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「百段ひな祭り」の奇跡

 四年前、「目黒雅叙園」の「百段ひな祭り」を見に行った。「百段ひな祭り」とは、この時期、雅叙園の百段階段に日本各地のひな人形が飾られるイベントである。

 百段階段は、「昭和の竜宮城」と呼ばれた「目黒雅叙園」の象徴だ。手の込んだ黄金の装飾を備えた七部屋を、九十九段の長い階段がつなぐ貴重な木造建築。東京都の有形文化財にも指定されている。

 古き良き日本の伝統を大事にする幼稚園のママ友から、その事を知った私は、両親と娘を引き連れ、駆けつけた。

 それぞれの部屋には、地方の名主所有の豪華なひな人形が飾られ、階段を登りながら一部屋ずつ見てまわった。
古い木造階段は、踏みしめるたびにきしきし音がする。それが心地よかった。自分も日本人なんだなぁと、感じる時間だった。

しかし私も娘も、階段も人も多いし、寒いしで、途中からすっかり飽きてしまった。両親を残し、駆け足で各部屋をのぞいてはやばやと入口のお土産コーナーに下った。記念品やら土産物、シールで子供をだまし、私もだまされた。

 父は祖母の影響で、こういったものには関心が高いようで、時間をかけて観賞していた。母は文句を言いながらも、父に付き添う。私はこの光景を、何か大切なものを宝箱から取りだすように、今でも思い出す。

 父と母はもともと仲が悪く、私が十五の頃から、三十年以上別居していた。母は、経済的援助も受けず、離婚もせず、晩年一人暮らしで立ちゆかなくなった父を、数年前に引きとった。

 同居後、父は気をつかって大人しくしていた。多少の衝突はあったが、孫の誕生と共にイベントにも時々、顔を出すようになった。そうして迎えた、「百段ひな祭り」である。

 私達は、ひな人形の飾ってある庭園内の料亭「壺中庵」個室で、季節の懐石膳を食べ、写真を取り、ひな祭りを満喫した。ありきたりの歴史を歩んできた家族のように。

 あれから、父の老化は急速に進み、一緒に外出することはほとんどない。今思うと、あの家族でひな祭りを祝えたのは、ほんとうに奇跡だった。

 食事のたび、すっかり歯が悪くなって柔らかいものしか食べられなくなった父と、大声で注意する母を見ながら、幸せの形は人それぞれだなと、思う私であった。

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