超短編集27

(読了目安3分)

人は、人から必要とされることで幸せを感じますが、人から必要とされるには、必要とされるだけの「なにか」が必要です。
持っているなにかが人の役に立つものなら社会貢献できますが、社会貢献できるなにかがない人は、それを身に付ける必要があります。
そして最後に、「必要とされていると信じる力」が必要ですが、それは努力に比例して身に付くものです。




その人の能力を表す言葉として「凄腕(すごうで)」とか「敏腕(びんわん)」という言葉がありますが、自分で自分を「凄腕」などと表現している人って、どのぐらい凄いんでしょうか・・・



自分のことばかり考えて周囲を見ない人は、車の運転に例えると、前ばかり見て周囲やバックミラーを見ない人と同じで、気が付くとどうにもできない状態になっています。
車の運転は、前方を見て運転することが大切ですが、時々周囲を見ることも大切です。
同じように、人生も自分のことがメインですが、時々周囲を見てみてください。




「その暗闇の中にオバケがいる」と信じて動けない子どもがいます。
実際、そこにオバケはいませんが、子どもは、自分で作ったオバケの存在におびえているんです。
同じように、暗闇の中にオバケがいると信じて行動できない大人がいます。
周囲の大人たちから見れば、その道にオバケはいません。
しかし行動できない大人たちは、自分で作ったオバケにおびえて動けないんです。
暗闇にオバケがいないように、あなたの人生にもオバケはいません。


知恵の世界への扉には、「あなたは無知ですか?」と書いてあり、本心から「はい、私は無知です」と答えない限り、開くことはありません。
お金やウソ、暴力を使っても決して開かない扉、それが知恵の世界への扉です。
「はいはい、どうせ私は無知ですよ」・・・これでは開きません。
この言葉には「あきらめ・不本意・納得できない」というニュアンスが含まれていて、どこかで「私は正しい」という考え方をぬぐえていないからです。



人になにかを教えると、自分の頭の中を整理できるだけでなく、自分が無意識にやっていることの再確認にもなります。
教える側は、知識や技術が減ることはありませんし、教えられる立場になったとき、教えてくれる人に対して、どんなリアクションをすればいいかわかります。
なにかを「教えること」は両者を成長させることになるわけです。




「私の人間関係はうまくいっている」と感じても、その状況が「相手の大人度」に頼っているのか、それとも自分が大人になってうまくやっているのかで意味が変わってきます。
相手の大人度に頼っている人というのは、この相手となら楽しいけど、他の相手と一緒にいると苦痛になる、こんなパターンの人です。
「この人は私になにをしてくれるだろう・私をどれだけ楽しませてくれるだろう」、心の中でこんなことを考えているのかもしれません。





「大人度」を見極めるヒントのひとつとして、「子守り」があります。
子どもを相手にしてイライラしたり、遊ぶのに夢中になって大人も道路に飛び出したり、危険予測ができず子どもがケガばかりしていたら、それはまだ自分も子どもだということです。
一緒に遊びながらも、安全の確保やケガの予防に気くばりができれば、大人度が高いということです。
簡単にまとめると、子守りができる人は大人度が高いと言えます。


・・・

<日記>
3連休初日はお客様も少なく静かに終わりました。
マスターは仕込みや調理のほとんどをスタッフに任せ、デスクの仕事と刃物系の仕事をしていました。
平凡な日々に感謝です。

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