フェイクドキュメンタリー疲れを起こしている
遅ればせながらフェイクドキュメンタリーQを見ている。
見過ぎで疲れているだけだと思う、けど、少々食傷気味。
批判する気はないけれど、フェイクドキュメンタリーQの怖いところは
①不気味な映像
②これをわざと作っている編集の意図
③本当にフェイクなのか?本当はフェイクじゃないのでは?
というもの。
この②と③は画期的で、恐怖映像のその裏側まで恐ろしいと思える、新たな境地だと思う。
しかも、この②が各作品でリンクしているところを見ると、これが一つの呪いなのでは、という、視聴者の想像力を掻き立てるものになっている。
ただ、まとめて見過ぎてしまったからか胸焼けを起こしている。
どれも「不気味」である都合上、直接的な恐怖映像はほぼない。
映像だけの恐怖度でいったらそこまででもない。
フェイクドキュメンタリーの恐怖は、視聴者の脳内と妄想で補完されているからだ。
意見交換ができるコメント欄やTwitterがあり、考察が頻繁に意見交換できるからこそ、その恐怖は恐怖を呼び、フェイクドキュメンタリーの恐怖が完成する。
だからこそ、沢山見続けると食傷を起こす。
その裏側や考察に触れようとすると、他のホラー媒体よりも脳のエネルギーを途轍もなく使う。
そんなんで次のQを見ようとすると、脳が疲れて考察する手間をサボろうとして「さて次はどんな意図が隠されているかな」なんて、穿った見方をし始めてしまう。
フェイクドキュメンタリー自体とても面白いし、恐ろしく、それでいて画期的な作品だと思う。
ただ、キチンと考えられるほど、脳が疲れていない時に見るべきだなと改めて思った。
とりあえず今は一旦フェイクドキュメンタリーを休んで、小説の発売まで待とう。