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「世界にない私の家」(グムヒ)

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著書名:『世界にない私の家』
    『세상에 없는 나의 집』

著者名:グムヒ(금희, 錦姫)
1979年に中国の吉林省の小さな朝鮮族の村で生まれ育った。延吉師範大学を卒業後、中国と韓国で多様な仕事に携わった。2006年には長春に定住し小説を書きはじめた。2007年『延邊文学』が主催する尹東柱新人文学賞を受賞すると同時に本格的な創作活動をはじめ、主な著書としては中国で出版された小説集『シュレディンガーの箱』がある。『世界にない私の家』は、韓国で初めて出版された小説集だ。現在は、長春に住みながら韓国と中国で作品を発表している。

今回読んだのは、錦姫という朝鮮族出身の作家さんの『世界にない私の家』という作品です。

<あらすじ&紹介>
主人公の’私’は、中国の大学で韓国語講師として働いている朝鮮族の女性です。’私’の交友関係は、同じ大学の図書館で働いている中国人のニン、そして息子と同じ幼稚園に通っている娘をもつ韓国人ヨンジュ。小説では、麻辣(マーラー)をたべる場面で主に友人との会話が進みます。

中国語しかできないニンと韓国語しかできないヨンジュは、両方とも話すことができる’私’を羨ましがる反面、’私’は、1ヶ国語だけできる(中国人もしくは韓国人)というアイデンティティを羨ましく思っています。

’私’の家族が新しく入居するマンションの一室のインテリアをどのようなデザインで統一するのかというのが、この小説の一つのポイントです。
確固としたアイデンティティを持っていない彼女にとっては’家’というものが唯一戻れる場所であり、アイデンティティの基盤になってくれる場所です。結局、彼女は家のインテリアを木を基調とした昔の朝鮮風のデザインにすることを決めます。他にも麻辣を辛口で注文することで、朝鮮というアイデンティティを確かめる様子が描写されます。

’私’はいわゆる境界に生きる人間です。小説の中では、’私’が家のインテリアを中心にアイデンティティを確保していくのに対して、韓国人ヨンジュや中国人ニンは先の見えない人生に対する不安が募っていきます。
結局、韓国人であるヨンジュは目的を失った中国での生活を諦め、韓国に帰国することを決心します。
(このような友人との会話が麻辣を食べる場面や図書館での会話で上手く描写されています)

人の子


朝鮮風のインテリアに包まれた家に’私’たち家族が入居した日、ニンが遊びに来ます。ニンは’私’にルネ・マグリットの《人の子》という絵画をプレゼントします。朝鮮基調の部屋にヨーロッパの超現実主義が見事な調和をもたらします。
まさに’私’の家は、特殊性(’私のアイデンティティ’)と普遍性(人の子)が共存する空間となるのです。この空間で’私’とニンはお互いに会話を交え小説は終わりに向かいます。

<感想>
短編ということもあるためか、ところどころ展開が早かったり飛んでしまうような感じを受けました。
またはっきりとした起!承!転!結!といったインパクトある話ではないため、話はすーっと流れていくように進んでいきます。
それでも朝鮮族という境界に暮らす人々がどのような悩みを持って生きているのかについて、多少なりとも覗けるのかなぁと思います。
(正直、自分はあまり共感だったり深い感銘を受けたりはできませんでした・・・><)
この小説はよくディアスポラ文学と呼ばれるジャンルで扱われますが、自分がそのようなジャンルに精通していないためかもしれないです。。。

一応、在日韓国人(または在日朝鮮人)に関する文学作品としてヤン・ヨンヒさんや金城一紀さんの小説も読んだことがあるのですが、朝鮮族に関する小説は初めてだったため、あまり身近に感じられなかったのかもしれません。今度、朝鮮族出身の友人たちに色々と聞いてみたいと思います。

他にもディアスポラ文学があったら読んでみたいと思います。





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