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なんということもない雑談の巻。

ども。
毎度、院長です。
季節があっという間に変わっておりますが、皆様はお変わりありませんでしょうか。
ご無沙汰しておりますが、拙者、あれこれやっておりました。
原稿関係が2つ、締め切りを前にしてアセアセしており。
何を書いてもいいような自由度の高い原稿の方は、楽しすぎてそちらばかり書き進めては修正し、を繰り返しており、もう一方のあれこれ制限がかかる原稿の方はなかなか手が付けられず。
そんなところから進捗具合にとんでもない落差ができており。
あれやこれや時間を工面する中で、なんとかある程度目処が立ってきたところで、ブログに戻ってまいりました。
仕事の合間に原稿、ちまちまインスタグラムの投稿、ブログの投稿とかになり、思い切って遠出することもなく、ちんまり都内に留まっておる次第です。
そういうところから、特に何か新しいことがあったわけではないのですが、まあいくつかの雑感など。

1つ目は、10月中旬に保険医協会というところが主催した、オンラインによる内田樹氏の講演会に参加したところの感想を。
コロナに関連する世の中の見方というか、内田氏の見解のようなものをお聞きすることになったのですが、予想通りの面白さでした。
難しいことや新規なことを言っているわけではないのですが、説得力があるとでもいうのか、勉強になりました。
色々なことをお話しされていたのですが、内田氏の学者的ものの考え方による観測では、今回の新型コロナウイルス感染のような人獣共通感染症は、今後も確実に出てくるだろうとのことでした。
これは今までの歴史からも明らかであるのですが、今後については特に、ミャンマーの森林地帯やアフリカの自然開発などが進めば進むほど、人と獣の距離が近くなることなどを理由に挙げていました。
このような問題を防ぐためには、野生・自然を計画的に守る、ということを世界規模で打ち出していくことをしないと難しいだろう、と。
一方で、内田氏のお住まいの地域でも熊が出る騒ぎがあったとかで、人間と野獣との生活圏がとても近くなってきているようだ、とのことでした。(これも自然開拓との関係があるのか)
このことに絡んで面白かったのは、人が住んでいるというだけで、ある程度自然というものは人間の秩序の中におさまってくれているものだ、というような発言でした。
これはどういうことかというと、人が住んでいない家と住んでいる家は、外観からしてもすぐわかる、ということを例に挙げていました。
内田氏が実際観察したところによると、空き家のままだとそのうち家が傾いてきたりするようです。
さらに、庭に竹を植えていた家が空き家になったようなのですが、しばらくしてから、その家の屋根を竹が突き破って出ていた、というのです。
人が住んでいる場合だと、まさか床の下からたけのこが出てきたりはしないだろう、とのことを挙げ、人による日々の小さな管理のうちに、自然の威力をある程度収めることができているようなのです。
そういうところから、地方の過疎化・無人化は野生が面積的にも威力的にも拡大してくることになる、というのです。
日本はあと80年後くらいには今の半分とまではいかないものの人口減少が進み、東京から大阪あたりに国の機能も人口も集中してきて、地方は過疎化したまま、切り捨てになっていくだろうことを言っておられました。
そうなってくると、人間と野生動物との距離だけでなく、勢力自体も相当危険なものになってくるかも知れないのです。
このことは、人間の都合により自然を開発していくアフリカやミャンマーとは逆の形ではありますが、結果としては同じこと、つまり自然と野生の距離が近くなり、日本発の人獣共通感染症が出てくるかも知れない、などおっしゃっておりました。
そんでもって、現実的に日本では今も人口減少が続いているにもかかわらず、政策にはどの党もこの問題への言及がないとかで、10月31日の選挙の話になっており。
とにかく政権が交代すれば、今まで非公開となっていた情報が開示がなされるようになる。これが唯一かつ最大のメリットなので、今回の選挙でなんとしても政権交代をしてもらいたものだ、ということでしたが、結果は然に非ず。
あれこれ話の内容は広がっていましたが、いずれの部分についてもズバズバ、スカッとする話をしておられました。

2つ目は、所用で新宿都庁前方面に出向いた時のこと。
夕方6時過ぎに、拙者は新宿西口から都庁方面に向かい、地下の動く歩道などを使いつつ移動。多くの方々は拙者とは反対方向で、新宿西口方面に向かって帰宅の途にあり。
その地下の歩道を拙者が進むはるか先、都庁方面出口付近から声(歌声?何かの宣伝?)が聞こえてきます。トンネル内なので、とても響くのです。
最初は若者が何かパフォーマンスをしているのか?と思っていたのですが、近づくにつれどうも70年代のフォークソングと思しき、切ない歌詞が聴こえる、確かに聴こえている。
どんどん近づいてみると、ちょうど出口付近で、60代くらいの男性がノートを目の前に掲げつつ、フォークソングを歌っているのですが、それがなんと言いますか、棒読みのようだと言いますか。
みなさん、何事もなかったかのように(もしくは見てはいけない、聞いてはいけないものを見聞きしたかのように)、スッとした表情で歩いておるのですが、拙者的にはもう顔がにやけて止まらない。
おじさんが大真面目に、切ない歌詞を歌うというか、読むというか、その姿に拙者、なんとも感動したのでありました。
というのも、拙者の知る限り、路上ライブのようなものっていうのは、ある程度のレベルの人たちが人に見せる、聞かせるためにパフォーマンスしている感じだと思うのですよ。
そういう「見せるもの」としてのまとまりの良さ、媚のようなものがちょっと鼻につく感じが、拙者にはあるのです。
それが、このおじさん、どういう意図かは知りませぬが、とにかくトンネルに向かって、とてもとても響きのいい場所をこうやって選んで、通行人に聞かせたかったのか、単に気持ちよく自分の好きな歌を歌いたかったのか、発表会の前かなにかで度胸試ししているのか、ほんまにその意図はなんだかは知りませぬが、とにかく実直に棒読みしておられる。
少なくとも拙者には、このおじさんが何かを見せるという意図より、歌いたいものを最も気持ちよく、素直に歌える場所を選んで歌っている、やりたいことやっている、って風に感じたのでした。
ま、人によっては、騒音テロのように感じたのかも知れませぬし、そういうのはカラオケボックスでやってくれっていう声も聞こえてくるかも知れませんでしょうけど。
さすが新宿。

など。