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【高校時代vol.1:高校入学と初のインターハイ】

そんなこんなで高校生活スタートです。

僕はそのまま地元大阪府の近畿大学附属高等学校に進学しました。当時、大阪府内では強豪校であり、学校としての学力レベルもそこそこ。

バスケはもちろん高いレベルでやりたいと考えていましたが、それと同時に学業も疎かにはしたくないという想いが何となく自分の中にあり、その条件に合致したという理由でこの高校を選びました。

正直、絶対にここでという強い思いもありませんでしたし、この高校に興味を持ったきっかけも、中学時代にチームメイトが「近大附属の練習に行ってみたい。」というのにしれっとついていったというのがきっかけです。
先生に強く誘ってもらったなんてこともありません。

ただ、この選択によって僕は今後の人生で様々な経験をすることとなります。そんな僕の高校時代のお話です。

・入学直後レギュラーとして試合に出場

高校のレベル感もあまりわかっていなかったですし、最初はベンチ入りできたらいいかなというくらいのモチベーションで高校に入学したわけですが、良い意味ですぐに面を喰らいました。

入学直後の5月に行われるインターハイ予選にて、僕はスターティングメンバーとして試合に出場する機会をいただけたのです。

近大附属は高校としても、1学年約1000人、全校生徒約3000人と日本有数のマンモス校であり、必然的に部活動の部員も多い状況でした。
#冷静に考えて多すぎ

まだ先輩の顔と名前もろくに覚え切れていないような1年坊が3年生にとっての重要な試合に出てしまっていいものなのかというプレッシャーも感じつつ、大会は始まりました。

当時の先輩方は出来た方が多く、変にプレッシャーをかけることなど一切なく、僕がただただ思いっきりプレー出来る環境を作ってくださっていました。やっかみが生まれても仕方ない状況ではありましたが、あれは出来た先輩の存在に加え、コーチのチームマネジメント力も大きな要因であったのかなと思います。

そんなこんなで順調に駒を進め、決勝リーグ進出。初戦こそ負けてしまいましたが、その後の試合は勝利し、大阪府2位でインターハイ出場が決定しました。

『スラムダンク』(大ヒットバスケ漫画)などを読んでいると、「インターハイって遠い世界の出来事なんだろうな」と思っていましたが、それが入学後数ヶ月で実現してしまいました。
#もう少し劇的出場をイメージしてた

先輩方は3年間という積み重ねあっての出場だったので、涙を流しながら喜んでいる方もいました。当然、それほどの積み重ねがあった訳でもない僕が涙を流すこともなく、単純に嬉しいなというような想いでした。

・インターハイで体感した現実

僕が出場したのは金沢インターハイ(2012年7月)でした。初戦の相手は静岡県代表の沼津中央高校。試合日程も大会初日の第一試合、Dコート(サブアリーナ)。

自身としても初の全国大会はどんな感じなのだろう、と思いながら挑みましたが結果は惨敗でした。

金沢インターハイ

大会開幕直後にサブコートで惨敗、大会終了。この時はインターハイに出た実感も正直あまりなかったですね。笑

どれだけ強いチームなんだよと思っていた対戦校もその後のトーナメントではすぐに敗退している姿を見て、全国の壁の高さを痛感しました。

入学直後にとんとん拍子で物事が進みすぎていたので頭を打つには良いタイミングであったと思います。

そんな経験もしつつ、約1ヶ月後に始まる3年生最後の大会、ウインターカップ(冬の高校バスケ全国大会)大阪予選に向けて、また練習を積み重ねていくのでした。

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