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行き方を間違ってしまうことの考察

少し前まで、数年間、だいたい同じ内容の仕事を消化し、上にも下にもブレない安定した収入を得て暮らしていました。それはそれでありがたかったですね。その時期があったために結婚/引っ越し/娘の誕生などが実現できたと思っています。この場を借りてありがとうございます(←なにに?…んー、全てにw)。

ただし、安定状態は確実に人間を駄目にします。それ以前がどんなであろうと、安定に甘んじたら駄目になります。これは「そう思う」というレベルではなく、ほんとうにそうだなという実感(体感)です。

安定した状態、つまりぬるま湯に、頭のてっぺんから足の先までどっぷり浸かると、もう本当にそこから動くのは難しい。動こうと思うと相当の痛みを覚悟しなければいけないし、動き出す=ぬるま湯から少しでも出ると、痛い。どんなに入念な準備をしていてもそれ相応に痛い。

なぜ『痛い』のか。それは悪いもの/淀んだもの/固まったものは全部「自分の中」に溜まっているからです。それが外にあるのなら、うまく避ける方法もあるでしょう。でも現実はそうではなくて、これらは全部自分の中にある。だから、対処するには正面からの対峙が避けられない。避けたらまたぬるま湯に戻りますからね。目的はぬるま湯から出ようとしているわけだから。避けては通れないなにかが邪魔している場合、対峙し、対処し、超えていかなければならない。それが『出る』ということです。

自分の部屋が汚く散らかっていたらどこを片付けますか?

自分の部屋の中ですよね。

自分の部屋が散らかっているのを見て、他の部屋をどうするかばかり考えても仕方がないのです。
このメタファーにはほぼ万人が頷いてくれると期待できます。でも不思議なことに、これがそれぞれの人の『心の中』となると、自分の中はさておいて、外ばかり変えようとする人がすごく多い。うん、そして自分自身にもそういう部分/そういう性質がまるで随伴するような感じで常にあると思います。

この『悪い癖が随伴している』という性質は、人間の本質なんじゃないかと最近感じます。
「成長したい」「改善したい」「幸せになりたい」「ひとを不幸にしたくない」などなどの思いはみなさん少なからずあると思います。人類みな、少し抽象化すればほとんど同じような願望も持って生きている。
ところが、その願望を現実のものにしようとするやり方をいつも間違ってしまう(中を変えなきゃいけないときに、外を変えようとしてしまう)。この『方向性は合っているのに、行き方が間違っている』感じ。これを人間社会の至るところに見つけることができる。偏在している。


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成長、もしくは後退のサイクルとしては次のようになっているんだと思います。


1)安定を脱して一旦不安定を受け入れ
2)高次の安定を手に入れる、もしくは、低次の安定に逆戻りする
3)安定していることが窮屈で堪えられなくなる((1)に戻る)

このループ。いや、高次へ向かうか低次へ向かうかの上下運動があるので「スパイラル」のほうが適切ですかね。
言い方はどっちでもいいですが、この輪の中で常に運動しているわけです。

で、『行き方を間違ってしまう』という癖が(1)(2)(3)のすべてのステップに見られると思うんですね。顕在化の仕方はそれぞれのステップで違うけど、本質的に『行き方を間違えている』というところはいっしょ。例を挙げましょう。

例1)安定を脱して一旦不安定を受け入れるときの間違え方
・急激な離脱やジャンプ(現実逃避)
・ないものねだり
・過剰な自己否定
など。

例2−1)高次の安定を手に入れるときの間違え方
・自信過剰
・排他的差別意識
・自分はヒーロー/ヒロインだという認識
など。

例2−2)低次の安定に逆戻りするときの間違え方
・早とちりの挫折感
・なにをやっても報われないんだという思い込み
・メロドラマの罠(自分だけが被害者だという認識)
など。

例3)安定していることが窮屈で堪えられなくなるときの間違え方
・過度の執着、過度の現状維持
 → 自己と環境がミスマッチしているのに居続けようとしてしまう
・そもそも安住する場所(レベル)を間違えていた
・環境が自己を追い出そうとしている(またはそう感じる)
など。

こうして自分の頭の中を整理しながら書き出してみて気づいたのですが、(例3)の内容=間違え方というのは、その場所/レベルを脱してみないと客観的に観察できないということですね。(例2)や(例1)に含まれる間違え方も、深刻なものほどそうですね。変化することがそもそも間違いかもしれないが、それが間違いかどうかはそこを去ってみないとわからない。このジレンマがこのサイクルを産み出す&止まらないようにするエンジンなんじゃないかと思います。


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さて、いろいろと思いつくままにつらつらと書いてしまいました。こういう話は止まらなくなるのでこのへんでやめます。「人類は…」とか書いてるときって、だいたい自分に対する反省文ですからね。

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