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パン屋がナースやってます。〜レビーパーキンの人〜

以前、訪問看護で行っていた人にレビー小体認知症の人がいた。
しかもパーキンソンを併せ持ったレビーパーキンだった。
パーキンソンは有名だけど、症状の強弱、内容、薬の効きかたなど人それぞれで、手足の震えや姿勢やバランスの悪さ、自律神経失調症状など多岐に渡る。
沢山のパーキンを見てきたけど、症状の辛さからかなり性格的に曲者になりがち。
ベースの元々の性格もなきにしもあらずだけど、パーキンのために性格が変わっている人もいるのではないかと思う。
周囲には細かい注文や要求が多いため、面倒くさがられがちで理解されにくい。
これだけでも大変なのにレビーからパーキンになる人がいて、彼女はそれだった。
レビーは幻視、幻聴、認知機能障害、睡眠行動障害、精神症状など見られ、その病棟はまるで動物園のようだと例える同僚がいた。

彼女はまだ60代。
上記診断で入院。
退院後自宅に戻った。
パーキンのさまざまな症状に加え、幻視、幻覚、被害妄想、大声で奇声を発し、ご主人に暴行し、マンションで夜中に壁を叩き、床を一晩中大きな足音を立てて歩き、喚き散らした。
ご本人の代わりに家事を一手に引き受けたご主人は、慣れない家事に加え、夜中の大暴れ対応と被害妄想による罵倒を受け続け、憔悴しきっていた。
ケアマネはデイサービスに繋げたが初回、数分遅れたスタッフに激怒し、即キャンセル。
訪問看護の導入となった。

果たして、私は受け入れてもらえるのか。
遅刻しないように早めに行き、駐車場で待機した。
初めての訪問時、彼女は布団の中で真っ直ぐ仰向けになり、終始目を閉じていた。
ひたすら、幻覚の世界の話をし、ご主人を罵倒し続け、最後には話の全てを抑えられない自分を泣きながら責めた。
私は、「そっか、こうこう思って、こういう感じで辛かったんですね。
でも、それは病気の症状であって、〇〇さんは悪くないですよ。
あくまで病気の症状ですからね」と一つ一つ繰り返した。
入浴とか、洗髪とか清拭とか手伝いますよと話すが、訪問時間はパーキンタイムのoffの時間(薬の効き方でonoff時間がある、offは全く動けない時間)で入浴は手伝えなかった。
動けるときに自分で入ってるようだが、結構大変な感じで入ってると言うから手伝いたかったけど、こればかりはタイミングなのでどうにもならなかった。

この寝たまま、目を閉じたまま、話を聞き、それを返すと言うのを、1ヶ月くらい続けたか。1ヶ月くらい経った頃、ご主人が乱れた頭で玄関を開け、「今日は久しぶりに大変なんです、Jさん(私)にも見てもらいたいと思って」と憔悴しきった様子で出てきた。
中に入ると部屋の入り口に『やらせ軍団追放』と大きく書かれた長い書が貼られていた。
私は、やらせ軍団と言う言葉の発想に心の中で笑ってはいけないが笑ってしまった。
『なるほど〜』と言いながら部屋に入った。
部屋には暴れた後なのか乱れ、壁や障子に穴が開いていた。
いつものように臥床し、いつものように泣きながら話し始めた。
話しているうちに過呼吸気味になり、自分を責めながら子供のように泣いた。
私は布団の中に手を入れ、彼女の丹田に手を当てた。「ここ(丹田)に手を当ててるの分かりますか?今から誘導するので、それに合わせて呼吸してみてください』と言い、丹田の呼吸をした。
気の交流が始まって落ち着いてきているのが分かった。

呼吸法はその後も2回くらいやったか。
ある日、彼女が
『いつも変なものが見えて自分を抑えられなくなって、怒鳴り散らしてる時に和尚さんが出てくるの。その和尚さんがいつも怒鳴るんじゃない、丹田で呼吸しろ、丹田で呼吸しろって言われてたのを思い出した」と言われた。
私は、彼女の魂に触れたようで内心鳥肌ものだった。「
『それは、メッセージだから、するといいですね。難しいかもだけど、ちょっと抑えられなくなりそうな時、丹田を意識してみてください、少し落ち着くかもしれないです』と返した。
そして、マイナスな言い方を全部言葉を変えて、プラスの言葉に言い直してもらうようにした。

次に訪問した時、初めてリビングに座って起きていた。
普段は起きている時間もあるみたいだけど、私が行く時はいつも寝ていたので起きている姿も、起きて目を開けている姿も初めてだった。「わー、今日、起きててくれてるんですね。嬉しい。目を開けたらこんなに可愛い顔してるじゃないですか!?』
私は感動のあまり年上の方に向かって大きな声で喜んだ。何だか、心底嬉しかった。

パーキンの症状が進行しつつあり、薬のコントロールができていなかった。
車に乗ることも、歩くことも、受診することも大変な苦労で、容易に受診ができない。
パーキン日記をつけてもらい、薬を調整してもらえるよう提案した。
これは、内服時間や日常生活を細かく記録し、症状がどんなものがどんな時間に、どれくらい出ているかをつけるもので内服時間や薬の種類、量の選択の参考になるからだ。
でも、結局、日々の生活で精一杯でつけられず、主治医からもお手上げだから紹介状書くから別の病院探して、と言われたと話された。
見放された感じで悲しかった。専門医じゃないから無理ないか、とも思ったが。
近隣にパーキンに強い先生がいなかった。
大学病院にいるが、とてもじゃないけど通えないのとかなり威圧的な先生だから適任じゃないなと考えた。
パーキンの専門医は少ないし、レビーパーキン診てくれる人はもっと少ない。
こんな状態だから受診が大変。
悩んだ挙句、専門ではないけど往診してくれる先生につなげた。
外来の数分診察では、生活を見てくれないことにはどうにも治療が難しいと感じた。

その後、毎回誘っていた散歩に初めて行くことができた。
訪問開始して半年が経っていた。
マンションの回り1周だけだったけど、大きな一歩だった。
お茶もしたかったけど、散歩で終わった。
周囲の植物を一つ一つ見て太陽浴びて、足腰動かして、いろんな話をした。

そして、私は移住に向けて退職することになった。
患者さんに退職すること話したのは2人だけ。その1人が彼女だった。
彼女は、『すごく寂しいけど、Jさんに甘えられないから。私は頭のいい人は好きじゃないけど、Jさんは好きよ」と言われた。
『それって私が頭いいってことですか?私は頭良くないから、好きにならない理由はないですね。好きなのはわかってますよ。私も好きですよ。訪看は辞めますけど、これからは友達になりましょう』と話した。
あれから会ってないし、連絡していない。
ベテランの信頼できる人に引き継いだ。

患者さんに呼吸法をやったりしたのは、後にも先にも彼女だけだ。
何だか、彼女とは深い場所に降りていかないと、会話ができないような気がしたから、直感でやってしまった。
怪しまれたり、クレームがきたら困るから、基本的にやらないけど。
でも、彼女には和尚さんがついているから安心だ。

どうしてるかな。
ふとした時彼女を思い出す。 
笑顔で平安でいるようにエネルギーを送る。

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