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「クボタアヤノ」と「そっち側」

#読書と女子

「読書」と聞くと、一人の女の子が思い浮かぶ。

私が出会った中のどんな人間よりも「書」に愛されていた彼女。

私はそんな彼女の綴る「書」に魅了され続けた読み手の一人だった。

後にも先にも彼女にとってはなんでもない、読み手のひとりに過ぎないのである。


彼女は文芸部の三つ上の先輩で、私が入学する前に卒業していった、いわば普通は接点を持つはずのない距離感の人間なのであった。

机を真ん中に集めた周りに部員が七人座ると、全員が壁を背にするような、(今で言うならとことん密な)狭さの部室。
それでも、好きで世界の隅っこを歩いてきたような人間しか集まらないこの部活動にはちょうど良い空間である。
狭さに文句を言うような部員は誰一人いなかった。

「今年は五人か〜、嬉しいねぇ」

初めての部活動の日、ひとつ上の先輩はウエストまで伸びた綺麗なストレートヘアをかき上げながらニコニコと話した。ふわりと鼻をかすめたシャンプーの香りが甘い。

「今の三年生はいないんだけど、去年はその一つ上に窪田先輩って人がいてね、それで私たちが居て、ちょうどギリギリ部活として保っていたのだけど、今年は部員がたくさん入ってくれてよかった。」

三年が居ないから、残った私たち二人、ジャンケンで決めて部長なの、と挨拶をした彼女は、誰が見ても美人だと言うくらい、目が大きくて、笑うと口角がキュッと上がる歯並びの良い女性で、とてもこんな地味な部活動に入るようには見えなかった。

一年生は私を含めて五人、先輩は部長と副部長の二人。

最初の挨拶でそれらしくニコリとした自分が馬鹿らしく思えるくらい、部長以外は人付き合いの苦手さが露呈するよそよそしい距離感である。
それでも、新生活と共に張り付けたデフォルトの八方美人は要らないような気がして、逆に居心地が良く感じた。

「みんなジャンルは決まってる?」

文芸、というと小説と詩くらいしか知らなかったが、どうやら活動の目標である文芸大会では他にも俳句や短歌などを出品できるようだった。

「部長さんは、何を書くんですか?」

人当たりが良く、おおらかな美人がどんな言葉を並べるのか、純粋に疑問だった。

”だってあなた、きっと本に頼らなくても綺麗に上手に生きていけるでしょう。“

空想の物語りに寄り掛からないと、現実なんてきちんと歩いて行けない。
この頃の私の大きな偏見である。

「私は詩かな。去年までは小説も書いてたんだけど、才能ないなぁと思って今は書いてないんだよねぇ。」

まるで私の知らない何かに打たれて立ち直ったみたいに、あっけらかんとそう言った部長は、でも好きなのを書くのが一番だと思うよ、と付け加えた。

「窪田先輩がいたから文芸誌のページも埋まっていたけれど、小説書く人いなかったら薄っぺらくなっちゃうよ、また書いたら?」

分厚い銀縁の眼鏡で、180センチ近くはあるだろう、がたいの良い副部長が内輪っぽく口を挟む。
部長と対局で仏頂面だなぁと思っていたが、単純に人見知りなだけらしかった。

「そうだね、小説好きな人は、みんな書きましょう!来週の活動日には何か作品を持ち寄って講評会してみようか。過去の文芸誌は棚にしまってあるから好きに見てね。」

じゃあ、今日は、好きに過ごすってことで。解散!

そう声を上げた部長は、これからバイトだからお先に〜と言って颯爽と出て行ってしまった。

華を失った部室は、バラエティ番組流れるテレビを消したかのように静まり返る。

気まずい空気に耐えかねて視線を泳がせると、壁に貼ってある集合写真が目に止まった。

賞状と盾を両手に持ち、微笑むボブヘアの女の子、横には眼鏡をかけた顧問、囲むように少しだけ幼い部長と副部長が並んでいた。

「この人が窪田先輩です?」

「そうだよ、それは大臣賞か何かを取ったとき。俺達も授賞式に連れて行ってもらったんだ。」

漠然と賞の大きさを感じながら、へぇすごい、と相槌を打つ。こんな地方の学校にそれだけの賞を取る生徒が居たことを、何故か誇らしく思った。

同時に、この部活を続ければ、この陰気な趣味を誰かに認めてもらえるような形を残せるのでは、と小さな期待を抱いたのであった。

すっかり日の暮れかけた帰り道、昨年度の部内の作品を集めた文芸誌を一冊借り、手に持ったまま電車に乗る。

目次の小説の項目には、思わず読みたくなるような、決してありきたりでないタイトルが短編として並んでいるのであった。

「クボタアヤノ」

この一冊だけでさえ、受験を控えていた三年生とは思えない程数多くの作品を生み出していた彼女の名前は生涯忘れないだろう。

たった18年しか生きていないはずの彼女の受賞作品は、信じられないくらい胸に刺さって涙が溢れた。電車だからと自分に言い聞かせても、喉の奥が熱く締め付けられ、視界がぼやける。

それから私は「クボタアヤノ」の虜になった。

活動の度に部内の棚を漁り、彼女の名前を探した、こっそり持ち帰って何度も何度も読んだ。小説だけではなく、短い詩を書くのも上手く、彼女はあまり一作品の世界を広げ過ぎない。深くその主人公に寄り添い、たしかに何か大きくこちらの胸に爪を立てるのであった。

「クボタアヤノ」

どういう本を読めば彼女のような言葉を並べられるのか、どういう生活をすれば彼女の感性を得られるのか、ものすごく興味があった。

髪は何度試しても伸ばせない「クボタアヤノ」

学力推薦で入学したのに、国語だけが得意な「クボタアヤノ」

好きな食べ物は皮を剥いたリンゴの「クボタアヤノ」

小さい事を知れば知るほど、偶像の彼女は大きくなっていった。


在学中、一度だけ彼女に会ったことがある。

それは突然で、初めての夏服が肌に馴染んできた初夏の放課後、私服姿の彼女は急に部室に現れた。

「こんにちは、今入っても大丈夫?」

柔らかい声でそう言った彼女を見て、窪田先輩!と嬉しそうに声を上げた部長も、恐らく私と同じように彼女の偶像に取り憑かれているのだと、そう気が付くのに、さほど時間は要らなかったように感じる。

「久しぶり、なんか部員がすごく増えてるね〜、嬉しいね」

決して美人とは言えないが、化粧っ気のない色白の肌にうっすらと乗ったそばかすが愛らしい。肩についてゆるく跳ねた髪を耳にかけながら、忘れ物を思い出して、と申し訳なさそうにドアを閉めて中に入った。

「クボタアヤノ」

夢にまで出るくらいに私の心を引っ掻き回し続けた彼女は、驚くほど普通の女の子だった。

「先輩は大学でも文芸部に入ったって言ってましたよね?最近は書いてるんですか?」

畳み掛けるようにそう聞いた部長の髪が揺れる。最近暑いからと髪を十センチほど切ったようだった。軽くなったと本人は笑っていたが、正直女性の髪に興味が無い人からすると、あまり変わっていないと思うだろう。

「うん、一応作品も出し合うんだけど、やっぱり大学だと人数も多くて、あんまり読んでもらえないんだよね。」

しょうがないことだけれど、とでも言いたげなほどへらへらとそう言った彼女の言葉。その場で1番に動揺したのは紛れも無く私だったのかもしれない。

「クボタアヤノ」あなたはもっと多くの人に認められていいはずだ。

「クボタアヤノ」もっと私なんかじゃ手の届かない世界を見続けて。

「クボタアヤノ」あなたの見ている世界をもっと魅せつけてくれよ。

羨望に焦がれた私の切なる想いが唇を跨ぐことはなく、彼女は帰っていった。

腑に落ちなかった。憤りさえ感じた。
握った手のひらに伸びた爪の跡がつく。

あれだけの賞を取る作品を産む書き手にもかかわらず、あまりにも傲慢で無い彼女が。

言葉だけであれほど読み手の心を引き摺り回すのにもかかわらず、あまりにも普遍的すぎる彼女が。

これだけ真剣に心を奪われている読み手がいるのにもかかわらず、あまりにも、熱の低い所で作品を産んでいるように見えた彼女が。


いつかはそっち側の人間でいたいと、少しでも思ってしまった時点で私はもう間違いなのである。


気が付いてしまった動揺に、心臓の鼓動が大きく跳ねる。
汗ばんだ手の平がじわじわと冷えていくのを感じた。

私は生まれつき「そっち側」には成り得ない人間なのだ。

彼らの多くは、彼ら自身がどれほど類稀な才能を持っているか、気が付いていない。それ故に自由度の高く、繊細で、美しい芸術。

しなやかで、強くて、優しくて、美しい
「クボタアヤノ」

検索しても、もう出てこない、「クボタアヤノ」

私は再び彼女の作品に出会いたいと願い、こうして言葉を綴り続けている。

世界というのは、ある種「そっち側」でない人たちで出来上がっているのかもしれない。

彼女の「書」に魅了され続け、切なる想いを募らせる読者の一人の願い。

そして「そっち側」には行けないと気が付いてしまった凡人の小さな願い。

好きを、どうか、やめないで。
好きを続ける自分自身を、どうか、たくさん、抱きしめて。

必ず、心奪われている人は居るはずだから。

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