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他人の目が気になる

あなたは他人の目が気になる人ですか?

たとえば期待の目や疑いの目など、いろいろな目がありますが、自分は相手からどんな風に見られているのか。

さらには騙されてるんじゃないか、陰で悪口を言われてるんじゃないか、あること無いこと噂されてるんじゃないかなど、気になりだしたらモヤモヤがおさまらない人がいますよね。

そういったネガティブな思い込みが強くなると、何をするにも他人の目が気になってしまい、すべての行動をつねに監視されてるような錯覚に陥ってしまいます。

他人はあなたを見ていない

まず、他人の目が気になっているのは自分であって、たいてい自分が思ってるほど他人はあなたのことを見ていません。

身も蓋もないですが、よく言われる話ですよね。

どう見られたいのか、どう評価されたいのか、そういった思いが強い人ほど「自分で作り上げた他人の目」に縛られて行動が制限されてしまいます。

他人の目は自分が生み出している

他人の目とは、元々自分の意識が生み出したものであり、自分が生み出したものであれば、その捉え方次第でどうにでも変えることができますよね。

まずは気にしないことが一番です。実際に誰かが何かを思っていたり言っていたとしても別にいいじゃないですか。

「だから何なの?」って流しちゃえばいいんです。

その人はその人の人生を生きているわけで、何を考えていたとしても誰も咎めることはできないですし。

そもそも他人の目が気になるという事は、裏を返せば自分の事ばかり気にしているわけです。

そういう時は視点も低く、視野が狭いので、意識的に視点を上げるようにしてみましょう。

視点を上げることで、周りの人に役立つ事や助けになることを考えられるようになります。

自分の事なんて二の次ぐらいでちょうどいいんです。ベクトルが自分に向くから雑念が入るんです。

関わることでしか存在できない

人は誰かと関わることでしか、存在を定義できません。

関わりがない相手は自分にとって重要な存在ではないので、道ですれ違う人たちと変わりません。

そのへんに転がっているシャーペンや消しゴムより重要度が低いわけです。

逆説的な言い方をすると、「誰かの人生の何かに当てはまることができた人だけが相手の人生に関われるんです。

おしゃかさまの言葉を借りるならば「縁起」ですね。

他人の目より自分の目

他人の目が身体中にまとわりついている時は、ものすごく低いコンフォートゾーンに収まっている状態です。

先ほども書いた通り、周りの人に役立つ事を考えたり、困っていることを助けたりできるのは、高い視点から周囲を俯瞰できるからです。

そういった抽象度の高い視点を持ち、周りにいる人たちと関わり合っていけば、「他人の目」という幻想に悩まされる事はなくなるんじゃないでしょうか。

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