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いつかまた、乾杯出来るその日まで

私の両親は、私が物心ついてから、ずっと不仲だった。二人の怒鳴り声で朝、目を覚ますことは、日常茶飯事だった。父はエンジニアで、コミュ二ケーション下手だったし、母方の祖父は孫の私から見ても、非の打ちどころのない父親だったので、母は自分の父と比較して「月とスッポン」な夫にイラついていたのだろう。
私が高校生の頃に、二人は別居し、その別居期間は、父の健康状態が悪化して一人暮らしが出来なくなった十年程前まで、三十五年間ほど続いた。

父が出て行って、二人の怒鳴り声を聞かなくてすむようになったときは、正直ホッとした。その後、冠婚葬祭のときなどにたまに会う機会もあり、元気そうだったので、父の事はそれほど心配もしていなかったし、会えなくても正直さみしくなかった。

別居の数年前に、母が始めた事業も軌道に乗ったので、経済的に父に頼ることもなく、私、姉、母の三人家族はそれぞれの道を順調に進んでいた。

十年程前に同居を再開させた頃には、娘も生まれたばかりだったので、家族は娘を中心に上手く回って行った。

それが、今回の新型コロナウィルス感染症の流行により、父の痴呆は一気に加速した。歯医者に行けなかった事で、上手く食べものが食べられくなった事や、外出制限などが原因だろう。トイレに行くのを忘れるなんて事が度々あり、私達は同居をあきらめた。現在は小規模で家族的なケアが期待出来る、グループホームを探している。

父がグループホームに入居したら、もうこの先一生、一緒に住む事は無いだろう。そして、別居期間も長く、様々な心のわだかまりから、それほど父と仲の良くなかった私は、グループホームを訪れる事もそれほどないだろう。

私は、フランスで数年間、暮らしていた事もあるためか、お酒を飲む事が好きだ。言葉があまりよく分からない会食時には、お酒によく助けられた。

九月の中旬に私達は、父の事もあって、引越しをする。最近は、引越しが終わった後に新居で、お疲れ様の意味も込めて、普段は飲めないような良いお酒を、皆で開ける事にしている。今回はフランス料理の名店「タイユヴァン」と取り引きのあるブルターニュ地方のワイナリーで作られた白ワインを買っておいた。家族皆で、楽しめるように。

多分、その乾杯が自宅で過ごす父との、最後の乾杯になるだろう。

父との一番の想い出は、父が私の中学受験の試験日に付き添いとして、来てくれた時の事だ。午前中の試験が終わり、一緒に昼ごはんを食べ、午後に前日に受けた試験の合格発表を一緒に見に行った。人生初の合格発表で、昔から気が弱かった私は、代わりに父に発表を見に行ってもらい、校門の外で結果を待っていた。
「あったよ~」
と嬉しそうに知らせてくれた父の笑顔と自分がホッとした事は四十年近くたった今でも、よく覚えている。

次回はいつまた、父と乾杯出来るだろう。来年の母の傘寿の誕生日かな。その時、父はどこに住んでいるのだろう。正直、わからないが、父とまた乾杯出来ることを私は願っている。

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