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騙しのテクニック

4年次医学生の手記より
〜家庭教師アルバイトの場面〜

「さぁ、はじめようか。」
と始まりの合図をしたときに
ふと目に入ってきたものに驚き、凍り付いた。

その生徒の左手の甲に傷が。
数が多く、直線状の浅い傷。
猫に引っかかれたような痕が痛々しく訴える。

家庭教師の相手は中学生の男の子だ。
家庭教師の回数も重ねるにつれて、
彼が いじめに遭っていることを知るようになった。

その日の課題を与え演習してもらっている間、
色々と想像を張り巡らせた。

自分で付けた傷なのかなぁ。
誰かに付けられた傷なのかなぁ。
やっぱり自傷行為なのかなぁ。って。

聞いてあげたい。
何かしてあげたい。
力になりたい。
でも、何も出来ない。

だいたい、この手の話って打ち明けてくれないってのは分かってる。
それでも、ついつい聞いてしまった。

「その傷どうしたの?」

「なんでもない。気付いたらあった」

「覚えてないの?」

「うん」

こういうときって、そっとしてほしいのかな。
それとも、誰かに気付いてほしいのかな。


「さっきから掻いているし、気になったんだよね」

「…… 」

「どうやって付いたか覚えてないの?」

「チャックに引っ掛かったんだよね」

「で、そんなにたくさん傷が出来るの?」

「…… 」


聞き方としては0点だった。
最初から無理だなとは思ったけど、聞いてほしくないって雰囲気。 
いや、聞いてほしいのかもだけど、話したくないって感じ。 


そのまま次の教科に移る。

やっぱり元気が無い。
何か隠し事を抱えているのは明らかだ。
自分の無力さをひしひしと痛感しながら
その思いとは別に、部屋の中の違和感に気付いていた。

それはペン立てにあるカッターナイフの存在だ。
先週までは無かった文房具が異様な雰囲気を放っていた。
それを徐に手に取って刃を出した。

彼は、もくもくと課題に取り組んでいる。
案の定、刃の錆に加えて赤い色素が付着していた。 

私はそのカッターでA4コピー紙を正方形にした。
不審な動きにならないように、あたかも自然の動作のように。 
目論見はこうだ、折り鶴を作って、
その生傷はもちろんのこと、心の痛みも治りますように、と。

ここで私らしさが発動する。
肝心なときに折り鶴の作り方を忘れてしまったのである。

頭に「?マーク」が浮かぶ。ど忘れしちまった。
せっかく我ながら良いアイディアだったのに。
良い癒しを提供できると思ったのに。

トホホ的な人生に乾杯だ…


10分間くらい格闘した挙句、やはり鶴は出来上がらなかった。

 
あと折れるのは手裏剣くらい。武器だしダメだな、こりゃ。
他に作れないものは無いか、と頭を悩ませているうちに… 

出来たのは

「騙し舟」w

あぁ、とても私らしい。 胡散臭さがプンプンする。
だって騙しだよ、ダマシ。
鶴を作るはずが、出来たのはダマシ舟。


こりゃアレですな、せっかくだから
いっちょ騙すしかないっすね。

「これ知ってる?」

「見たことはある。」

「そしたら、舟の帆か先端を持ってもらえる?」

「じゃあ、帆にする」

「ふっふっふ、沈まないようにしっかり支えてね!」

「? わかったよぅ」

「ちょっとの間、目を閉じてもらえる?」(怪しげ)

「? う、うん…」
(例によって、目を閉じている隙に「帆が先端になる」ってやつ)

「目を開けて!」

「うわ、沈んじゃう(笑)」

本日いちばんの笑顔がこぼれた。
あぁ、騙してしまった。
心に傷を負った純粋な少年を騙してしまったのだ。 

でも、笑ってくれて良かった。


「今日、なんか元気ないよね。」

「……」

「ちゃんと眠れてる?」

「寝れてない」

「前みたいに睡眠不足が続いているの?」

「うん。」

「寝れない日もあるの?」

「結構ずっと。」

「そうかぁ。ツライでしょ。恐いんだね。」 

学校が恐い。きっと今もずっとそうなんだと思う。


「最近、何か嫌なことあった?」

「…やっぱ分かる?」

「うん(笑)。 大丈夫?」

「実はさ…」


親に内緒だよ、と言って色々と打ち明けてくれた。

  親が「学校に行け」としきりに言うこと。

  イジメ以外に学校そのものにも恐怖があること。

  自分の手の甲をカッターで切ったこと。

  眠れない日々が続いていること。

  こういった悩みを親は知らないということ。

  病院に通っているが、親が勝手に代弁してしまうこと。

  親に裏切られた気になったので口を聞いていないこと。

  親は親で色々と悩んだり傷ついたりしているということ。


不憫で仕方が無い。
話は傾聴できたのかもしれないけど状況が改善されたわけではない。
むしろ、事態は日に日に悪くなるばかり。

困った。
結局は何も出来ないんだなぁと
大きな無力感に推し潰されそうになっていた。

親に理解してもらう良い策が欲しい。
イチ家庭教師ごときが首を突っ込めるような立場ではない。
その子の親に偉そうなことも言えないし、言わない。
とりあえず、その子と親の両方に小児科医を勧めた。
児童精神の専門家をたまたま知っていたのだ。

かかりつけ変更は決定事項ではないけど、
する方向で話が進んでいるらしく、タイミングも良かった。 

先日の小児科臨床実習ガイダンスで、こんなくだりがあった。

  子どもの成長(growth)と発達(development)を妨げるもの全てから
  子どもたちを守るのが小児科医の仕事。
  病気はもちろん、社会・環境・親・学校・福祉・習慣など
  諸々の因子を包括して医療をほどこさなければならない。

なるほど、まさにその通りだと思う。
そういう観点からすると、小児科医って本当に素晴らしいなと思う。

私はというと、騙し舟の文字が示すように「こども騙し」のレベル。
まだまだだね。

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数日が経って、その生徒からメールが来た。 
真夜中だった。でも向こうは起きていた。

以下、その子からのメールの引用。


夜遅くすみませんm(__)m 寝れなくて…
保健室登校を新学期にしようと決断しました。(;_;)
父に新学期から学校行ったら
ごほうびに新しい携帯に変えるから行け
と言われて悩んで来ました
…けど一歩前に出て見ようと思いメルしました…

今日の内に母に言ってみようと思います…

実はチャットの中で悩みを話すと
ちゃんと聞いてきて話してたら元気つけれられました。
そのチャットの人とってもいいやつでしたよ…
僕にとって本当の友達ができました。




色々な思いが錯綜した。
何より、「一歩前に出て見よう」って部分に感動した。
本当に良かったって心から思った。
このまま少しずつでいいから元気になれるといいね。