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最良の母親とはまぁまぁの母親である

最良の母親とはまぁまぁの母親である

完璧な母親になろうなどと思わずに、適当に手抜きをし、適当に自分の楽しみにも時間を使って、失敗も多いが落第点もとらないぐらいののんきな母親が子どもにとっては理想的な親なんです。

児童精神科医ドナルド・ウィニコット


かわいい屋根の小さな建物。
10年前、まだ赤ちゃんだった娘を抱っこして、しょっちゅうその小児科へ通っていました。赤ちゃんの頃は予防接種も多いし、小さい内は熱を出すことも多かったので、当時「またか…」と思ってしまうくらい小児科にお世話になっていました。

娘を両手に抱き、少しひんやりしたソファーに座って、いつものように待合室で待っていた時、この言葉が書かれたポスターが目に入ったのです。

生まれたばかりの我が子を抱えてどこか肩に力が入っていた自分に気づきました。私は知らず知らず「母親とはこういうものだ」と、自分を縛ってしまい、それがうまくいかず自分を責めてもいました。

やっかいだったのは、こうしなきゃと縛っていることに自分で自覚がなかったこと。振り返る余裕もなく、仕事に育児に家事にただただ時間に追われてました。

このポスターを見てすぐに変われたわけではありません。

育休があけると娘も保育園へ。
仕事を終えて、保育園へ迎えに行くと喜んでかけ寄ってくる子どもに頬が緩んで、車に連れていったら今度はチャイルドシートを大泣きで抵抗する娘と格闘。買い物でスーパーに寄るとまたチャイルドシートに乗せるとこからしないといけなくなる…と運転しながら気が重くなって。

あれは娘が2歳くらいだったかな…

いつものように保育園、買い物からやっと自宅に着いたと、そして早く食べさなきゃと娘のご飯をバタバタと先に作っていた時、

まだ話し方も辿々しかった娘が

「お母さん…ご飯…」

と言いかけた時に、

「今、作ってるでしょ!」と怒鳴ってしまいました。

お母さんだって頑張ってるの!そんな気持ちをぶつけたような気がします。

そしたら、悲しそうな顔をした娘に言われました。

「ちがうよ…。お母さんも(自分と)一緒にご飯食べられるかを聞きたかったんだよ」

と。

頭をガツンと殴られたようなショックでした。子どもの話に耳を傾ける余裕がないばかりに娘を傷つけてしまいました。

「ねぇお母さん」と話しかけられて
ちゃんとしゃがんで子どもの目線に合わせて
「なあに?」って言えるお母さんになれない自分。


***


最良の母親とはまぁまぁの母親である。


この言葉、世のお母さんみんなの元に届いてほしいくらいです。母子手帳の最初のページに載せてくれないかなぁ。

言葉通りののんきなお母さんのようになれるにはたくさんの時間がかかりました。

だからでしょうね。自分に言い聞かせるために、手帳に書きとめていたのを久しぶりに発見したのです。

2017年の”ほぼ日手帳”。
最初の1月の所、丸1ページのフリースペースの一番上に。

たまたま違う用事で昔の手帳を見返していて見つけたのです。
あぁそうだった。忘れてた。

昔の手帳を見返すのっていいですね。
いろいろと思い出すことも多く楽しくて、しばらくの間眺めていました。

実は2021年の手帳も数年ぶりに”ほぼ日手帳”を買ったんです。もう仕事も随分前にやめてしまい、今の私には贅沢品なのですが、えいっ!とちょっと思いきっちゃいました。

今、あの頃よりは手抜きな失敗しても笑ってるのんきなお母さんに近づいてきてるように思います。

今年は10年ぶりに出産し、2児の母になりました。

そんなタイミングでお守りのような言葉に再会したから、新しい手帳にまた書いておこう。
最初の1月の欄に。

***

息子の世話をする私に

娘が「お母さん、慣れてるね」と。

なので、

「それはコマコのおかげだよ。コマコがお母さんを育ててくれたんだよ」

と言いました。



お母さんがまぁまぁなお母さんに近づけて、今笑っていられるのはあなたのおかげです。

ありがとう。



久しぶりにnote書けたー。
今日はいい夢が見られそうだ。
よかったらマガジンも覗いてもらえたら嬉しいです😆


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