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自然とくつろぐ“心地よい空間” で喜びを共有する、世界も注目する建築家 五十嵐淳さん

■五十嵐淳さんプロフィール
出身地:北海道
活動地域:北海道札幌市
経歴:1970年 北海道生まれ
   1997年 株式会社 五十嵐淳建築設計事務所 設立
   2005〜2010年 北海道工業大学非常勤講師
   2006~2008年 東北大学非常勤講師
   2006〜2013年 名古屋工業大学非常勤講師
   オスロ建築大学客員教授/慶應義塾大学非常勤講師
現在の職業及び活動:株式会社 五十嵐淳建築設計事務所 代表 
オフィス、店舗、美容室、街づくりなど様々な建築に携わる
〈主著〉
「五十嵐淳 / 状態の表示」(2010年、彰国社)
「五十嵐淳 / 状態の構築」(2011年、TOTO出版)
〈展覧会〉
2009年 五十嵐淳×松岡恭子 − 北海道と九州の若き建築家の交錯展 /デザインギャラリー1953 (東京・松屋銀座)
2011年 状態の構築 / TOTOギャラリー間 (東京・乃木坂)
〈受賞暦〉
1996年日本建築学会北海道建築奨励賞受賞から現在まで多数の受賞歴がある
※HPを参照

“ただ建築をつくりたい、建築は面白い”

Q.ご活躍されていますが、どのような夢やビジョンをお持ちですか?
五十嵐さん(以下、五十嵐):若い頃は安藤忠雄さんという世界でも活躍されている建築家に憧れていました。ル・コルビュジェ(スイス・フランスで活躍)、北欧のアルヴァ・アアルト(フィンランド)という巨匠がいますが、そういう“巨匠”に憧れて、「自分も巨匠になりたい」と建築家を目指しました。
今は時代や社会背景が巨匠達の時とはあまりにも違うので、歴史的な建築家、コルビュジェやミース(ドイツ出身の巨匠)のようにはなれないと思っています。今の時代、1つのアイディアで世界に広まるのは、特に建築の世界では難しいと思っていて、色々なことが分かってきたので20代の頃とは変化しています。
50歳近くなると残りの時間が見えてきますが、建築をつくりたいんです。他にやりたいことはあまりなくて、なぜか建築は面白い。
目標を立ててそこを目指すというようなスタンスは視野を絞ることになり、それによって見落とすことが多くなるのではないかと。なるべく欲張りに寄り道しながら進んでいく方が、色々な気付きや発見があり楽しいと思っています。

記者:どんなところが面白いですか?

五十嵐:人より早く走れたら、走るのがより楽しくなっていきますよね。僕は専門学校だったこともありますが、他の人よりも設計が上手でした。理系でクリエイティブというと建築に進む人が多いです。建築を学び始めると、これは面白そうだと思う人と、これは自分には向いていないと思う人に分かれます。建築の設計はわりと残酷で、良し悪しがはっきり見えます。どんなに頑張っても到達できない壁があり、例えばスポーツの世界(陸上)だと100m10秒台にたどり着けるのはごくわずかで、どんなに頑張っても11秒を切れないと身をもって理解できる。学生が課題に取り組んで自分の結果を見て、自分は建築家にはなれないなとわかる分野なので、ある意味で残酷です。しかし国家資格があるので、あきらめず努力を続けると建築のプロになれます。

記者:もともと持ったセンスや能力もあるのですね。

“「心地よい」という喜びを共有したい”

Q.建築家の基本活動や思いについてお聞かせください。
人類の歴史を見ると、人間と動物の違うところは「もの」(農作物や道具など)をつくるところにあります。なぜ人間は「もの」をつくるのか。文化人類学にとても興味があります。サピエンス全史という本がありますが、人間だけが虚構を共有できたとあります。夢とか神とか。興味深い本だなと思って読んでいるけれど、建築ってそれの最たる例だと思うんです。神社や教会をつくるんです人間は。不思議だと思いませんか?神社って神様には誰も会ったことがないけれど、こういう空間が神様には相応わしいと思って設計をしてつくり、神の居場所なんだよと皆が共有できる。確かに神が居そうだなという共有感がありますよね。そんな不思議なことが建築にはあります。そして、音楽やアートもそうですが、見る側によって見え方が変わります。

記者:どんなものを共有したいですか?

五十嵐:喜びです。喜びにもいろんな種類があるけれど、シンプルな喜びでもいいし、本当に心地良いというのも一種の喜びですし、そういう建築を提供して共有したいです。人類と共有できないクリエイティブな作業は辛いです。自称アートでも誰も共感してくれなかったら寂しいです。

記者:海外の建築雑誌にも多数掲載されていますね。

五十嵐:海外のメディアは、いいものや新しいものにはセンシティブに反応してくれます。日本の一般的なメディアでは、建築についての意識が弱く、特に新聞などで公共施設のオープン記事が載っていても、設計をした建築家の名前は出てこないケースが多いので、社会から建築文化に無関心だと感じています。東南アジアなどでは建築家はとても重要視されています。札幌には著名な建築家の建物は少ないです。これだけの都市でありながら現代美術館がなく、郊外の芸術の森まで足を運ばないとない。アートは普及させつつ、マーケットをつくらないといけない。アーティスト、画家も買ってくれる人がいないと趣味になりますし、買う側の文化レベルの話にもなってきますが、同時に人々が欲するくらいの作品を創らないといけないですね。(写真は五十嵐さんが設計したお店『酒乃屋 稀八』)

“まだ誰も見たことない素晴らしい建築があるはず”

Q.建築家を目指したきっかけはありますか?
五十嵐:18、19歳の頃、安藤忠雄さんの本に出会って建築家になりたいと思いました。建築士と建築家が違うってご存知ですか?「建築家」という国家資格は日本には存在していない。僕は若い頃よくわからなかったんですが、とにかく建築家は面白そうだと思いました。迷わず建築家を目指し、どうしたら建築家になれるのだろう?と考えて、実際に作品をつくることが早道だなと。実家が施工会社だったんですが、佐呂間町(北海道常呂郡)の社屋を建て直すことになり、どうしても設計させてほしいと佐呂間に戻り設計しました。それが処女作で北海道の建築の賞を頂きました。

記者:建築に興味を持ったのは、ご両親が施工会社をされていた影響もありますか?

五十嵐:影響はあると思います。子供のころ建築の現場にいくと、なぜかわからないけどすごくワクワクしました。建築家という存在を知らなくても、本能的にこれはなにか面白いジャンルなのではないかという予感です。人は本能を抑制しないと社会順応できませんが、建築は本能的に感じ取れるワクワクした仕事だと思い、自然に建築の道へ進めたことは良かったと思います。

記者:今はご自身の憧れていた“巨匠”の域に到達しているのでしょうか?

五十嵐:全く。何の満足感もないです。やればやるだけ足りないという感覚しか残らない。建築については欲張りなのかも知れません。もっといいものをつくれるはずだ。ならばどうすればいいのだろう?と、永遠と思考が巡ります。建築はすでに膨大に生み出されていて、素晴らしい建築もたくさん存在していますが、それでもきっとまだ誰も見たことがないような素晴らしい建築や空間があるのではないかと。建築の可能性を探したい。札幌を見渡すといい建築が本当に少ない。文明の中で建築は大きな役割を果たしています。皆さんが例えばヨーロッパへ行き良い街だなと感じる要素として建築や街並みは大きいのです。

“9割の住宅は建築でも家でもなく、ただ商品である”

Q.今の社会をどう捉えていますか?
五十嵐:現代は多様な洗脳を受けながら生かされている社会だと思います。例えば98%くらいの人は、住宅(家)というのは“こういうもの”だと、ハウスメーカーなどが作り上げた虚構が「常識的な家」なのだと思い込み家を建てます。家に限らずファッションも車も音楽も映画も宣伝などの手段による洗脳を受けながら我々は日々、判断し選択しています。しかし広くシェアされているものが必ずしも正しいと言うことではありません。建築は環境、文化、習慣などのコンテクストから導かれるものであるべきですが、資本獲得の大きな企業が洗脳を主導し、より多くの資本を獲得して行くのが資本主義社会です。「量産されている家」は建築でもなければ家でもなく、商品です。商品という虚構をイメージ化し、資本獲得する。CMやテレビやインターネットを使い。資本主義を否定しているわけではないのですが、それぞれの人がそういう仕組みの中で今自分が生きていて選択をしている、ということを認識することが大切です。その上で一度全てについて疑問をもち、違和感を抱く事がらについて考えてみることが大切だと思います。
アウトドアが5、6年前から流行り始め、ここまで爆発的に伸びたのは洗脳によるものです。日本人は洗脳されやすい民族かもしれない。例えばソーラーパネルが地球環境にとって一番いいと思い込まされる。しかし本当かな?というところから客観的に考えてみることが大切です。
洗脳の向き先を本当の意味で人類や地球にとって良いものに設定することができれば、もっと素晴らしい生き方ができるでしょう。洗脳というと聞こえが悪いけれど、「素晴らしき虚構」を多数が影響(洗脳)を受けるメディアなどによりコントロールすることが可能であれば、「良き教育」を皆が共有でき、一気に世界が変わると思います。

記者:五十嵐さんが思う”いい建築”とは?

五十嵐:なんとなく寝転んで寛げちゃうとか、なんとなく座っちゃうとか、強引に誘導するのでなく、自然と本能的に人が反応する空間が理想だと思います。
理屈や理論ではなく本能で、普遍的に人間が心地よいという感覚に合うもの。それは自分の本能をベースに設計すること。僕がどう心地よく感じるか。人間は子供から大人へ成長しますが、経験は増えても本能的な習性は変わらない。
洗脳を受けていることに意識的ではなかった子供の頃、ファッション誌をみて「これ買わないと」、となることもありましたが、ある時期から気づき意識的になりました。自分の感覚を信じるようにしていますが、客観的に疑うようにもしています。

記者:建築は色んなことが影響し合っているのですね。建物だけではなくて町並みなど、トータルでみて心地良い空間になるのですね。五十嵐さんありがとうございました。


■株式会社 五十嵐淳建築設計事務所のHPはこちら↓

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【編集後記】今回インタビューを担当した岸川、内澤、飯原です。巨匠を目指していた五十嵐さん。興味関心の幅は広く、宇宙の話、音楽や芸術のこと、街並みや日本のこと、人間の本能や直感など色々なお話をして頂きました。世界の雑誌やwebでも取り上げられる五十嵐さんの設計された建築物は、写真をみても個性や存在感を感じると、素人ながら思いました。今後のご活躍も楽しみにしております。
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この記事はリライズ・ニュースマガジン“美しい時代を創る人達”にも掲載されています。






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