にもなります。また人間観察の場としては最適かもしれません。
まあ、自分のやりたいことを明確にしておけば、流されるのもいいのかもしれません。
Nのバイト先に僕より4、5才年上の男性Wさんが働いています。
僕より先に働いていて、とても70歳を超えた方とは思えないほど、颯爽としています。
Wさんに、以前、なぜNのアルバイトを始めたか聴いたことがあります。
Wさんは、ある著名な企業の役員までやった方で65歳で退職。
特に経済的に困っていたわけではなく日がな過ごしていたら、ある日テレビの前から一歩も動かない自分を発見。これじゃいけないと思い身体を動かして働くことにしたそうです。
そしてこんな年齢でも大丈夫かと、Nの面接を受けたら採用。
孫の話など嬉しそうに話されているWさんを見ていると、働くっていいなと思うのです。