「自分の基準」
11月に出版し、Amazonランキングでも1位を獲得した、拙著「不登校からの進学受験ガイド」(ユサブル)のあとがきが好評でしたので、こちらに記載します。
最後に「自分の基準」についてお話しします。私は恥ずかしながら小学校の頃から国語が苦手で、塾という塾に大小10箇所以上通塾しましたがいっこうに国語が伸びない。そして塾に言われるがまま多くの講座を取らされ、授業を大量に受けましたが、成績が伸びず一浪しました。
浪人しても、その状況は改善できないばかりか、現役時代より悪化。危機感を感じた私は今までの自分の勉強法や人生を初めて振り返ることにしたのです。そこでわかったことは塾や周りの友達に勧められるがまま、「有名だから」「実績があるから」と成長する実感や納得感はなかったのですが、なんとなく塾や教材、勉強法、そして将来の進路までを「他人の基準」で選んでいたことに初めて気づくのです。これを改め今後は「自分が納得するかどうか」を受験勉強の中心におくことを決意しました。それでダメなら納得できると。塾を7月に辞め(年額振り込んでましたが)、徹底的に自分と見つめ合い、教材、計画、勉強法、考え方まで自分で決めるようにしました。特に苦手な国語において自分の思考プロセスと戦略をノートに書き出したメモをベースにその後の指導経験をまとめたものが書籍化しました。以下ご紹介します。
【国語の記述問題の場合】
抽象的に仮説を立てる。
具体的に仮説を立てる。
何字くらいになりそうか?という見当をつける。
わからないものに、人は自信がない。
結果、人に頼るようになる。
またわからないのに問題をとこうとしてしまう
自分にとってよいか悪いかの判断すらつかず、いわれるままに
従うしかない状態になる。《納得感はない》
自信をつけさせる。
納得行かないものは捨てる。
仮説思考を通じて、主体的に自分で基準を作り、
良し悪しを判断し、自分が選ぶという、子供に主権を回復する授業が基本
以上「国語の心得」より
私が指導する国語の内容の一部になりますが、これは何にでも言えるのことではないでしょうか。今不登校の子の指導や相談を受けていると、色々な教育機関に行き、そこで良い教育(講師や教師)を受けることができなかった。そこに納得感はなかったが、「とりあえず不登校だからそこを選ぶしかない」と、自分の基準ではなく、選び、我慢し続けてきたという人が多いのです。この本の真の意図は、クリアな問題を選び、適切なアプローチをすれば「誰にも遠慮などいらない」し、「無理に学校や教育機関に媚びる必要はない」ということです。
「ほとんど賛成する人がいないような
大切な真実とは、なんだろうか?」 ピーター・ティール
私は「不登校の問題は学力で解決できる」のではないか?ということを色々な生徒を現場で指導する中で感じ、それをぶれずに実践し14年が経ちました。勉強ができるようになる効果は本書にも述べたとおりです。一方、一般的な教育業界の見解でこのような見方をする人はほぼ皆無でした。むしろ批判的でした。そのような中、なぜ14年感も私がブレずにいられたのか?
大切な真実は「学校の教師の意見」でも「医師の診断」でもなく「向き合う子供が持っている」と思っているからです。つまりは「私の基準」で「子供を見ている」のです。それを由来に「ココロミル」という塾名にまでしました。子供の心を見るという意味です。
「影響力の武器」というベストセラー本があります。社会心理学の知見として、6種類紹介され、その中に「社会的立証」という項目があります。「人は自分の判断に自信がないとき、周囲の人の行動に合わせる」といいます。
考えてみると、大衆とは、自分の中に判断基準を持たず、人に合わせようとする人のこと。つまり「他人の基準」で生きている人達です。人に合わせた人生が果たして良い人生であるかどうかは私にはわかりません。
しかし私は19歳の浪人時代に基準を他人から、自分にしました。人と比較することなく、人の意見に左右されることなく、自分に納得感をベースにした人生は「豊か」です。自分は自分の人生を、自分の基準を持って生きていきたいと思います。あなたは、何を基準に生きているのか?この本を機に考えていただけると幸いです。
ココロミル 山田 佳央