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穏田神社と不思議狛犬①

「おんでん神社」

東京都渋谷区神宮前に「穏田神社」はあります。
渋谷・原宿・表参道の賑やかなトライアングルの中に位置します。神社の周囲は住宅街で、かつては「穏田」という名前が示すように、この辺りは田園地帯だったのでしょう。穏田川(渋谷川)という豊かな水量を持つ川が流れ、いくつもの水車掛けが見られたということです。葛飾北斎の有名な『富嶽三十六景』にも、「穏田の水車」という一枚があります。

富嶽三十六景・穏田の水車

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A9%8F%E7%94%B0

ところで「穏田神社」の「穏田」、私は最初「おんだ」と思ったのですが、正しくは「おんでん」と読みます。「穏やかな田」という名前からは、いかにものどかな田園風景が浮かびますが、先の『富嶽三十六景』の「穏田の水車」の文字を見ると、どうも「隠田」と書かれているように思えます。

隠田の水車・文字

現在の「穏田」は、江戸時代には「隠田おんでん」で、農民が年貢の徴収を免れるために密かに耕作した「隠し田」のあった場所だったのかもしれません。また、「恩田」という武士の名に由来するという説もあるそうです。
いずれにしても、かつてこの辺りには穏田川が流れ、明治時代には穏田村がありました。その後何度も行政区の編成が繰り返され、昭和40年(1965)を最後に、「穏田」の地名は消えて、現在は「穏田神社」にその名をとどめるだけになったのです。

江戸時代の古地図

隠田おんでん」という地名はいつからあったのでしょうか。北斎が「隠田の水車」という浮世絵を描いているということは、『冨嶽三十六景』が版行された天保年間(19世紀前半)にはその地名があったことになります。穏田神社のHPに江戸時代の古地図がありました。

元禄6年古地図b

上の地図は「元禄6年(1693)古地図」とされています。赤マルで囲んだところに、「此ヘンヲンデント云」と書かれています。武家屋敷のある場所で、田畑はありませんね。

安政4年古地図b

こちらは「安政4年(1857)古地図」とあります。やはり赤マルで囲んだところに、「此辺ヲンデン」と書かれています。こちらは「田」の中に記されています。
この地図は、麹町六丁目の金鱗堂というところが発行した「江戸切絵図」のうちの「東都青山絵図」の一部で、全体像は次のようなものです。

東都青山絵図

先ほど赤マルで囲んだ部分を拡大してみます。

東都青山地図4

この「東都青山絵図」によると、この附近には、たくさんの武家屋敷があったことがわかります。江戸の町中ですから、田園地帯というわけではなかったのですね。しかし、川の両岸には「百姓地」や「田」「畑」と書かれています。「此辺ヲンデン」という文字も、その中にあります。
どちらの地図にも、漢字ではなくカタカナで「ヲンデン」と書かれていることが気になります。かつては「隠し田」であったけれども、今では普通の田になっている場所やその周辺が、「ヲンデン」という地名として残ったということでしょうか。
大小の寺院のほかに、いくつかの神社も見えますが、「穏田神社」の名前はここにはありません。それもそのはず、「穏田神社」という社名は、神仏分離が行われた明治維新以後のものなのです。
穏田神社のHPでは、神社の由来を次のように説明しています。

当社の創建は定かではありませんが、穏田と呼ばれたこの地の産土神として古くより信仰されてきました。天正18年(1590)に徳川家康が関東の領主になると、翌年、家康に従っていた伊賀衆がこの穏田の地を賜りました。(中略)神仏習合の時代だった江戸時代には、御祭神と同一とされる天界の王「第六天」を祀り、当社は「第六天社」と称されていました。明治維新によって神仏が分けられると現在の社名に改称されました。

江戸時代までは「第六天社」という社名だったことがわかりました。もう一度先ほどの地図を見ると、確かに川の畔に「第六天」と記された場所があります。「元禄古地図」では「大六天」と書かれています。

東都青山地図2


第六天

「第六天」ってどんな神様?
初めて聞く名前です。私が住む大阪とその周辺に、このような神様を祀る神社はありません。「第六天」とは・・・。これは調べるしかなさそうです。

「女、三界に家なし」ということわざがあります。女は幼少のときは親に、嫁に行ってからは夫に、老いては子供に従うものだから、広い世界のどこにも身を落ち着ける場所がない、という意味です。いま女性に向かってこんなことを言ったら猛反発をくらうでしょうね。
このことわざの意味はともかくとして、ここで使われている「三界」とは仏教に出てくる三つの世界のことです。

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すなわち「三界」とは、仏教における、〈欲界・色界・無色界〉の三つの世界を指します。

「欲界」は、淫欲と食欲という欲望にとらわれて苦しみ迷う世界。
「色界」は、淫欲と食欲という欲望からは超越するが、物質や肉体の束縛からは脱却していない世界。
「無色界」は、物質的なものから完全に超越して、心の働きだけからなる世界。

また仏教では、六道(地獄界・餓鬼界・畜生界・修羅界・人間界・天上界)という世界観があります。この六道のうち地獄界から人間界までは、欲望に捉われた世界、つまり先ほどの「欲界」に属します。天上界では、上に行くほど欲を離れ、物質的な「色界」、そして精神的な「無色界」になっていきます。
しかし、天上界の中でも人間界に近い最下部の6つの天は、依然として欲望に束縛される世界であるため、三界の中の「欲界」に含まれるのです。この6つの天を「六欲天」といいます。
「六欲天」は次の6つです。下位のものから順に並べます。

第一天・・・四大王衆天しだいおうしゅてん
第二天・・・忉利天とうりてん
第三天・・・夜摩天やまてん
第四天・・・兜率天とそつてん
第五天・・・化楽天けらくてん
第六天・・・他化自在天たけじざいてん

「第六天」とは「他化自在天」のことで、欲界の最高位の神様になります。
ちなみに「天」とは、仏教において天界に住む者の総称で、インド古来の神が仏教に取り入れられて護法神となったものです。

他化自在天・第六天

ところで、「第六天」すなわち「他化自在天」とはどんな神様なのでしょうか。そして大阪など西日本にはない「第六天」を祀る神社が、なぜ東京など関東にあるのでしょうか。
Wikipediaでは、次のように説明しています。

『大智度論』巻9に「此の天は他の所化を奪いて自ら娯楽す、故に他化自在と言う。」とあり、他の者の教化を奪い取る天としている。 また『起世経』巻1には「他化天の上、梵身天の下、其の中間に摩羅波旬・諸天の宮殿有り。」とあり、他化自在天と梵衆天の中間に天魔が住んでいるとする。

日蓮は、第六天の魔王を、仏道修行者を法華経から遠ざけようとして現れる魔であると説いた。しかし、純粋な法華経の強信者の祈りの前には第六天の魔王も味方すると、日蓮は自筆の御書で説いている。日蓮があらわした法華経の曼荼羅に第六天の魔王が含まれているのは、第六天の魔王も、結局は法華経の味方となるという意味である。

「第六天」は、「他化自在天」の名が示すように、他の者の教化を奪い取って自ら楽しむ魔王です。しかし、法華経を強く信奉する者の前では、その魔力さえも味方になると、日蓮は説きました。
恐ろしい魔王を信仰の対象とすることによって、魔の心に打ち克つということなのでしょうか。
神奈川県茅ケ崎市にある第六天神社のHPに、次のような説明がありました。

このような魔王が何故信仰の対象とされるようになったのかと言うと、釈迦が成道の際にこれを降したことから、以来、仏教の守護神として祀られるようになったとも、御霊信仰のように祟りをなす者を丁重に祀ることによって逆に災いを防ぐよう祈願したものとも言われていますが、第六天信仰がいつどのような形で民間に流布し、どのような感覚で民衆に受け入れられてきたのか、諸説ありますが詳しいことはわかっていません。

「第六天」を祀る神社が西日本にないということについては、神奈川県神社庁の 『かながわの神社ガイドブック』 (1997年 かなしん出版)に次のような説明があります。

戦国時代の覇者織田信長が特に篤く信奉した神様であるといい、跡を継いで天下を統一した豊臣秀吉は、信長の言行は第六天の神威によるものと恐れ、廃社を指令したという。このため西日本において第六天神社は皆無に等しく、東日本でも独立して存在する例は極めて少なく、末社もしくは境内社として残るか、神号を改めて生き残るか、いずれかであったという。

織田信長は、自ら「第六天魔王」と名乗ったという言い伝えもあるそうですが、そんな第六天の神威を恐れた秀吉が、西日本にあった第六天社を廃社にしたということです。
しかし一方で、関東を中心にして、「第六天」というちょっと妖しい神への信仰は、庶民に受け継がれていったようです。

第六天社に激震が走ったのは、明治維新の廃仏毀釈の運動でした。明治政府の定めた神国日本から、外国の宗教である仏教が閉め出されたのです。長らく神仏習合のぬるま湯に浸かっていた寺社は、生き残るためにやむなく「仏」を切り離しました。
第六天社は、「第六」という数字に合わせて、天照大神からの神世六代にあたる「オモダル、アヤカシコネ」の二神を祀る神社として生まれ変わりました。
現在の穏田神社の祭神も、「淤母陀琉神(おもだるのかみ)」「阿夜訶志古泥神(あやかしこねのかみ)」と「櫛御食野神(くしみけぬのかみ)」となっています。

神社の祭神については奥が深く、よくわからないことがいっぱいあります。神仏習合についても同様です。今回は「第六天」という見知らぬカミに少しばかり触れることになりましたが、これもネット上の情報に過ぎません。
投稿のテーマである「穏田神社と不思議狛犬」の後半の「不思議狛犬」の話まで行きませんでした。狛犬については、次回に書く予定です。
(トップ画像は、穏田神社HPです)

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