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第七夜 旅、ひとり

 こんな夢を見た。
 なんでも見知らぬ長い山道を歩んでいる。
 山道はすぐ横が崖になっていて、二、三人が歩けるだけの道もあれば、広く悠々と歩ける道もあった。自分の後ろには大勢の人が、前にも、山の先の見えないほど大勢の人々が連なってこの行進は続いている。
 あたりは一面霧がかっていて、見通しが悪い。皆が何も言わず、前を向いて足を動かしていた。けれど、あとどのくらいで頂上につくのかも、この道がこの先さらに険しくなるのか、またはゆるやかになるのか、果たしてどうなっているのかは全く分からない。
 ごうごうと音を立てて吹きつける風が、生身の顔や、指先をかじかませた。
 人々の中には大きなリュックを背負ったり、小さな赤子を連れた家族なんかもいるようであったが、格好や装備は皆バラバラである。
 しばらくは黙って歩いていたが、ふと、前を歩く男に声をかけて聞いた。男は全身を暖かそうな革の生地で固め、大きなリュックサックを背負っている。彼なら、自分らがどこに向かっているかを認識しているように思えた。
「この道はどこまで続くのですか?」
 男は即座に「なぜ」と問い返した。
「どこにゆくのかも分からないまま、永遠に上に続いているようだったから。」
 男はふんっと鼻で笑った。そうして、グンッと歩む脚の力を強めた。私がもう一度声を掛ける隙も与えず、前の人を抜き去り、またその前の人を抜いてあっという間に見えなくなってしまった。
 山道は険しくなっていく一方である。登り続けている膝が少しずつ悲鳴を上げる。喉が渇いた。そういえば、胃の中だって空っぽである。
 私は大変心細くなった。この山道が励まし合いながら登っていく友もいなければ、そもそもこの山を登る理由さえわからないのである。
 これが、何かの出来レースなようにも思えた。
 ふと、前を向くと、少し先で何人かが列からはぐれ、山中の険路に分け入っていくのが見えた。
「落ちた、落ちたぞ。もう戻って来られない。」
 後ろを歩く初老の髭男が虚な目を持ち、真っ直ぐ前を見てそう呟いた。その低い声が恐ろしく感じてすぐに視線を前に戻すと、斜め前にいる女がしきりに泣いていた。女は歩みを止め、項垂れるように下を見つめていた。皆気がつかないフリをしているのか、見えていないのか、誰に声をかけられることもなく、女は後から来る人々にのまれ、やがて見えなくなってゆく。すっかり消えてしまった女を振り切り、悲しいのは自分ひとりだけではないのだと気がついた。
 山道の斜度がゆるくなってきたので、歩みを速め、何人かの群を抜けると、一際明るい存在感を放つ若い女の姿が見えた。女は周囲の人間と上手くコミュニケーションをとりながら爛々と足を前に動かしている。
「この先はどうなっているのですか?」
 女は、わかりませんよと軽やかに笑いながら返した。
「けれど、私は前に進むのです。この山登りは楽しい。」
 あまりにもにこやかにそう言うので、彼女について行けば、この先自分まで楽しくなってくるような気がした。なんだか不安で悲しいなどと思っていた自分が馬鹿馬鹿しく思えてくるようであった。
「もう少し歩みをはやめようと思う。」
 ある時、彼女は突然そう言った。この群れでの歩む速度がつまらなくなったという。仲間の中には、それならついて行く、と胸を張るものもあれば、これ以上は歩く速度を上げられないというものもあった。私もここまで随分ペースを上げてきた。彼女の明るさで気を紛らわせていたが、息も上がり、悲鳴を上げ続ける膝や腰はもう限界に近かった。
「ついて来られない人はここに置いてゆく。自分のペースで歩めば良い。けれど、ここで出会った皆のことは決して忘れない。感謝している。」
 彼女はさっぱりとした態度でそう言い残し、さらに歩みを速めた。
 急に彼女がいなくなった後のことが恐ろしく思えてきたので、どうにかついて行こうと、賢明に彼女の後ろを歩いた。息は上がり、足はもつれ始め、肺も痛い。
「息ができない、足も上がらず、苦しくてたまらない。」
 女の後ろまで登り、やっとの思い出そう口にしたものの、彼女は振り返りもせず、歩みを止めなかった。
 途端に物悲しくなった。
 足場の悪い岩道を歩く彼女の背負うリュックサックに手を伸ばし、紐を掴んだ。振り返る彼女の顔を確認するより前に、その紐を力一杯引いた。
 あ、と小さく声を漏らした彼女は、細い岩道から足を踏み外し、真下の崖に落ちて行った。背中から落ちてゆく彼女は、微笑んでいるような、悲しいような何か言いたげな表情をしていたようにも思えたが、すぐに霧にのまれて見えなくなった。
 歩み続ける。私はひとりである。それでも道は続く。



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