【ウルトラ弩級の宗教系大古典の全訳、ついに刊行!】『原典完訳 アヴェスタ』(野田恵剛訳)を刊行します

アヴェスタ

国書刊行会編集部の(卵)です。

国書刊行会がまたまたやりました!
人類史に屹立する超弩級の大古典の全訳『原典完訳 アヴェスタ』(野田恵剛訳)の刊行を成し遂げたのです。
原文からの全訳は、日本出版史上初という前人未到の快挙。

さて、本書『原典完訳 アヴェスタ』とは、一言でいえば、『アヴェスタ』を原文(アヴェスタ語)からすべて日本語に訳出した本です。
では、『アヴェスタ』とはいったいなんでしょうか?
一言でいえば、ゾロアスター教の聖典です。
それでは、ゾロアスター教とはいったいなんでしょうか?

1.ゾロアスター教とは

ここで、まずはゾロアスター教について簡単に説明いたしましょう。

人類がこの地球に現れてから、世界には幾多の宗教が興亡してきましたが、それらのうち、ある教祖(開祖)が神的な啓示を受けて創始した宗教を「創唱宗教」と呼びます。
たとえば、イエス・キリストの伝道にはじまるキリスト教や、悟りを開いたブッダが説き広めた仏教は、代表的な創唱宗教です。一方、神道はこれとは違って明確な教祖を持たず、自然発生的な非創唱宗教ということになります。

一般に、創唱宗教は民族や国家、言語の枠を超えて広く伝播する性質を持ちますが、現存する創唱宗教のなかで最古のものに位置づけられるのが、紀元前1000年ごろに古代イラン(ペルシア)で活躍したゾロアスターが開宗したゾロアスター教なのです。
言い換えれば、ゾロアスター教の開祖ゾロアスターは、人類史上初の開祖、ということになります。

ゾロアスター像

ゾロアスター像

ゾロアスターという名前は、原語(アヴェスタ語)に即して正確に表記すると、ザラスシュトラとなります。ゾロアスターというのは、ザラスシュトラのギリシア語読みに由来する俗称のようなものです。
ゾロアスター、つまりザラスシュトラの生存年については、紀元前数千年、紀元前1700年、紀元前600年など諸説がありますが、現在の研究では紀元前1000年頃とするのが定説となっていて、実在の人物であったことはほぼ間違いないと考えられています。

ザラスシュトラの出生地については、中央アジアを横断してアラル海に注ぎ込むアム・ダリア川流域地域(現在のウズベキスタン、トルクメニスタン付近)に推定する説もありますが、定かではありません。とにかく、東イランのどこかと考えられます。
伝説によると、ザラスシュトラは祭司の一族の生まれで、若くして放浪生活に入り、30歳のときついに神の啓示を受けます。大天使ウォフ・マナフに召されて善神アフラ・マズダーに見えたのです。アフラ・マズダー(「知恵の主」の意)は善なる神々を統括する最高神とされていて、ゾロアスター教の主神に位置づけられます。

この召命体験がゾロアスター教の開教とされていて、これを機にザラスシュトラは、儀礼化が進む原始アーリヤ民族の宗教の改革を唱え、正義と知恵を重んじる「アフラ・マズダーの善なる教え」を宣教しはじめたとされています。
その後、ゾロアスター教は拝火儀礼なども採り入れて発展してゆき、イラン高原に広まって3世紀にはサーサーン朝ペルシアの国教となって最盛期を迎えます。
また、ユダヤ教、キリスト教、仏教などさまざまな宗教に大きな影響を与えたとも考えられています。

しかし、7世紀にイスラム教が興ると、その勢力に圧されて衰退に向かってゆきました。
現在ではインドのムンバイ周辺に信者が集中していて、ゾロアスター教徒の総数は世界で十数万人程度といわれています。

2.『アヴェスタ』とは

そして、このゾロアスター教の聖典が、『アヴェスタ』なのです。
『アヴェスタ』がいつ成立したのかははっきりわかっていません。しかしベースになっているのはザラスシュトラ自身がアヴェスタ語で語った言葉や彼の祈禱であると考えられますので、起源は紀元前1000年前にまでさかのぼりうることになります。

『アヴェスタ』は当初は、神官や信者たちのあいだで口承によって伝えられてゆきました。
そんな口伝が文字(アヴェスタ文字)によって書き留められて聖典としてまとめられるようになったのは、サーサーン朝(3~7世紀)のころといわれています。ちなみに、現存する『アヴェスタ』の最古の写本は13世紀末のものです。
また伝承によれば、『アヴェスタ』は当初、全部で21巻あったとされますが、後世に散逸したものも多いらしく、現在残っているのは、そのうちの4分の1程度といわれています。

アヴェスタ原文(上の部分)

アヴェスタ原文(上の部分)

内容をみますと、神々への賛歌・詩頌、祈禱書、祭儀書など、多数のテキストから構成されています。中でもとくに重視されるのは「ガーサー」と呼ばれるザラスシュトラの言葉で、非常に難解な古アヴェスタ語の韻文で書かれています。おそらくザラスシュトラが霊感を受けて発した神託のようなものなのでしょう。「ガーサー」は『アヴェスタ』の最古層に属していると考えられ、『アヴェスタ』全体の根幹をなしています。
ちなみに、「アヴェスタ」という言葉自体の原意は「賛歌」だとする説が有力です。

そして、これらのテキストに背景になっているのが善神アフラ・マズダーと邪神アンラ・マニユの対立を軸とした二元論的宇宙観です。また信仰者に対してはしばしば善思・善語・善行の三つの徳の実践が説かれ、世界の終末には救世主(サオシヤント)が現れるとも説かれています。
余談ですが、最近話題のコンピュータ・ゲーム「Fate」シリーズに登場する魔王アンリマユは、『アヴェスタ』に出てくる邪神アンラ・マニユがモデルです。

3.フレディ・マーキュリーも読んでいた?

『アヴェスタ』の日本語訳は、大正年間に英訳本からの重訳というかたちでの全訳が出版され(木村鷹太郎訳『アヹスタ経』)、昭和戦後に入ると、アヴェスタ語原典からの翻訳も行われるようになりましたが、いずれも抄訳にとどまっていました。

そうしたなか、今回、ついに原典からの全訳というかたちで本書『原典完訳 アヴェスタ』が登場したのです。
訳者は、イラン語学を専門とし、『後期アヴェスタ語文法』(大学教育出版)という著書もある野田恵剛さん(中部大学教授)。日本におけるアヴェスタ語の数少ないスペシャリストのひとりです。訳文には詳細な注もほどこされていて、本書は謎多き古代宗教の全貌を明らかにした、まさしく画期的な書となっています。

古典中の古典である本書には読みどころが多々あるのですが、ここでは独断ながら国書刊行会編集部(卵)が注目した箇所を以下にいくつか挙げてみたいと思います。

マズダー崇拝者、ザラスシュトラの信徒であると私は告白する。
私は誓って告白する。
正しく考えることを私は誓う。
正しく語ることを私は誓う。
正しく行動することを私は誓う。
(「ヤスナ」第12章より)

祭式で唱えられる賛歌や詩頌を集成した「ヤスナ」の12、13章はゾロアスター教徒の信条告白で唱えられる箇所で、とくに「フラワラーネー」と呼ばれますが、上に引用したのはそのなかの重要な一節です。ゾロアスター教は「善思・善語・善行」の三徳の実践を重んじますが、その源泉はこの章句にあるといえます。
仏教では「身(身体)・口(言葉)・意(思慮)」の三業において悪を戒め、善を勧めることを説きますが、この三業はゾロアスター教の「善思・善語・善行」と照応する点があり、興味深いものがあります。

またまた余談、先年クイーンのボーカリスト、フレディ・マーキュリーの伝記映画『ボヘミアン・ラプソディ』が大ヒットしましたが、インド系のフレディ・マーキュリーはゾロアスター教徒の家の生まれです。映画には彼が敬虔な父親から「善思・善語・善行を実践しろ」と諭される場面が出てきますが、このセリフのもとになっているのが「フラワラーネー」なのです。フレディもきっと『アヴェスタ』をひもとく機会があったことでしょう。

4.「ノアの方舟」物語の元ネタか?

そこでアフラ・マズダーはイマ(イランの伝説上の王。仏教の閻魔)に言った。
「ウィーワフワントの子、美しいイマよ、この物質界に悪しき冬が来るであろう。…(中略)…
イマよ、ここで3分の1の動物が滅びるであろう。…(中略)…
そこで四辺がそれぞれ1チャルトゥ(約2マイル)の長さの要塞を作れ。
すぐに、大小の家畜や人や犬や鳥や赤く燃える火の種を集めよ。…(中略)…
すぐに、この大地で最も優れ、最も善良で、最も美しいすべての男女の種を集めよ」
(「ウィーデーウダード」第2章より)

これは呪法や清めの儀式などを説いた「ウィーデーウダード」の一節で、アフラ・マズダーが、いずれ世界に破滅的な危機が来るので、方形の「要塞」を築いて選ばれた家畜や人間をそこに集め、生き延びる方策を講じることをイランの伝説的な王イマに命じています。
このくだりは、ノアが神に命じられて「方舟」を作って家族や動物たちとともに乗り込み、大洪水を生き延びたという、旧約聖書の方舟物語を連想させるものがないでしょうか?
旧約聖書の方舟物語については、一般にメソポタミアの大洪水伝説をもとにしていると言われていますが、ひょっとしたら、『アヴェスタ』にみられる「要塞」伝説からも影響を受けているのかもしれません。これもまたたいへん興味深いテーマです。

彼女は力強く、輝き、背が高く、見目麗しい。
この大地を流れる全ての水が、
昼も夜も彼女から流れ落ちる。…(中略)…
手にバルスマン(祭祀に用いられる聖枝)を持ち、
耳飾りをつけ、
美しい首に、四角い黄金の首飾りをつけた
気高いアルドウィー・スーラー・アナーヒターは、
腰をきつく締めて形の良い胸を目立たせている。
(「ヤシュト」第5章より)

これはさまざまな神々への賛歌が集成された「ヤシュト」のうち、水と豊穣の女神アナーヒター(正確には「アルドウィー・スーラー・アナーヒター」)を讃える第5章の中の一節です。
ゾロアスター教を代表する女神であるアナーヒターは、のちに王冠・首飾りを付けた豊満な女性として図像化されるようになりますが、それはこの「ヤシュト」の描写にもとづいています。

アナーヒターはインドの水と河の女神サラスヴァティー(弁才天)と関係があると言われていますが、メソポタミアのイシュタル女神などと習合してイランから西の地域でも広く信仰されました。
また東にも流伝して、仏教の観音菩薩のルーツになったとする説もとなえられています。たしかに、『アヴェスタ』に描かれた優美なアナーヒターの姿には、観音を彷彿させるところがあります。われわれ日本人も意外に身近なところでゾロアスター教に接しているのかもしれません。

5.飛鳥時代にゾロアスター教徒が来日していた!?

話は変わりますが、かつて「ゾロアスター教は飛鳥時代の日本に伝来していた」という説が唱えられたことがありました。この説を強く支持したのが、古代史にも造詣の深い作家の松本清張です。
奈良の飛鳥には、斉明天皇の時代(7世紀半ば)に作られたとされる奇妙な石造物が多く残っているのですが、そのうちのひとつに巨岩の「酒船石」があります。石上には円形のくぼみがいくつか配され、それらが細い溝で結ばれていますが、これが何を表しているのか、何の用途でつくられたのかはよくわかっていませんでした。

飛鳥の酒船石

酒船石

ところが清張は、この謎の巨石をゾロアスター教徒が祭儀で用いるハオマ酒(薬草をしぼって作る飲料)を作る施設ではないかと考え、この大胆な推理をもとに『火の路』という長編小説をものしています。また同作では、斉明天皇が築いた謎の宮殿「両槻宮」が、ゾロアスター教の神殿と結びつけられています。

『日本書紀』には斉明天皇の時代にゾロアスター教徒のペルシア人とも考えられる異国人が来日していたことを示唆する記事もありますので、清張の説もあながち荒唐無稽の珍説とはいえません。サーサーン朝の崩壊にともなってペルシアから東へ東へと亡命を続けたゾロアスター教徒がいたとしても不思議ではないのです。
もし清張が存命でしたら、本書『原典完訳 アヴェスタ』にきっと熱い推薦の辞を寄せてくれたことでしょう。

3000年というとてつもなく長い歴史に裏打ちされた『アヴェスタ』は、聖書や仏典にも比すべき、いや、ある意味ではこれら以上に高い価値を持つ、貴重な人類の知的遺産です。
必ずしも現代人にはわかりやすい内容ではなく、断片的な記述も多いのですが、このテキストが閲してきた長い歴史と風雪を思えば、それも当然のことです。
菊判本文2段組、648ページという堂々たるボリュームもさることながら、これだけ価値のある書物が1万円を払っておつりがくるなら、じつに安いものではありませんか!
ぜひ本書をひもとき、古代宗教の深遠な息吹をたっぷり感じ取っていただきたいと思います。

                     文・国書刊行会編集部(卵)

原典完訳 アヴェスタ  ゾロアスター教の聖典

野田恵剛 訳
菊判・総648頁 ISBN978-4-336-06382-3
定価:本体8,800円+税

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