【横田滋さん死去】 高校生が思ったこと

新聞の一面に「横田滋さん死去」という大きな見出し。

「ああついに亡くなってしまったか。」「結局北朝鮮はめぐみさんら拉致被害者を返還せずにごまかし続けて時間が記憶を薄めるのを待つんだろうな。」というのが率直な感想。

“横田めぐみさん”というワードは物心ついたときから私の頭の中では“北朝鮮拉致問題”のイメージにへばりついていた。この名前が“北朝鮮拉致問題”の象徴になっていたといっても過言ではない。あくまで私の中では。でも同世代つまり現在高校生くらいの人たちには共感してもらえると思う。その父親が亡くなるということは、このままでは“拉致問題“という議論自体が”風化“してしまうだろう。

私自身も小1の時に(神奈川で)経験した東日本大震災は、復興が未だ完全ではないということをメディアが強調しても、思い出すのは3.11周辺くらいでほとんどは当時のことや現在の被災地のことなんか考えてない。
人間ってそういうもんだと思う。

親が数年前「横田めぐみさんのお父さんは体調崩したらしいから最近はメディアにでることも少なくなったね」と言ったのを覚えている。これから増々拉致被害者の訴えがメディアによって放送されることが無くなれば、これから物心つき始める子供たちは拉致問題への意識なんて私未満だろう。そういう若い世代たちがこれからの日本を作っていくんだよ?
もう拉致問題未解決だよずっと…。その方法を思いつくなんて頭のいい人たちがどうにか(残りの)拉致被害者を返還してもらおうと頭をひねらせても無理だったのに私が考えてもそれは無理ですね。

日本のロックバンド、ポルノグラフィティが2017年にリリースしたアルバムに「170828-29」という曲がある。こういう政治的メッセージを曲にするなんてある程度炎上を恐れない晴一さんらしいなぁなどと思うんですが、この曲名の由来は“2017年の8月28日にこの歌詞を書いたら次の日の8月29日に北朝鮮がミサイルを飛ばして初めてJアラートが作動したから”。

最近はミサイル飛ばすことも当時に比べれば少なくなってきているし金正恩の死亡説も浮上してたよね。このコロナ禍でコロナ感染者は北朝鮮にはいないって言ってるけど大嘘なのバレバレすぎて実際どうなのか知るのが怖い。

ポルノさんは当時あまり強く政治的意味を強調しちゃうと騒がれるかもしれないから“歌詞は当初より結構直した”と言っていた。

この曲が出された当時はミサイル発射で、今後日本はどうなるんだろうっていう感覚があって北朝鮮ミサイルの話は新鮮だったんだよ。でも最近聞き返してみると「ああ、北朝鮮ミサイルにおびえてた時代もあったなぁ」なんて思ってしまう(特に「ここは誰が望んだ世界か」「こんな未来聞いてなかった」の部分)。本当に時の流れって怖いね。そして晴一さん、曲にしてくれてありがとう。

…これだよ!!風化させない方法!!
最近「芸能人の政治的発言はどう思うか?」みたいな論評あったけど、私はもっと芸能人の“政治的発言”あっていいと思う。曲に関してももっと表現の自由を広げられるようになった方がいいと思う。風化させないのはやっぱりアーティストの表現である「曲にすること」っていうのがこれからの時代の方法として一つあるんじゃないかと思う。

…とまぁ初めは新聞に投稿しようかと思って書き始めたんだけどそんなコンパクトに収まらなくて、少しWordに書きなぐったまま放置していたんだけど、どうせならnoteに載せようと思って。

現役高校生の感覚って大人との感覚と違うと思うから、もしひょんなきっかけでこの記事を誰かが見て、こういう風に思う人もいるんだなぁって思えたらいいなっていうか、私自身一般の人の“日々のNEWS”に対しての考えに興味あるところもあって。

こんな統一性のないアカウントで載せることじゃないのかもしれないけど、もし誰にも見られなくても、将来の自分にとっての“何か”になると信じて載せます。


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