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『グラン・トリノ』とハピネスカーブ。ウォルトが最期に得られたもの。

『グラン・トリノ』。イーストウッド主演の映画はどれも好きだ。どんな話かはぜひ見てね。いい映画だから。で、イーストウッド演ずるウォルトは簡単に言うと、状況だけを客観的に見れば、悠々自適のハッピーリタイヤ御隠居のはずなんだけど、何故かいつまでたっても不満を抱えたままの拗らせ爺さんなのだ。

ところで、「人はどのように幸福を感じているのか」皆さん知ってますか?

キャロル・グラハムが、ハピネスカーブを用いて「人はどのように幸福を感じるのか」を時系列的に説明できることを発見したのが2000年代初頭で、そこから20年ほど幸福学が学問(つまり計量経済学的アプローチで学問として認められるようになった)としてスポットライトが当たるようになって、いろいろな学説が出てきています。

で、そのハピネスカーブというのはU字曲線を描きます。生まれてから徐々に下降していき、30代から40代で底になり、50代になれば、ハピネス度は向上すると言われているんです。もちろん個人差はあるみたい。なので、50歳を過ぎても一向に不満が解消せず、不幸せなまま人生を過ごしている人もたくさんいるでしょう。

映画の中のウォルトは、朝鮮戦争に従軍したという設定なので、年齢的には、少なくとも70歳後半かと思います。本来なら、50代から幸福感を感じられるのなら、20年以上はああ自分の人生は良かったな。満足な人生だと感謝をしつつ生きられるものを、いろいろな理由が重なってそのようにはならず、ずっと不幸せを感じ続けたまま、自分の人生に満足感を覚えることのない人生を送っているんですね。

で、人が幸福を感じるために必要なものとして、まずお金に困らないということがあります。まあ、地獄の沙汰も金次第と言いますから、古今東西、不変の真理ということなのでしょう。ただ、お金がたくさんあればいいというものでもなくて、日々の生活が不安なく送れるだけのお金があればいいといことのようです。なのでお金持ちはみんな幸せということでもないのです。

そして、人が自分の人生に満足感を感じることができるために大事なもうひとつのこととして、人との繋がりが充足しているかどうかがポイントになります。つまり、人との繋がりとしての社会関係資本が充実していることが大事なのです。裏を返せば、いくらお金があってもぼっちは、寂しいしつまらないということなのでしょう。

ウォルトは、行くのを嫌がっていた教会へ懺悔に行くんですね。曰く、二人の息子と上手くつながることができなかった。それが一番の心残りだと。これがウォルトがずっと不満を抱えたままになった原因なのでした。で、ウォルトは自分の家族とは上手くつながることができなかったんですが、隣人のタオ少年とは親子というか爺さんと孫というか血の繋がりはないけど、絆ができたんですね。それで、ウォルトはすごく自分の人生に満足感を覚えたように見えるんですね。というのも自分が不治の病になったことがわかっても取り乱すこともないし、さらに言えば、タオや彼の家族のために、自らの命を差し出すことにもためらいがないからです。

この辺りのエンディングは賛否あると思いますが、いずれにせよ。ウォルトのハピネスカーブはこの場面では間違いなく上向きになっていたと思います。

ちなみに、ウォルトから譲られたグラン・トリノをタオ少年が満足気に運転するラストシーン。あれは、トマス・コールの「人生の航路』(四部作)の青年期とダブって見えてしまい。自分的には、うーんと唸ってしまいました。

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