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百貨店休業で、気仙沼の水産加工会社は再び舵を切った

新型コロナウイルスの影響で、多くの中小企業が売り上げ急減に直面していますが、前回書いた萩原珈琲株式会社(神戸市)のように、苦しい中でも販路拡大で前に進もうという会社も出てきています。

では、過去の災害で被害を受けた企業はどのような問題に直面し、どう乗り越えたのか。東日本大震災という未曽有の災害の被害を受け、変革を遂げた企業の実例を参考にしてもらおうと、岩手銀行の子会社、いわぎんコンサルティング株式会社は5月、JOINS株式会社と共催しオンラインセミナーを開きました。登壇したのは、宮城県気仙沼市の水産加工品製造・販売会社の若手役員です。コロナ禍の影響も含めて何を語ったのでしょうか。

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東日本大震災で工場も会社も失った

セミナーで登壇したのは株式会社斉吉商店の斉藤吉太郎常務(30)です。同社の斉藤純夫社長の長男で、高校卒業後に東京の大学に進学。卒業後は北海道の大手菓子メーカーなどで経験を積んだ後、2014年から家業の斉吉商店に戻り、2019年に常務に就任しました。

斉吉商店が所在する気仙沼市は宮城県の北東に位置し、三陸海岸の一部を成しています。2020年4月末現在、人口は約62,000人。太平洋に面した気仙沼漁港はカツオ、マグロやカジキ、サンマなどが多く水揚げされ、生鮮カツオの水揚げ高は23年連続で日本一を誇ります。

豊かな海の幸を丁寧な手仕事で加工してきた斉吉商店は、大正10年(1921年)創業の老舗です。従業員は30人ほど。東日本大震災の前はOEM(他社ブランドで販売される商品の製造受託業務)を中心に手掛け、大手レストランチェーンや卸売業者が顧客でした。

同社にとってOEMは売り上げが安定しないという課題がありました。「すごく忙しいのにお金が手元に残らず、従業員の働く環境もなかなかよくなりませんでした」。斉藤常務はこう説明します。会社として、OEMから脱却し自社ブランドでの勝負を考えていたものの、OEMが売り上げの7割を占めていたこと、顧客から斉吉商店の商品企画力を評価されていたこともあり、BtoCに切り替える踏ん切りがつかなかったといいます。

そして2011年3月11日。東日本大震災による津波で、斉吉商店は本店や工場、営業拠点まで失ってしまったのです。

OEMから自社ブランド一本に。工場は8分の1に縮小

気仙沼市の被害は甚大でした。市によると、死者・行方不明者は1357人、住宅被災棟数は15,815棟、被災世帯数は9500世帯に上ります。全てを失った状態から、会社をどう立て直すか――。新たな道の模索が始まりました。

実は、斉吉商店は、震災前もボリュームは少ないものの自社ブランドの製造・販売を行っていました。看板商品は「金のサンマ」。気仙沼の郷土料理で「サンマの佃煮」と呼ばれ、三陸で水揚げされたサンマを甘辛いしょうゆたれで炊いた製品です。たれは30年ほど受け継がれてきたもので、震災が発生した時にスタッフが被害を受けた工場から探し出して持ち出しました。

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当時の斉吉商店のブログによると、工場では災害に備え、真空パックのたれを持ち出し用のリュックサックごと冷凍していました。しかし、津波が襲ってきたため避難を余儀なくされました。震災発生から4日目、スタッフがたれの入ったリュックサックを見つけたのです。ブログにはたれが入ったリュックサックを手に笑顔を見せるスタッフの写真が載っています。

戻すのではなく、新しいスタートを切ろうと斉吉商店は、震災から4カ月後の2011年7月から気仙沼市内の工場を借り、商品の製造を再開。12年4月には仮設で本店と工場を再開しました。本工場が稼働したのは2017年6月のことです。

震災が発生した当時、斉藤常務はまだ学生でした。常務になった今、当時の会社の判断を「自分たちが製造した商品を、自分たちで消費者に直接売りたいという気持ちが強くなりました」と当時を振り返ります。「これからはOEMを受けず、自社ブランド一本で勝負しよう」。工場を再建する時に、斉吉商店はある決断をします。今後、BtoBの大規模な受託はしないということで、新工場の規模を8分の1に縮小したのです。

オンラインセミナーでは、斉吉商店の「自社ブランドの商品製造に絞り込むため、工場の規模を8分の1に縮小した」という点がクローズアップされました。この経営判断をいわぎんコンサルティングの担当者は「震災で外部環境が大きく変わる中、社内のヒト、モノ、カネのリソースがしっかりとあることや、経営者の意志が見えるようにしていただくと、金融機関としても非常に取り組みやすい」と評価します。

大地震で大きな被害を受けた中で、これまで売り上げの7割を占めていたOEM事業を手放すことについて迷いはなかったのでしょうか。斉藤常務はゆっくりと言葉を選びながら「自分たちの手で直接売ることを第一にしようという気持ちが、(OEM事業を手放す)原動力になったのだと思います」と説明します。OEMの取り組み企業には丁寧に説明することで、今後の方向性を理解してもらえたといいます。

●コロナ禍で百貨店が次々休業。2度目の試練

BtoBからBtoCへと舵を切った斉吉商店は、首都圏や大都市圏の百貨店の催事などで知名度を上げていき、ライフスタイル雑誌の「お取り寄せ特集」でも「金のサンマ」が紹介されるようになっていきました。そして、2018年7月、東京の日本橋三越本店に初の常設店をオープンします。老舗百貨店の食品フロアが持つ集客力で、斉吉商店の商品はさらに広く知られるようになります。

しかし、今回の新型コロナウイルスで再び試練が訪れます。感染拡大を防ぐため、百貨店などの商業施設の大半が休業を決断。斉吉商店がテナントとして入る日本橋三越本店も営業を休止しました。(※5月30日に営業再開)

集客力の大きい百貨店の休業は、斉吉商店にとって東日本大震災に続く大きなダメージでしたが「前に進む」という震災の経験が生きました。これまで売り上げに占める比率が3割だったインターネット販売のテコ入れに乗り出したのです。

これまでは1カ月のうち半分は首都圏の催事などに出張していた斉藤常務ですが、気仙沼にいる時間ができたことで、スタッフほぼ総出でECの企画や、現状分析を行いました。さらに2020年1月から3カ月間、兼業人材を活用してリニューアルが必要な機能やページの洗い出しと、顧客向けイベントの動画撮影を行いました。

斉吉商店の顧客はインターネット販売を利用したことがないシニア層も多いため、見やすく分かりやすいサイト作りを心掛けたといいます。その結果、新型コロナウイルスの拡大以前は1カ月で300万円だったネット販売の売り上げは、4月には約3倍にまで増えました。同社はさらにネット販売を強化するため、新たな副業・兼業プロ人材を募集しました。首都圏などから15人の人材の応募があり、選考を進めている段階です。

セミナーの最後を斉藤常務はこう締めくくりました。「私たちの商品で、お客様の暮らしが豊かになることを願って商品を製造しています。その先には食を通じてよりよい世の中になってほしいという大きな希望があります」。

東日本大震災という未曽有の災害を機に自社ブランドを強化しBtoC事業へと転換した斉吉商店。そして今、コロナ禍を転機にネット販売の拡大を目指しています。不可抗力の災害で「何かを変えよう、変わろう」という思考の枠組みを手に入れたと言えるのだと思います。

(※気仙沼港の写真は、一般社団法人気仙沼地域戦略のフリー画像を使用しています)


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ライター。北海道美瑛町出身。北海道新聞社、繊維専門紙の記者を経て、2019年6月に独立。「税理士ドットコム」「東洋経済」などで執筆しています。大都市と地方の人材シェアリングサービス、JOINS株式会社でオウンドメディアを担当。

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