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光だけの心が欲しい

「光だけが欲しい。光だけの心を下さい」

願いをかなえてくれる女神様。
彼女を前にして、加奈子は、はっきりとそう言った。

女神様に会えたらそうお願いすることを、もうずっと前に決めていたのだとわかる、ごくわずかな揺らぎもない声だった。

「一度きりの願いです。それでいいですね?」

女神様は、喜怒哀楽のどれでもないトーンで加奈子に確認した。
その願いでいいとか悪いとか、何も含みがない。
フラットなのだ。

加奈子はやっぱりなんの迷いもなく、すぐに浅くうなずいた。

私は、慌てて加奈子の左腕をとった。

「そんなお願いはダメよ」

「どうして?」

「あなたの心が光だけになるって、どういうことかわかってるの?」

「私はもうずっと、闇のない明るい心を望んできたの。ようやく女神様に会えたのよ。あなたと話し合って願いを変えるつもりはないの」

「そんな・・・。闇を否定するの?」

「出た」

加奈子は面倒くさそうに私の手を軽く振り払った。
私が転んだりしないように注意を払ってくれているけれど、邪魔されるのは我慢ならないという、強い拒否も感じた。

「あなたは闇にこだわりすぎなのよ。私は自分の心に光だけを望んだのであって、あなたが闇を持っていることを否定はしていない。変に解釈するの、やめてよ」

「加奈子こそ、変な解釈はやめて。私は、私の闇とは言ってない。あなたの中の闇の話よ。どうして否定するの?」

「もううんざりだからよ。いらない。私の心に闇はもういいの。もう、汚いもの、暗いものを自分の中に抱えるのはうんざり。
あなたもわかってるでしょう。私が闇を抱えたままだと、この先の人生がどういう風になるか。私がどれだけ、病んでいるか。その闇が、私にどのような思考を抱かせ、執着させ、悲しみや怒りや恨みごとを呼び寄せているか、好んでいるか、知ってるでしょう?
その結果、私がどんな行動に出るかも。
そしてその後、どれほど自己嫌悪に陥るか、わかってくれていたんじゃないの?」

「だったら、光だけを望むんじゃなく、その病みを治してと願えばいいじゃない」

「バカね。病気は治っても、再発する。そんなのは嫌なのよ。
一度きりの必ず聞き届けられる願い。女神様に会えたら、私は光だけの心を望むと決めていたの。さあ、女神様、私の心を光だけにしてください。闇はもう生涯いらない!」


その、加奈子の明確な意思が合図だった。
ぱん!と音がした。女神様が手を打ったのだ。
軽い音に不釣り合いな、重い圧力を伴った乱暴な風が私の体を思いっきり吹き飛ばした。
「加奈子!」と叫んだつもりの口は、ちゃんと開けることができなかった。



それから数ヶ月。

私と加奈子はあの不思議な空間から、無事に現実の世界に帰って暮らしている。

あの衝撃の後、私はひとり、自分の部屋のベッドで目覚めた。
ほんの一瞬、夢を見ていたのかと思ったけど、そうじゃないってなぜか確信があった。
すぐに、加奈子に電話した。
彼女もまた、自分の家のベッドで寝ていたようだった。
「どうしたの? まだ朝の5時じゃない?」
いつもの聞きなれた加奈子の声。それは間違いないのに、なぜか全然違うひとに感じられた。
そして、それは正しかったのだ。

加奈子は、闇を消滅させたことで、自分が「違う人間」になってしまったことに気づいているだろうか。
思ったことをはっきりと伝える意思の強さ。
壁が立ちはだかった時にそれを乗り越えていこうとする気の強さ。
周囲の人間への細やかな気配り。
その他の、あふれてやまない魅力が、光からのみ生まれていたと、彼女は思っていたのだろうか。

それを今の彼女に聞いても、答えは得られない。

彼女の世界から「闇」が消えたことで、加奈子は私が語る「闇」を認識することができない。私の中にある「闇」から生まれるものも。

と、同時に闇の「対」と彼女がみなしていた「光」すらも、もはや認識できない。
心に光のみを残した彼女に、光を認識することはもうできないのだ。
願いがかなったことを、知ることもできない。


彼女があれほどまでに強く望んでいた「光」は、忌み嫌っていた「闇」を通してしか見られないのだ。
でも、まあ、彼女にとってはいいのかもしれない。
少なくとも、望んだ状態にはなった。
ただ、自分でそれを知らない、というだけのことなのだ。

そして、私は思うのだ。

加奈子、それは、本当に闇だったのかな、って。
誰かが「闇」だと名付けたものを、そのまま受け入れてしまっただけじゃないの、って。

私が好きだった加奈子は、もういない。
「器」があるだけだ。

でも、それもありか。
人は空間だ。
中身は日々、入れ替わるもの。
少しずつ。
体だって同じだ。
日々、入れ替わっていくのだ。
そして、やがて、まったくの別人になっているのだ。
ずっと同じだと思っている方が、おかしいのだ。


※ 2017年6月のブログより。


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